皇后 雅子 さま。 雅子さまファッション画像まとめ!着回しなさっても素敵なのはなぜ?

美智子さま「4億円衣装に雅子さまいじめ疑惑」乳がんも「引っ越して」の声

皇后 雅子 さま

文/川田凜子 宴会の儀 2月23日、天皇陛下の誕生日を祝う「宴会の儀」が、皇居・宮殿の豊明殿で行われた。 陛下は安倍首相ら三権の長や国会議員約450名と昼食をともにされ、「誕生日にあたり、皆さんと祝宴をともにすることを誠にうれしく思います」と挨拶された。 その後、宮殿の春秋の間では「茶会の儀」が開かれ、夜には赤坂御所で両陛下と愛子さま、秋篠宮御一家、妹の黒田清子さんらが夕食を囲まれた。 今回の誕生日に際し行われる予定だった誕生日一般参賀は、国内で感染拡大が懸念される新型コロナウイルスの影響を考慮し取りやめられていた。 この中止をお決めになった陛下のご決断には称賛の声があがるとともに、参賀に来場を予定していた人々から「陛下のお誕生日を祝いたかった」と残念がる声も聞かれている。 「饗宴の儀」 皇族方が公にお出ましになる際の衣装は、位の高い人、つまり、女性皇族であれば皇后陛下である雅子さまから決められていくのが通例だ。 これには毎回、何かしらの意図が込められているのだという。 「例えば、平成最後の天皇誕生日の一般参賀では、雅子さまのお召になったブルーのドレスに、紀子さまが追従されました。 この衣装を選ばれたのは勿論紀子さまですが、当時『 わたくしは平成時代、雅子さんに代わり公務を必死にこなしてきました。 つまり、真の意味で皇太子妃としての役割を果たしたのは私です。 雅子さんの方に衣装のことで言われる筋合いはありません』と熱弁なさっていました…」(秋篠宮家関係者) この関係者の証言を元にすれば、紀子さまは平成最後の天皇誕生日に、雅子さまよりもご自身の方が皇太子妃に相応しいというメッセージを国民に投げかけてきたということだ。 「今回は、紀子さまの雅子さまへの対抗心というわけではないようです。 秋篠宮家は殿下の『大嘗祭は私費で』『身の丈に合った儀式を』といった発言が災いして、逆に40億円以上をかけた宮邸の大規模改修を糾弾されることになりました。 それ以外にも、様々な無駄遣いを指摘する声が宮内庁宛に連日寄せられている状況で、回線がパンク寸前の日常です。 そういった中で、紀子さまは何とか秋篠宮家のイメージを回復させたいと躍起になっておられるのです。 そこで、眞子さまと佳子さまの衣装を、直近の饗宴の儀で召されたものにし『着回しの秋篠宮家』『倹約の秋篠宮家』のイメージ作りをなさったようです」(同前) しかし、眞子さまは当日、雅子さまの衣装にご自身のものが丸かぶりしてしまったことに動揺され、紀子さまに涙ながらに迫られたという。 あ〜,つまり今回は紀子妃が『着回しの秋篠』をイメージ付ける為,色被りまでは気が回らなかったという内容ですね?皇后様は気にしなくて良いと仰っていたけど,眞子がその事で母親に怒ったと? もう30歳前なんだから,色被りのルールくらい知ってるでしょう?自分で確かめなかったのですか?紀子妃も姑息だけど,眞子も母親のせいにするのはおかしな話。 何にしても,秋篠の家はノブレス・オブリージがない。 見せかけだけの姑息なやり方は,国民にはミエミエで嫌悪感しかありませんね。 昨日の陛下のお誕生日の公開されたお写真の皇后様のお召し物,インナーはブラウスか大判のスカーフかは分かりませんが、違うかもしれませんがご結婚前,外務省時代に,やはり青色のスーツの下にお召しになったいた物と似ている気がします。 いずれにしても,物を愛して大切に使えば,その物もお返しをしてくれると思うのですが、あの家にとって『着回し』はたんなるワードなのでしょう。 紀子はずっと自分自身で、皇后陛下の皇太子妃時代からわざと衣装かぶりさせていたではありませんか。 マンデラ大統領との晩餐会のドレスを見ればよくわかります。 まだ療養に入るずっと前のことです。 衣装かぶりも美智子が嫌がらせの一環でわざとさせていたのでしょう。 そうでなければ、あれほど何度も似たようなデザインで同じ色の衣装にしている紀子を、上の立場の美智子が諫めるはずです。 一時期髪型まで同じにしていたようですが、そんなことをすれば、素材の優劣が一目瞭然となるのがわからないのですね。 それとも、自分の方が美しいとでも思っているのでしょうか。 今回眞子が色かぶりだったのも、わざとでしょうか。 これまでさんざん何かにつけて新調してきたのだから、他にもドレスは山ほどあるはずですよ。 同じ色を選ぶ必要ないと思います。 紀子があのドレスを選んで着せたのなら、悪意があるように思えてなりません。 こんな愚かな妃が「自分こそが皇太子妃に相応しい」と言わんばかりに熱弁されていたと? 一方では皇太子一家や他の宮家へ是非にと来ていた公務依頼を、雅子さまがご病気であることをご自分のアピール出来るチャンスとばかりに美智子と紀子が横取りしたという噂もありますが? ご自分に酔われるのは痛々しいですよ紀子さん。 本当に雅子さまを支えられてきた宮家の方々は、雅子さまがお元気になられたことを心から喜び、ご活躍ぶりに期待され、これからも雅子さまの良き支えになろうと改めて思われているでしょう。 あなたは恩着せがましく自己主張されているだけ。 下劣極まりない。 国民の大半はあなたが皇后となり、国母となるのは国に対する侮辱だと思っています。 湯水のように税金を使って、ドレスや着物を新調しまくっていたくせにねぇ。 今さら「節約してますポーズ」とは白々しいねぇ。 皇太子妃の公務を一宮家の妃には出来ない事くらい、私でも知っていますよ。 亡くなられた髭の三笠宮殿下が「内廷皇族と我々宮家とはきっちり公務は 区別されている」と度々発言されていましたからね。 皇太子妃の代わりをしていたなんて、笑止千万ですよ紀子さん。 まず紀子さんがしなければならない事は、眞子さんと小室母子との悪縁をきっぱり断ち切ることですよ。 外国に気晴らし公務?に行っいる場合ですか。 秋さんと協力して眞子さんを小室母子から引きはがすことから 始めたらいかがですか。 公務より我が子の幸福を、もっと真剣に考えてほしいものです。 目の前にぶら下がった人参しか見ない様です。 紀子さんの場合は、人参ではなく着回しをして倹約アピールの札ですけどね… 娘に色被りとか教えていない時点で、娘の事は。 ほったらかしってよく分かりました。 職員さんも、そっとお教えしようと思っても、紀子さん眞子さんカコさんですから… ほっといてよ!って言われるから、何も言わないのですね。 でもどちらにしても、八つ当たりされる職員さん、大変ですね。 真の意味で皇太子妃としての役割を果たしたのは私です。 ハイハイ、一人最低700万の謝礼付き公務を必死に頑張ってきたのですよね。 それに祭祀はやってませんしね〜。 ホント身の程知らずとはまるで紀子の為に有る言葉ですね。 これだから育ちの悪い人間は••• 私もどこの団体かまでは詳しく知りませんが、秋篠宮家の公務先には川嶋辰彦氏や弟の舟氏が理事などを務める団体や、正田家つながりの水族館や博物館などが多いそうなので多分そこら辺りではないでしょうか? 最もどなたかが以前、『秋篠宮夫妻の公務先で「お礼は300万でよろしいでしょうか?」とお伺いをされたら、紀子は「私達は最低1人700万ですよ!」と激怒されたそう』と暴露してますから、あちこちで脅迫して出させてるんじゃないですか? 毛皮のコートも無理矢理献上させたみたいだし。

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美智子さま「4億円衣装に雅子さまいじめ疑惑」乳がんも「引っ越して」の声

皇后 雅子 さま

皇后即位後、1周年を迎えられる雅子さま。 懸命にご公務をこなされる中で、笑顔と涙を見せられた。 長年密着取材を続け、「 即位1周年記念 皇后雅子さま物語 ビジュアル版 」を上梓した筆者が、この1年の足跡を辿る。 風で舞い散った薄紅色の花びらを拾って、掌にのせた雅子さまは、御所内にいた天皇陛下と愛子内親王殿下を驚かすようにお見せになったという。 ご一家に笑顔があふれた。 花びらを透明な水盆に浮かべて、束の間の春の訪れを感じられたそうだ。 それからほどなく、新型コロナウイルスの感染が広がる中、両陛下の外出を伴う公務はすべてお取り止めに。 即位後初の外国訪問となる英国・ウィンザー城への滞在も延期が発表された。 陛下は皇居でご執務に臨まれている。 1週間に1度のジョギングも中止されて、ご研究をなさる時間が増えたという。 雅子さまも御用地の散策をなさることはなくなり、たまに外に出るのは、愛犬・由莉の散歩をする際ぐらいといわれた。 陛下が即位されて令和が幕を開け、5月1日で1年を迎える。 雅子さまは皇后として即位関連の行事にすべてご出席なさってきた。 ご療養生活が始まった皇太子妃時代や皇后になったばかりの頃は「長期にわたる即位関連の儀式に継続的にお出ましになることは、果たしてできるのだろうか」と宮内庁関係者ですら思っていたというが、それは杞憂に過ぎなかった。 メラニア夫人と子どもの教育について語り合う 最初に雅子さまに驚かされたのは、新皇后となって間もない昨年5月。 令和初の国賓として、米国のトランプ大統領夫妻を招いた時の「もてなし方」だった。 皇居・宮殿「竹の間」での会見で、オフホワイトのスーツ姿の雅子さまは、流暢な英語でメラニア夫人と会話をされた。 後席の通訳が黙っている姿は珍しい。 陛下とトランプ大統領が会話をしている横で、母親同士ということもあり、子どもの教育について語り合ったという。 最初は硬かったメラニア夫人の表情も、次第に緩んでいった。 幼少期を米国のニューヨーク、高校、大学をボストン郊外で過ごされた雅子さまは、高校時代からホストとしてのもてなし方を両親から学ばれたといわれる。 皇室入りされてからも、相手に敬意を持ちつつ、自然な雰囲気を出すことには定評があった。 メラニア夫人ともユーモアを交えながらもてなされて、帰国前にはメラニア夫人の方から打ち解けて多く話し掛けていたのが印象的だった。 5月27日の宮中晩餐会。 隣に座るトランプ大統領と和やかに談笑された雅子さまは、さらに食後の別室で歓談する「後席」にもご出席された。 これは実に、療養に入られる直前の03年10月以来のことだった。 日本の各メディアは、こうした雅子さまのホストぶりを絶賛した。 米国のCNNも〈天皇陛下は英語を交え、皇后陛下は通訳なしで英語を話されたという15分間の懇談は、とても和やかなものだった〉と紹介。 ニューヨークタイムズ紙も〈トランプ大統領訪日で、皇后雅子がスポットライトを浴びる〉と報じた。 雅子さまご自身も、ご病気の治療に障るため、これまで批判的な記事を目にすることはなかったというが、連日の報道で内容を知ることとなった。 「皇太子妃時代からまったく同じように海外の要人をもてなされてきたが、皇后になった途端に180度違う報道になった。 雅子さまは、驚かれたというよりも安堵されたのでは。 評価を気になさることよりも、ご自分ができるお務めを全力で続けられることだけを考えられていたのではないでしょうか」(宮内庁関係者) 6月1日には、さらに勇気づけられる出来事が。 気温27度の暑さに熱気が加わる中、みんなスマートフォンを片手に雅子さまを一目見ようと、すし詰め状態になっていた。 歓喜溢れる人々の中には、中高年層だけでなく、若い女性たちや男性、幼い子どもを抱いた母親もいた。 静岡から駆け付けたという20代の女性はこう語った。 「母がもともと雅子さまファンでしたが、トランプ大統領夫妻を接待する様子をニュースで観ていたら、私の方がファンになりました。 母にとっては、キャリア女性が陛下に見初められて皇室入りするというシンデレラストーリーだったようです。 でも、私にとっては、ご病気だというだけであんなに批判されていた雅子さまが復活して頑張っている姿に、勇気をもらえるんです。 だから応援して、少しでも元気になっていただきたいと思っています」 和やかに話を盛り上げる「雅子さまらしさ」 名古屋市の宿泊先で開かれたレセプションパーティでも「雅子さまらしさ」が見られた。 出発前には「ご体調次第」と言われていたパーティだったが、当日に出席をご決断。 驚いたのは、上皇上皇后両陛下はよく金屏風の前にお立ちになって懇談されていたが、両陛下は招待客に混ざり、囲まれるようにして懇談なさったことだ。 まるで人の渦の中におられるようだったが、実に生き生きとしたご表情を見せられていた。 帰京されても雅子さまのお疲れが、以前のように何日も残ることはなかった。 名古屋の人たちからのあたたかい言葉が、力になったのかもしれない。 宮内庁幹部によれば、以前の雅子さまには「次をこなさなくてはいけない」とご自分を追い立てるようなご様子があったが、今では感じられないということだった。 さらに6月4日、両陛下は皇居・宮殿でクロアチア議会議長夫妻と懇談された。 東日本大震災の際の支援に対するお礼と両国の交流などについて、和やかに言葉を交わされたという。 ここでも雅子さま流のもてなしが見られた。 報道撮影の時、雅子さまは議長夫人とのお話が盛り上がり、陛下が着席を促されたが、お2人はまったく気付かないという場面があった。 陛下が微笑みながら2度目に手を伸ばされると、ようやく雅子さまがお気付きになって着席された。 予定調和の会話より、自然に生まれた言葉を大切に こうしたご様子からも、両陛下は予定調和の会話より、その時に自然に生まれた言葉や反応を大切になさっているのではないかと思うときがある。 それはプライベートでの登山中に偶然出会った登山者や、ご静養先の駅のホームで待っている人たち、公務先の関係者との会話からも感じられるものだった。 夏には須崎御用邸と那須御用邸で夏休みを取られたが、ここでもご一家は沿道で出迎えた人たちの側に寄って行かれて、30分近くも話しかけられていた。 陛下は「暑い中待っていただいてありがとう」と声を掛けられ、愛子さまは地元の高校生や小学生と、試験勉強の話や夏休みの宿題について言葉を交わされた。 11月9日には、「天皇陛下の御即位をお祝いする国民祭典」が皇居前広場で6万人を招いて開催。 祝賀式典では、郷土芸能や奉祝曲などが披露され、全国に生放送された。 両陛下は皇居正門石橋に提灯を掲げてお立ちになった。 感極まってハンカチで涙を そして翌日の11月10日に行われた、陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」。 都内の沿道には、平成時のパレードよりも約2000人多い、12万人近くの人たちが待機していた。 午後3時過ぎ、両陛下を乗せたオープンカーが近付くと、沿道からは波がうねるような歓声が湧き上がっていた。 雅子さまは、白い手袋を嵌めて、笑顔で手を振られていたが、時折、そっと目頭を拭われる場面があった。 皇太子妃時代に続いた批判から、「自分は人気がない」と思われていたというが、今では前夜から沿道に並んで待ってくれている人たちの姿を見るたび、有難いと心から思うそうだ。 さらに報道のカメラが入っていない場所でも雅子さまは感極まって、ハンカチで涙を拭われるという姿も見られた。 その様子に気付いた陛下は、労うようにそっと言葉を掛けられていた。 雅子さまは頷きながら、気持ちを締めるようにすぐに前を向かれた。 両陛下は同月、三重訪問で伊勢神宮、奈良・京都訪問で神武、孝明、明治天皇陵を参拝されて、一連の即位関連の儀式が終わったことを報告された。 この頃になると、雅子さまにお疲れが見える日もあり、参拝の際に足元がふらつかれることもあった。 しかし最後の京都御所で催された茶会まで、雅子さまは無事にご公務を務め上げられた。 「雅子さまは私たちが話をしやすいように質問して下さいました」 そして即位後の両陛下が心に留めておられたのが、東日本に甚大な被害をもたらした台風19号による被災地への慰問だった。 年末から正月までの最もお忙しい行事を迎えられる前とあって、スケジュールを組み込むことは難しかった。 だが、「年内のどこでもいいので、入れて欲しい」という陛下の強い思いから実現した。 被災地訪問には皇室内での順番がある。 皇太子時代はお気持ちがあっても、陛下(上皇)のスケジュールが決まらないと行くことができず、遅くなるときもあった。 しかし、陛下となった今では、柔軟にスケジュールに組み込むことができるようになった。 12月26日、両陛下は自衛隊のヘリコプターで、宮城県と福島県に降り立った。 被災地での両陛下は、関係者からの説明と現場の地理を照らし合わせて、何度も見まわすように被災状況を確認されていた。 仮設住宅では、被災された人たちの話に耳を傾けられていた。 実際に雅子さまと会話をした人たちは、 「雅子さまは私たちが話をしやすいように質問して下さいました。 聞いた言葉を流さないのが印象的で、ご性格が表れているように感じました」と口々に語った。 雅子さまの陛下への思い 新皇后として陛下を側でお助けしたいという雅子さまのお気持ちは、実に強いものがある。 12月9日の56歳の誕生日の文書の中でもこう綴られている。 〈天皇陛下のお務めの重さを常に心にとどめ、陛下をお傍でお助けできますように健康の一層の快復に努めながら、皇后としての務めを果たし、陛下とご一緒に、国民の幸せに力を尽くしていくことができますよう努力してまいりたいと思っております〉 雅子さまの陛下への思いに、周囲が驚かされることはこれまでにもあった。 07年に当時の皇太子が十二指腸ポリープの切除手術を受けられた時のこと。 療養に入って4年に満たない雅子さまの症状は、長く起き上がっていられないほど思わしくなかったが、入院されている皇太子のお見舞いに毎日通われた。 「当時の雅子妃殿下は、公務ができないばかりか皇太子殿下に助けていただいていることが申し訳ないというお気持ちが強かったので、今度は何があっても殿下を励まし、お力になりたいという思いでいらっしゃいました」(当時の東宮関係者) そうした陛下への思いと、皇后としての重責を果たしたいというお気持ちが、ご自身の快復へと繋がっていったのではないかと思う。 皇太子妃時代からも公務の日程に合わせて、ご体調を工夫して調整するなど努力をされてきたことに変わりはなかったが、ご快復傾向が継続すると、さらに意欲も増したのではないかといわれた。 ご療養生活は17年目を迎えたが、言い換えると雅子さまは17年も病と闘っている。 それは、健康な人には想像もできないが、精神疾患からくる不安なお気持ちを持たないためにも、常にご病気であることを意識なさって、体力的・精神的にバランスよく日常生活を送らなければならないということだ。 培った身を守るための知恵 以前、治療のイメージをある東宮関係者に聞くと「それは階段を上って、踊り場で休まれる。 そして、体力とお気持ちを蓄えてから、また階段を上っていくようなものです」と語っていた。 雅子さまは、東宮妃や皇后としての務めをなさりたいというお気持ちがあったからこそ、階段を上ってこられた。 だが突然襲ってくる不安の波は、一度起こると消え去るまでに時間が掛かるものだともいわれた。 それだけではない。 儀式や公務を無事にこなせたとしても、その後に「疲れを残さない」ようにしなくては、連日の日程をこなされることや、次の公務などに差し支えるという。 そうした調整は雅子さまご本人にしかできないため、自分自身と闘い続ける中で、身を守るための知恵を培ってきたのだという。 令和2年が明けてからも、雅子さまのご活動は続いた。 正月行事を始め、2月23日に60歳をお迎えになった陛下の誕生日の食事会などにご出席された。 同時に3月20日の宮中祭祀「春季皇霊祭」にご出席になるため、体調の調整をされていたが、間に合うかどうか分からなかった。 そのため当初のご出席は「陛下お1人で」といわれていたが、18年ぶりに十二単で皇居・皇霊殿に拝礼された。 続いて4月3日の「神武天皇皇霊殿の儀」にも出席が期待されたが、残念ながらご欠席となった。 ご一家で拝謁を受けられていたことから、雅子さまの意欲は強かったが、ご体調が整わなかったのだろう。 国民のために何ができるかを模索 この春、愛子さまは学習院女子高等科を卒業された。 両陛下は新型コロナウイルスの感染予防のため、卒業式へのご出席は叶わなかった。 お友達からもらったというオレンジのガーベラの花束を持ったご表情からは、高校生活がとても充実したものだったことが窺えた。 今春から学習院大学文学部日本語日本文学科に進学されたが、これから大学で専門知識を学べることを楽しみにされているという。 「愛子さまが御所の敷地内でバドミントンをなさっているお姿を、侍従が確認したことが伝えられています」(宮内記者) 両陛下は新型コロナウイルスに憂慮されており、宮内庁は現場感覚のある識者のご進講を検討していた。 だが、現場に携わっている人は忙しいため、4月にようやくご進講が行われる予定だ。 両陛下は、これまでにも皇室医務主管や侍医長、侍医をはじめ、関係者から多くの情報を得て事態の推移を見守りつつ、国民のために何ができるかを模索されているという。 そして国民と同じく、ご一家で静かな時間を過ごす工夫をされている。 とものうなおこ/1961年生まれ。 新聞、雑誌記者を経て独立。 皇室問題については長期取材を続けており、2003年からは雅子妃のご体調をめぐり「文藝春秋」「週刊文春」などで執筆。 著書に「雅子妃 悲運と中傷の中で」「皇后雅子さま物語」(いずれも文春文庫)。 (友納 尚子/週刊文春 2020年4月16日号).

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雅子様のご両親の現在!父親は逮捕され母親の優美子は病気療養中?

皇后 雅子 さま

皇后雅子さまの英語を海外が絶賛! 皇后雅子さまの英語力について海外メディアが絶賛しているニュースです! 皇太子妃時代はしおれた花のようだった日本の雅子皇后(55)が27日、徳仁天皇(59)と共にドナルド・トランプ米大統領夫妻に会うことで国際外交の舞台にデビュー、華麗に花開いた。 米紙ニューヨーク・タイムズは「トランプ大統領の日本国賓訪問がきっかけで新皇后がスポットライトを浴びることになるとともに、日本のソフトパワーを発展させ、将来の女性像をあらためて確立するだろうとの期待が寄せられている」と報じた。 今回のトランプ大統領訪日で最大話題の一つは、即位して1カ月足らずの雅子皇后の卓越した英語力と自信に満ちた態度だった。 英国留学の経験がある徳仁天皇と、元外交官の雅子皇后は27日の事前歓談や宮中晩餐(ばんさん)会、28日の歓談で、通訳なしでトランプ大統領夫妻と自然に会話を交わした。 各メディアは「晩餐会会場で待機していた専門通訳者たちの仕事がないほどだった。 天皇皇后両陛下はほかの皇室や政界関係者の通訳もしていた」と報じた。 ニューヨーク・タイムズは「徳仁天皇はトランプ大統領と英語で話し続けたそうだったが、見守っていた側近が通訳官を投入した。 雅子皇后は通訳なしで完ぺきな対話が可能だった」と書いている。 yahoo. yahoo. 通訳官は通訳の仕事をさせてもらえなかったようです。 (笑)逆に通訳の方達はどんな言葉を使われるのか、勉強になったかもしれませんね! 皇后雅子さまの英語力が養われた要因を生い立ちから見ると納得! 皇后雅子さまの英語が堪能になった要因を小さい時から見ると納得するはずです!• 1963年:皇后雅子様は父親が在ソ連日本大使館一等書記官に就任したため、1歳数か月からソビエト連邦・モスクワに住みます。 また、2歳の終わりごろから同国のモスクワ市立ジェツキサートNo. 1127保育園に通園• 1968年:皇后雅子様が4歳の時に、父親が5月からアメリカへ転勤したために移住します。 ニューヨーク市立第81パブリックスクール付属幼稚園(キンダガーデン)へ入園します• 1969年:皇后雅子様が5歳の時に先ほどのパブリックスクール幼稚園の付属の学校に進みます。 1971年から1979年:皇后雅子様が7歳から15歳は日本に戻ります。 東京都目黒区立立原小学校や新宿区立富久小学校に編入した後、田園調布雙葉(でんえんちょうふふたば)小学校に落ち着きます。 田園調布雙葉小学校は東京都にある私立の女子校で、田園調布雙葉小学校の田園調布雙葉中学校や田園調布雙葉高校から東大や青山学院大といった多数の高学歴者を出しています。 1979年:15歳の時にマサチューセッツ州立ベルモントハイスクールに編入します。 1985年:21歳の時にハーバード大学経済学部卒業• 1986年:22歳の時に東京大学法学部の3年次に学士編入• 1987年:23歳の時に東京大学法学部を中退して外務省へ• 1988年:外務省の研修でオックスフォード大学ベリオールカレッジへ留学します。 皇后雅子様は小さい時からロシアに行き、アメリカ、日本、またアメリカという形で異文化に触れる機会を沢山得ています。 さらに皆さんも聞いたことがあるでしょう。 ハーバード大学といった大学へ行く事で、更に色々な国の方と接する機会できています。 また、 外交官で働くことになると英語の専門用語を勉強しなければなりません。 ただ、それもハーバード大学や外務省の研修留学で知識を得ることができています。 雅子様が 英語のスピーチが評価されたのは、小さい頃から異文化に触れたことや、専門的な外交分野での英語を話せたからこそだと思います。 皇后雅子さまの英語スピーチ 外交官時代の動画 皇后雅子さまの英語スピーチに世間の反応は? 皇后雅子様と通訳。 どちらが英語力は上なのだろう。 大統領夫妻にも少しは日本語を喋って日本国民に投げかけて欲しかった。 — 斉藤一博 fns124 皇后雅子様さすが。 かっこいいわ、女性として尊敬する!無理せずこれからを過ごしていただきたいです😊💕🤣 — AYA negaiwokometeA スポンサーリンク.

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