髙橋大輔。 “ステイホーム”のお供に、今もう一度読みたい記事はこれ!【髙橋大輔選手編】

25ans8月号 髙橋大輔選手の取材秘話、続編をお届け!【パフォーマンス編】

髙橋大輔

2012年国別対抗戦 選手情報 大ちゃん 生年月日 1986-03-16 (34歳) 代表国 出生地 165 60 A 、 、、関西大学院 [ ] 所属事務所 (2020年1月より) (1999 - 2014,2018 - ) 元コーチ (2005-2008、2012 - 2014) 服部直行(1996 - 2000) (2018 - ) (2018 - ) 元振付師 タチアナ・タラソワ 長光歌子 ニコライ・モロゾフ 所属クラブ KFSC 練習拠点 元練習拠点 週間練習時間 30 開始 1994 引退 2014年10月14日 復帰 : 2018年7月1日 - 2019年12月全日本最終 転向 : 2020年1月アイスダンスへ 1 ,, 3 2011—12 1 2006—07,2007—08,, サイト ISU パーソナルベストスコア 合計スコア 276. 72 95. 55 182. 72 2012 国別対抗戦 国内競技会成績・シングル 優勝 ,,,,• アジア男子初の銅メダル• 日本人男子初の、、優勝 受賞 獲得メダル 大会 1 位 2 位 3 位 0 0 1 1 2 0 2 1 1 1 3 1 1 0 1 1 0 0 合計 6 6 4 銅 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 銅 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 銀 男子シングル 金 団体 銅 団体 銅 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 銀 男子シングル 金 男子シングル 金 男子シングル 髙橋 大輔(たかはし だいすけ、:Daisuke Takahashi, - )は、の選手(男子)。 2000年代から2010年代にかけて活躍した。 は「大ちゃん」。 マネジメントは「USM」。 主な実績として、銅メダリスト、8位入賞、6位入賞。 優勝、優勝、・2回優勝、通算5回優勝(2005年-2007年、2009年、2011年)、団体優勝など。 2008-2009シーズンで右膝前十字靭帯断裂という大怪我により1年間の休養、選手生命の危機に陥った時期がある。 2014年のシーズンを最後に、28歳で現役引退(2014年の世界選手権は怪我により棄権。 同年10月までは休養という形をとっていた)。 2018年の7月、32歳で現役復帰。 日本人男子スケーターでは過去最年長記録。 2019年9月、とアイスダンスのカップルを結成を発表。 人物 [ ] 出身。 4人兄弟の末っ子。 母親の務めていた理髪店の娘が名付け親で「大輔」はからとった。 総合人文学科身体運動文化専修卒業。 2008年4月より関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程に進学。 、修士論文の未提出のため同大学院を中退。 適用選手。 日本人男子初のメダリストであり、日本人男子として初めて、、を制した選手である。 による「好きなスポーツ選手ランキング」の男性部門において、2010年より5年連続でトップ10入りを果たしている。 のは、保育園、小・中学校の同級生で幼馴染である。 現在はマネジメントをが行っている。 技術・演技 [ ] 高いスケーティング技術を生かした世界一と呼ばれると、海外の解説者らからダンサーのようと賞讃された柔軟で切れのある情感豊かな表現力(ヒップホップからマンボ、ブルースまで巧みに表現できる音楽的感性)を持ち味としていた。 は高橋について「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」「一緒に滑っていて、自分が哀しくなってくるほど才能がある」と評していた。 ジャンプでは 、 、 を得意としていた。 また2005年頃から等の4回転ジャンプに取り組んだ。 の公式練習ではを試みたが、試合での認定には至っていない。 では、共に4回転ジャンプに挑んだ志の高さからに「You are my hero. 」と讃えられ固い握手を交わされた。 経歴 [ ] トリノ五輪出場 [ ] 幼少時は性格的に弱く、心配した両親に少林寺拳法、野球、アイスホッケーなどさまざまなスポーツをやらされたが、痛いことや怖いことが嫌いでどれも長続きしなかった。 体操は気に入ったが、岡山市内の体操教室に通うことが難しく断念。 8歳のとき、家のすぐ近くにある()のスケートリンクでフィギュアスケートを始めた。 決して裕福とは言い難い家柄ながらも家族一丸となって支え、また地元の商店街の人々が有志の募金箱(大輔ボトルと呼ばれた)を設置しを受けるなど、非常に愛されて育ってきた背景がある。 また、自身のは全てスケート代に充てていた。 (野辺山合宿)で素質を見出された高橋は、(2年)から、・両コーチがいるのスケートリンク(現・)に出向いて指導を受けていたが、佐野が仙台を離れることになったため、プログラム作成を依頼されたと仙台で初対面した。 同年に初の国際大会となるで優勝。 にで2連覇を達成し、を制す。 にはで日本男子として初めての優勝を飾った。 2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦するが、国際大会での成績は伸び悩み気味だった。 1年間に渡り長光とともにアメリカ、カナダ、ロシアを訪ねて有名コーチの指導を仰いだが、成果は得られなかった。 2004-2005シーズンには、大学入学に伴う環境の変化やプレッシャーや、シーズン前半のアジア選手権で右足首の神経の炎症を起こしたことによりモチベーションが低下し、スケートをやめたいとさえ思っていた。 しかし、で6位に沈んだことで気持ちがふっきれ 、年明けのユニバーシアードで優勝、では3位となった。 では、ともに出場したが予選演技中の怪我で途中棄権したため、翌年のの日本男子出場枠が髙橋1人の順位にかかる大きなプレッシャーの中で演技することになった。 (以下、SPと略)までは7位と健闘したものの、(以下、フリーと略)では冒頭の4回転ジャンプ転倒を皮切りにことごとく失敗を連発してしまい、総合15位に終わる。 この結果、トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となる(総合10位以内なら2枠だった)。 シーズン終了後、コーチ・振付師をに変えるとともに、トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバにつき、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた。 2005-2006シーズン、で初優勝を果たし、本田に続く日本人男子2人目のGPシリーズ優勝者となった。 続くNHK杯では3位に終わったが、SPではシングルの選手として世界で初めてステップでレベル4 最高難度 を獲得した。 初めて進出したでは銅メダルを獲得して日本人男子として初の表彰台に立ち、はSP2位から逆転して初優勝、僅か1枠の・男子シングル日本代表の座を掴み取った。 トリノオリンピックではSPで5位につけたが、フリーは冒頭の4回転ジャンプでの失敗や違反などで得点が伸びず9位、総合8位入賞に留まった。 バンクーバー五輪で銅メダル獲得 [ ] 2006-2007シーズン、で優勝、フリーでは1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプも成功させた。 2季連続で進出したは、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながら最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高の2位となった。 では2位以下に大差をつけて2連覇を達成。 でも2連覇を果たした。 日本・で開催のでは、3位、1位で、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した。 また、が7位に入ったため、翌の日本男子代表枠は最大の3枠となった。 2007-2008シーズン、初戦ので優勝。 2戦目のでは日本人男子として以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続の進出を出場ポイント1位通過で決めた。 ファイナルではに僅か0. 26点及ばず2位となるも、12月のではフリーで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成。 でもフリーで2度の4回転ジャンプを成功させ、フリーと総合得点でISU歴代最高記録を更新して初優勝。 優勝候補の筆頭にあげられて臨んだであったが 、フリーではジャンプミスやザヤックルール違反により総合4位に終わった。 5月、コーチのが織田信成のコーチに就任したため、モロゾフとの契約を解除した。 で「道」を演じる高橋 2008-2009シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場。 その後の精密検査により右足膝のとを損傷していることが分かり、シーズンの全大会の出場を断念して11月に手術をした。 リハビリを経て2009年4月より氷上での練習を再開 、6月からはジャンプも跳び始めた。 リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった。 また、ジャンプ専門のコーチとしてを迎え、ジャンプの指導を受け始めた。 2009-2010シーズン、10月の優勝で自らの国際競技会復帰を飾った。 では表彰台に上り、2季ぶりににも出場。 で4度目の優勝を成し遂げ、バンクーバーオリンピックの男子シングル日本代表に内定、ニ大会連続2回目の冬季五輪代表入りを果たした。 のではSPで90点台をマーク、SP1位のと0. 6点の僅差で3位につけた。 フリーでは冒頭の4回転トウループで転倒し、他細かなジャンプミスも有ったが、得意のステップと演技構成点は出場選手中最も高い評価を受ける。 結果フリーのみでは5位だったものの、総合得点では4位のを0. 51点の僅差で上回り3位入賞を果たし、日本及びアジア人の男子シングルの選手としては史上初の冬季オリンピックのメダルとなる銅メダルを獲得した。 世界選手権初優勝 [ ] バンクーバー五輪から約1か月後のでは、SP、フリーともに1位の完全優勝を果たし、男子シングルでは日本・アジアで史上初の世界チャンピオンとなった。 フリーの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足、両足着氷の失敗に終わったが、世界初の試みであった。 なお、フリーではシングルの選手として初めて、全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した。 ソチオリンピックまで道のり [ ] 2010-2011シーズン、GPシリーズ初戦ではFSで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ優勝。 続くでも優勝、日本人男子として最多となるGPシリーズ6勝目を挙げた。 では練習中にと衝突して首がのような状態になり、本番では4位に終わった。 首の状態がさらに悪化した状態 で臨んだ全日本選手権では3位に入った。 では3年ぶり2度目の優勝を達成。 当初東京で開催予定ながらの影響で1か月延期、で代替開催のでは、FS冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われる。 ビスを留める為約2分中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き総合5位に終わった。 五輪でのメダル獲得や世界王者となったことでモチベーションが低下し、現役続行を迷いながらも迎えたシーズンであったが、5位に沈んだことで気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した。 シーズン終了後、5月に右膝ボルト除去手術を受けた。 リハビリを経たのち、8月にのに渡り、コーチのの下でスケーティングを基礎から見直した。 また、柔軟性を高めるために、のレッスンも受け始めた。 2011-2012シーズン、では大会最多となる4度目の優勝を果たした。 ではSPで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。 、、はいずれも世界王者に次ぐ2位だったが、シーズン最後のではチャンを抑えて1位、SPでは歴代最高得点をマークした。 6月、再びをコーチの一員として迎えた。 2012-2013シーズン、自身7度目の挑戦となったにおいて、日本男子初のチャンピオンとなった。 しかしは7位に終わり、翌2014年2月開催の出場枠の掛かるも6位と表彰台を逃したが、の4位との成績で、ソチ五輪男子シングル種目は2大会連続で最大の3枠を確保する。 では1位となった。 ソチオリンピック出場 [ ] 2013-2014シーズン、では4位。 ではSPで自己ベストを更新。 FSも1位で優勝した。 への進出を決めたが、11月26日に氷上トレーニング中に負傷。 右脛骨骨挫傷と診断され、欠場を発表した(代替選手はで3位)。 怪我をおして臨んだ全日本選手権ではSP、FSともに4回転に挑戦し失敗。 FSでは4回転転倒後に右指を切り、流血しながらプログラムを最後まで演じきったものの、最終順位は5位に終わった。 演技直後のインタビューでは「自分の中では五輪はないんだろうなと思っている」と涙ながらに答えていた。 しかし過去の実績、シーズン成績などを考慮し、最後の3枠目で代表に選出された。 尚フィギュアスケートの日本選手で三大会連続3回目の五輪代表選出は、高橋が初めてである。 2014年2月5日、現代のベートーヴェンとして絶賛されていた作曲者が、自作の作曲としていた曲を別人のなどに依頼していたことを公表 (を参照)、オリンピック本番のショートプログラムで使用する予定だった曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も佐村河内ではなく実際は新垣隆による作曲であると判明した。 での高橋大輔 同日、関西大学の公式サイトで、『ヴァイオリンのためのソナチネ』のまま曲を変更しないことを表明、国際スケート連盟には楽曲作曲者を不明 Unknown とする手続きをした。 この曲は義手でヴァイオリンを弾いているというある女性に贈られた曲であり、本当の作曲者である新垣は幼稚園の頃からこの女性の伴奏などをしていた。 そういう事情から、真実を知った後もこの曲への愛着は失われておらず、高橋がこの曲を使用することを「とても楽しみ」とコメントしている。 高橋は9日にソチ入りした際にインタビューに応じ「正直ビックリしました。 このタイミングでって。 勘弁してよっていうのはありました」と笑いつつ、SPでの使用に変更がないことを明らかにした。 その本番は団体戦には出場せず、個人戦のみ出場。 SPでは4位発進だったが、フリーではジャンプミスが響いて総合6位入賞に留まり、五輪二大会連続メダル獲得はならなかった。 しかしフィギュアスケート日本代表選手で、三大会連続入賞(8位・3位・6位)は高橋が史上初である。 帰国後メディカルチェックを受けた際「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静加療が必要」と診断。 2014年3月4日、で開催されるの欠場を表明(補欠の小塚崇彦が繰上げ出場し6位)。 今後の去就については「まだはっきりと決めていない。 ゆっくり時間を持った時に考えていきたい」と語っていたが 、同年4月21日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した。 現役引退・アイスショー等 [ ] 2014年10月14日、内で現役引退を表明した。 2015年4月から12月にかけて語学、ダンス留学のためニューヨークに滞在。 帰国後は従来のアイスショーに加え、ダンスショー「LOVE ON THE FLOOR」、歌舞伎とのコラボレーション「氷艶」など様々な舞台に出演した。 またニュースキャスター、情報番組の司会、オリンピックキャスターなども務めた。 現役復帰 [ ] 2018年7月1日、所属事務所を通じて現役復帰を発表した。 同年8月1日、所属するを通して、2018-2019シーズン使用曲と振付師を発表した。 ショートプログラムにはの『』、フリープログラムにはジョン・グラント作曲『Pale Green Ghosts with the Philharmonic Orchestra)』を使用し、振付師については、ショートプログラムを2011-2012シーズンで高橋の振付を担当した、フリープログラムをが担当することを報告した。 今季の所属先は関西大学KFSC。 2018-2019において、「全日本最終グループに入ること」を目標にし、全日本予選となる近畿選手権で3位、西日本選手権で優勝と順調に進み、全日本選手権では目標の最終グループに入り、2位を獲得。 スケート連盟から世界選手権の代表入りを打診されたが「若い選手が経験する必要性の方が大きい」と出場を辞退した。 2019-2020年シーズンは、ショートプログラムを「The Phoenix」(振り付けは、などの振り付けも行ってきた、、)、フリープログラムを昨年度と同じ「Pale Green Ghosts with the Philharmonic Orchestra)」を引き続き使用すると発表。 2019年9月、2019年12月の全日本選手権を男子シングルとしての競技会出場を最後にすること、アイスダンスに転向しとペアを組んで、2020年1月からアメリカを拠点に移すことを公式サイトで発表した。 赤い数字はISU公認国際大会での当時の世界最高得点(国内大会は含まない)。 2019-2020 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2019年12月19日-22日 () 14 65. 95 10 138. 36 12 204. 31 2018-2019 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2018年12月20日-24日 () 2 88. 52 4 151. 10 2 239. 62 2013-2014 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2014年2月6日-22日 () 4 86. 40 6 164. 27 6 250. 67 2013年12月20日-23日 () 4 82. 57 5 170. 24 5 252. 81 2013年11月8日-10日 () 1 95. 55 1 172. 76 1 268. 31 2013年10月18日-20日 () 5 77. 09 4 159. 12 4 236. 21 2013年10月5日-日 () - 4 149. 12 1 団体 銀メダル 2012-2013 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2013年4月11日-14日 () 2 80. 87 1 168. 65 1 249. 52 2013年3月10日-17日 () 4 84. 67 8 154. 36 6 239. 03 2013年2月8日-11日 () 4 82. 62 8 140. 15 7 222. 77 2012年12月20日-24日 () 2 88. 04 1 192. 36 2 280. 40 2012年12月6日-9日 () 1 92. 29 3 177. 11 1 269. 40 2012年11月23日-25日 () 2 87. 47 2 164. 04 2 251. 51 2012年11月2日-4日 () 1 84. 79 2 146. 96 2 231. 75 2012年10月6日-日 () - 1 172. 06 1 団体 銀メダル 2011-2012 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2012年4月19日-22日 () 1 94. 00 1 182. 72 1 276. 72 2012年3月26日-4月1日 () 3 85. 72 3 173. 94 2 259. 66 2012年2月9日-12日 () 3 82. 59 2 161. 74 2 244. 33 2011年12月23日-26日 () 1 96. 05 3 158. 55 1 254. 60 2011年12月07日-11日 () 5 76. 49 2 172. 63 2 249. 12 2011年11月10日-13日 () 1 90. 43 1 169. 32 1 259. 75 2011年10月28日-30日 () 2 84. 66 3 153. 21 3 237. 87 2011年10月1日-日 () - 6 130. 79 3 団体 2011年金メダル 2010-2011 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2011年4月24日-5月1日 () 3 80. 25 6 152. 72 5 232. 97 2011年2月15日-20日 () 1 83. 49 1 160. 51 1 244. 00 2010年12月24日-27日 () 4 74. 78 2 162. 01 3 236. 79 2010年12月9日-12日 () 3 82. 57 6 137. 20 4 219. 77 2010年11月12日-14日 () 2 78. 12 1 148. 95 1 227. 07 2010年10月22日-24日 () 1 78. 04 1 156. 75 1 234. 79 2010年10月2日-日 () - 2 159. 19 1 団体 銅メダル 2009-2010 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2010年3月24日-25日 () 1 89. 30 1 168. 40 1 257. 70 2010年2月14日-27日 () 3 90. 25 5 156. 98 3 247. 23 2009年12月25日-27日 () 1 92. 85 1 168. 28 1 261. 13 2009年12月3日-6日 () 1 89. 95 5 134. 65 5 224. 60 2009年11月19日-22日 () 2 75. 30 1 155. 01 2 231. 31 2009年11月5日-8日 () 4 78. 18 4 136. 11 4 214. 29 2009年10月8日-11日 () 1 83. 23 2 141. 02 1 224. 25 金メダル 2007-2008 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2008年4月20日-日 () - 4 127. 23 1 団体 2008年3月17日-23日 () 3 80. 40 6 139. 71 4 220. 11 2008年2月11日-17日 () 1 88. 57 1 175. 84 1 264. 41 2007年12月26日-28日 () 1 85. 43 1 169. 15 1 254. 58 2007年12月13日-16日 () 1 84. 20 2 154. 74 2 238. 94 2007年11月29日-12月2日 () 2 77. 89 1 156. 33 1 234. 22 2007年10月25日-28日 () 1 80. 04 2 148. 93 1 228. 97 銀メダル 2006-2007 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2007年3月20日-25日 () 3 74. 51 1 163. 44 2 237. 95 2007年1月17日-27日 () 1 78. 90 1 161. 58 1 240. 61 2006年12月27日-29日 () 1 85. 55 1 170. 53 1 256. 08 2006年12月14日-17日 () 2 79. 99 3 144. 84 2 224. 83 2006年11月30日-12月3日 () 1 84. 44 1 163. 49 1 247. 93 2006年11月2日-5日 () 1 78. 80 2 129. 41 2 208. 21 2005-2006 シーズン 開催日 大会名 SP FS 結果 2006年5月14日-日 () - 2 141. 10 1 団体 2006年2月10日-26日 () 5 73. 77 9 131. 12 8 204. 89 2005年12月23日-25日 () 2 74. 52 1 148. 60 1 223. 12 2005年12月16日-18日 () 3 74. 60 3 137. 92 3 212. 52 2005年12月1日-4日 () 1 77. 70 3 127. 60 3 205. 30 2005年10月20日-23日 () 1 69. 10 1 149. 44 1 218. 54 2004-2005 シーズン 開催日 大会名 予選 SP FS 結果 2005年3月14日-20日 () 12 30. 13 7 72. 18 18 108. 04 15 210. 35 2005年2月14日-20日 () - 3 68. 46 2 123. 83 3 192. 29 2005年1月12日-22日 () - 2 1 1 2004年12月24日-26日 () - 5 59. 83 5 113. 84 6 173. 67 2004年11月18日-21日 () - 3 64. 16 11 71. 54 11 135. 70 2003-2004 シーズン 開催日 大会名 予選 SP FS 結果 2004年3月22日-28日 () 7 11 11 11 2004年1月19日-25日 () - 9 4 6 2003年12月25日-26日 () - 4 3 3 2003年11月13日-16日 () - 2 71. 31 5 123. 31 5 194. 62 2003年10月30日-11月3日 () - 5 61. 81 7 116. 99 7 178. 5 作曲: Batucada 作曲: 振付: ブエノスアイレスの冬 作曲: 振付:パスカーレ・カメレンゴ ピアノによるアメリのワルツ 映画『』より 振付: 2009-2010 eye 作曲: 振付:宮本賢二 映画『』より 作曲: 振付:パスカーレ・カメレンゴ Luv Letter by DJ OKAWARI 作曲: 振付:宮本賢二 2008-2009 映画『道』より 作曲:ニーノ・ロータ 振付:パスカーレ・カメレンゴ Ocean Waves 作曲: 振付:パスカーレ・カメレンゴ - 2007-2008 ヒップホップバージョン 作曲: 振付: 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ニコライ・モロゾフ バチェラレット ボーカル: 振付:宮本賢二 2006-2007 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ニコライ・モロゾフ ミュージカル『』より 作曲: 振付:ニコライ・モロゾフ ロクサーヌのタンゴ 映画『』より ボーカル: 振付:ニコライ・モロゾフ 2005-2006 ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より by 振付:ニコライ・モロゾフ 作曲: 振付:ニコライ・モロゾフ ノクターン 演奏: 振付:髙橋大輔 2004-2005 Nyah 映画『』より 作曲: 振付: 作曲: 振付:タチアナ・タラソワ 作曲: 振付:タチアナ・タラソワ 2003-2004 Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より 作曲:ハンス・ジマー 振付:タチアナ・タラソワ 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:タチアナ・タラソワ 砂漠のバラ by スティング 2002-2003 作曲: 振付: 映画『』より 作曲: 振付:リー=アン・ミラー - 2001-2002 ミュージカル『』より 作曲: 振付: 作曲: 振付:ロバート・ダウ - 表彰歴 [ ] 2001年• ・ 新人賞 2003年• ・国際競技大会優秀者表彰 2005年• 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰 2006年• スポーツ栄誉賞 2007年• 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰• 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 特別功労賞• 上月スポーツ賞 2010年• 県民栄誉賞• スポーツ特別顕彰• 市民栄誉賞 2014年• 岡山県スポーツ特別顕賞• 倉敷市市長特別賞• 倉敷市スポーツ特別功労章 2015年• 第49回ビッグスポーツ賞 フィギュアプロジェクト賞• 第26回 特別賞 主な出演 [ ] テレビ番組 [ ]• (2016年4月 - 2018年3月、) - 月1回出演 - キャスター• (2016年、) - オリンピアンキャスター(中継キャスター)• (2017年11月 - 2018年3月、) - MC• (2018年、) - オリンピアンキャスター(中継キャスター) CM・広報 [ ]• 2006年• ・「外回り? 篇」(2007年3月 - 、と共演)• 「TRUE BEAUTY篇」(2007年12月 - 、、、、、と共演)• 「私の挑戦・髙橋大輔篇」(2010年 - )• アサヒビール「夢への挑戦篇」(2010年 - 、、と共演)• アサヒビール「明日へつづく挑戦篇」(同上)• ・ 2010年7月 -• アサヒビール「ともに 明日へ編」(2011年4月 - 、、、、、、と共演)• アサヒ オフ(2011年4月 - 、と共演• 「記者会見篇」(2011年12月 -• 木下工務店「家がスケートリンク篇」(2013年9月 -• (2013年11月 - )• 木下工務店「練習篇」(2013年12月 -• 「アミノバイタル」• 「ママの公式スポンサー」キャンペーン(2013年12月 - 、と共演)• 「 21日間チャレンジ編」(2015年3月 - )• Blue-ray&DVD発売記念特別コラボ(2015年3月 - )• 「平昌2018冬季オリンピックキャンペーン 夢の舞台」篇(2018年1月 - 、と共演) - コーチ役• 「アースジェット ショー篇」(2020年5月 - ) 舞台 [ ]• presents「LOVE ON THE FLOOR」(2016年6月 - 7月、) - ゲストダンサー• presents「LOVE ON THE FLOOR 2017」(2017年6月、) - 主演ダンサー 出版物 [ ] 書籍 [ ]• ボクらの時代 自分を「美しく」見せる技術(、との共著。 、2008年8月1日)• be SOUL(、2010年1月27日)• 高橋大輔 OFFICIAL BOOK 200days バンクーバーまでの闘い(、2010年4月27日)• SOUL Up(祥伝社、2011年6月30日)• SOUL Up Exhibition(祥伝社、2011年6月30日)• それでも前を向くために be SOUL 2 (祥伝社、2013年10月31日)• 髙橋大輔写真集 氷艶2017『艶技』 ポニーキャニオン、2019年1月30日 CD [ ]• 高橋大輔 ~フェイヴァリット・ミュージック~(、2010年2月3日)• Daisuke Takahashi 2010-2011 season(ポニーキャニオン、2011年1月7日) DVD [ ]• 高橋大輔(ポニーキャニオン、2010年2月3日)• 高橋大輔 Plus(ポニーキャニオン、2011年1月7日)• 高橋大輔 D1SK(ポニーキャニオン、2014年1月29日)• 誰も知らない高橋大輔(ポニーキャニオン、2014年11月12日)• 高橋大輔 The Real Athlete(ポニーキャニオン、2015年8月19日) ブルーレイ [ ]• 高橋大輔 Anthology(ポニーキャニオン、2015年4月29日)• 高橋大輔 The Real Athlete(ポニーキャニオン、2015年8月19日) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• またの技術も高く、シニアに上がった頃から4回転ジャンプを得意としていた [ ]。 の公式練習では前人未到のを試みた。 では、共に4回転に挑んだ志の高さからに「You are my hero. 」と讃えられ固い握手を交わされた。 モロゾフは、髙橋のことを「頭ではなく、ハートで滑っている」「彼こそが、氷上のアーティスト」と評した。 従来の最高位は1977年の、2002年・2003年のの銅メダル。 モロゾフの織田へのコーチ就任は高橋には寝耳に水だった。 二人は相談した結果、「ライバルの織田と同じコーチではできない」として契約を解消するに至った。 なお、モロゾフはこの契約の1年以上前から織田にオファーを出し続けていた。 その後、モロゾフは高橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張し、「高橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、世界中のメディアに繰り返し主張、「自分なしではダイスケはどこにも行けない」とも発言していた。 だが、2011-2012シーズン終了後にモロゾフが高橋にコーチ就任をオファーし、再契約するに至った。 当時を振り返り高橋は「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」とコメントし、モロゾフは「4年前のことは申し訳なく思っていた。 彼はフィギュア史に残る選手。 自分の全てを注いで、彼の五輪メダル獲得に協力したい」とコメントしている。 ソチオリンピック以前の大会ではの作曲とされていた。 出典 [ ]• 2014年7月27日. 2016年2月1日閲覧。 『Cutting Edge 2008 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年12月、p. 『Cu tting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年1月7日閲覧。 高橋大輔「フィギュアスケートとスポーツビジネス」(2007年度卒業論文抄録集)(『身体運動文化フォーラム』第3号、173頁(2008年3月、関西大学身体運動文化学会)所収)。 バンクーバー五輪 日本代表選手団プロフィール 2010年2月20日閲覧。 2010年3位• 2011年6位• 2012年9位• 2013年8位• 2014年8位• ニッカンスポーツ 2014年2月14日. 2014年2月22日閲覧。 2014年10月14日, at the. 『NHK web news』2014年10月14日• 岡崎真「岡崎真のゼロからおぼえる新採点講座 第3回」『フィギュアスケートDays vol. 3』DAI-X出版、2007年5月、pp. 84-85• 108• 『氷上のアーティストたち』p. 140• 青嶋ひろ「振付師に聞く 第3回 ニコライ・モロゾフ」『フィギュアスケートDays vol. 2』DAI-X出版、2007年3月、pp. 100-102• 『誰も語らなかった 知って感じるフィギュアスケート観戦術』荒川静香、より• 『Cutting Edge 2008』p. 『日本経済新聞』2011年12月8日• 著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p. 140• 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p. 『Cutting Edge』p. 2012年10月6日, at the. (スポーツ報知 2011年10月6日)• 『Cutting Edge』p. 4, 11、『氷上のアーティストたち』pp. 145-148• 『Cutting Edge』p. 『COLORS』p. 『ワールドフィギュアスケート vol. 21』より• 2014年2月22日, at the. 『Sportiva』2008年03月24日• 『Number web』2012年6月18日• 『朝日新聞』2012年6月15日• NIKKEI NET、共同通信配信記事• 109• 2008年12月18日, at the. 『 - 高橋大輔からのメッセージ』2008年11月18日更新• 青嶋ひろの「試合を見て、まず感じたのはその場に居られない悔しさ」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp. 8-10• 高橋大今季絶望 右膝手術へ『朝日新聞』2008年11月18日付朝刊、14版、17面• 『47news』2009年7月23日更新、28日閲覧• 110• 『朝日新聞 夕刊「be」』2010年6月28日• - SANSPO. 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WEB 2016年3月10日. 2016年3月10日閲覧。 スポーツ報知. 2016年3月18日. の2016年3月20日時点におけるアーカイブ。 2016年3月18日閲覧。 NHK. 2017年11月1日. 2018年1月23日閲覧。 ORICON STYLE. 2016年12月22日. 2016年12月22日閲覧。 nifty news. 2018年1月9日. 2018年1月23日閲覧。 ステージナタリー 2016年2月18日. 2016年2月18日閲覧。 ステージナタリー 2017年6月16日. 2018年1月23日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (英語)• - バイオグラフィーとオリンピックでの成績 (英語)• 1897:• 1898:• 1899-1900:• 1901-1905:• 1906:• 1907-1911:• 1912-1913:• 1914:• 1922:• 1923:• 1924:• 1925-1928:• 1929:• 1930-1936:• 1937-1938:• 1939:• 1947:• 1948-1952:• 1953-1956:• 1957-1959:• 1960:• 1962:• 1963:• 1964:• 1965:• 1966-1968:• 1969-1970:• 1971-1973:• 1974:• 1975:• 1976:• 1977:• 1978:• 1979:• 1980:• 1981-1984:• 1985:• 1986:• 1987:• 1988:• 1989-1991:• 1992:• 1993:• 1994-1995:• 1996:• 1997:• 1998-2000:• 2001:• 2002:• 2003-2004:• 2005-2006:• 2007:• 2008:• 2009:• 2010:• 2011-2013:• 2014:• 2015-2016:• 2017:• 2018-2019: 1929:• 1930:• 1931:• 1932-1934:• 1935:• 1936-1937:• 1938:• 1939-1940:• 1946-1947:• 1949:• 1950:• 1952:• 1953:• 1954:• 1955:• 1956-1965:• 1966-1968:• 1969-1971:• 1972-1976:• 1977:• 1978:• 1979-1981:• 1982:• 1983-1986:• 1987-1988:• 1989:• 1990-1992:• 1993:• 1994:• 1995-1996:• 1997:• 1998:• 1999-2000:• 2001:• 2002:• 2003:• 2004:• 2005-2007:• 2008:• 2009:• 2010:• 2011:• 2012-2015:• 男子シングル• 1976:• 1977:• 1978:• 1979:• 1980:• 1981:• 1982:• 1983:• 1984:• 1985:• 1986:• 1987:• 1988:• 1989:• 1990:• 1991:• 1992:• 1993:• 1994:• 1995:• 1996:• 1997:• 1998:• 1999:• 2000:• 2001:• 2002:• 2003:• 2004:• 2005:• 2006:• 2007:• 2008-2009:• 2010:• 2011:• 2012:• 2013:• 2014:• 2015:• 2016:• 2017:• 2018:• 2019: 1979:• 1980-1981:• 1982:• 1983:• 1984:• 1985:• 1986:• 1987:• 1988:• 1989-1990:• 1991:• 1992-1993:• 1994:• 1995-1996:• 1997:• 1998-2000:• 2001:• 2002:• 2003:• 2004:• 2005:• 2006-2007:• 2008:• 2009:• 2010-2011:• 2012:• 2013:• 2014:• 2015-2016:• 2017:• 1980: (非開催)• 1981-1982:• 1983:• 1984: (非開催)• 1985:• 1986:• 1987: (非開催)• 1988-1989:• 1990:• 1991:• 1992:• 1993:• 1994-1997:• 1998-1999:• 2000-2001:• 2002:• 2003:• 2004:• 2005:• 2006:• 2007:• 2008:• 2009:• 2010:• 2011:• 2012:• 2013-2014:• 2015:• 2016:• 31:• 32:• 33-34:• 35:• 36:• 37:• 38:• 39:• 40:• 41-46: 中止• 47:• 48: 中止• 49:• 50:• 51:• 52:• 53:• 54:• 55:• 56:• 57:• 58:• 59:• 60:• 61:• 62:• 63:• 64:• 65:• 66:• 67:• 68:• 69:• 70:• 71:• 72:• 73:• 74:• 75:• 76:• 77:• 78:• 79:• 80:• 81:• 82:• 83-84:• 85:• 86:• 87-88:• 89:• 90-91:• 92:• 93:• 94:• 95:• 96:• 97-98:• 99:• 2000:• 01:• 02:• 03:• 04:• 05:• 06:• 07:• 08-09:• 10:• 11-12:• 13:• 14:• 15:• 16:• 17:• 18: 19:• 開催年は年度• 男子S•

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「AERA増刊 髙橋大輔 挑戦者の軌跡」を緊急発売! 蜷川実花撮影の秘蔵カットも掲載 全日本選手権での「シングル最後の舞」を完全ルポ 今季限りで男子シングルから引退、アイスダンスに転向することを発表している髙橋選手。 巻末には、AERA 4月29日-5月6日合併号で本誌表紙フォトグラファー蜷川実花が撮り下ろした秘蔵写真の中から、未公開の5点を使ったグラビアも掲載。 記録にも記憶にも残る希代のフィギュアスケーターの「挑戦」をこの1冊に封じ込めました。 「髙橋大輔」という名前が初めて朝日新聞に登場したのは、2002年1月22日。 北海道帯広市などで行われたスケート高校総体の男子シングルで、1年生の髙橋選手がショートプログラムで首位に立ったことを伝える記事でした。 あれから約18年。 バンクーバー五輪で日本フィギュア男子シングル初のメダリストとなった髙橋選手は、今季限りで男子シングルから引退し、2020年からはアイスダンスで22年北京五輪を目指すことを発表。 12月19日から22日にかけて、東京・代々木で行われた全日本選手権で、「男子シングル最後の舞」を披露しました。 1月10日に緊急発売する「AERA増刊 髙橋大輔 挑戦者の軌跡」では、全日本選手権でのショートプログラム、フリースケーティングを完全ルポします。 さらに、高校総体から3度の五輪、氷上で光源氏を演じた「氷艶」など、朝日新聞グループの媒体が掲載してきた髙橋大輔選手に関する主要な記事を経年で収録。 10代の髙橋選手の美意識を「髪形七変化」と書いた記事や、バンクーバー五輪直前の浅田真央さんとの対談、今年4月の単独インタビューも含まれています。 写真も、8000枚を超えるストックの中から厳選。 2002年、15歳で世界ジュニアを制した際のあどけなさの残る表情や、2007年のスケートアメリカで世界を驚かせたショートプログラム「白鳥の湖 ヒップホップバージョン」の決めポーズ、バンクーバー五輪のフリースケーティング「道」の始まりを目を閉じて待つ瞬間、2014年に一度引退した際の記者会見での母との2ショットなどを収録しました。 巻末のスペシャルグラビアには、AERA 4月29日-5月6日合併号用に本誌表紙フォトグラファー蜷川実花が撮影した秘蔵写真の中から、未公開カット5点を掲載。 透け感のある黒いチュールを使ったセットのなかで、自在に舞いながらカメラを見つめる髙橋選手の「挑戦者の視線」をとらえています。 19-12. 18-12. 23 野口美恵 長光歌子コーチとの21年間 「彼がフィギュアに出逢った奇跡」 野口美恵 荒川静香が語る「髙橋大輔」 見る人の心に火を付けた [2001-2005] 天賦の才能が開花した あの泣き虫が王者になった ジュニアの頂点の次は「五輪に出たい」 [2005-2006] トリノ五輪がくれた手応え 切磋琢磨でもっと強く つかみ取った1枠で8位入賞 [2006-2009] 唯一無二のスケーター誕生 ヒップホップに世界が驚嘆 異色の白鳥で観客を味方につけた [2009-2010] バンクーバーで涙の銅 道ですべてを表現した 「五輪の銅」に日本中が沸いた [2010-2013] 世界の頂点が遠のいた いまのままでは勝てない 挫折を乗り越えて自信を取り戻した [2013-2014] ソチのリンクに感謝を込めて 感じるままに演じ切った 最後の五輪で見せた葛藤と笑顔 [2014-2019] 引退と復活の後のドラマ 挑戦することを楽しみたい スケートと向き合って答えを出した 髙橋大輔 公式戦の記録 髙橋大輔の軌跡 巻末スペシャルグラビア photo by Tetsuo Kimura アエラがとらえた髙橋大輔 photo by Mika Ninagawa 編集後記.

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シングル卒業・髙橋大輔“もうひとつの挑戦”2019全日本公式練習4回転集

髙橋大輔

日本が、世界が試練に見舞われている今、世界選手権に続き、春夏のお楽しみであるアイスショーも延期や中止となっています。 先行き不透明な日々に不安も募りますよね…。 まず最初は髙橋大輔選手。 アイスダンスカップルの村元哉中選手が、4月10日にあげてくれた彼女のインスタグラムにて、久しぶりの姿を見せてくれました。 (村元選手のインスタグラムは) アメリカ・フロリダ州での練習初日の写真とのことでしたが、そこに添えられた「大ちゃんと私は、毎日の健康管理欠かさずに無事です!」というコメントに、ファンの皆さんもほっとされましたよね。 髙橋選手編の前編である本記事では、アイスショーや氷上舞台での活躍ぶりをまとめたもの、4月28日配信予定のでは髙橋大輔選手のインタビューを中心にした記事をまとめて再配信します。 収束したその先に、スケーターの皆さん、フィギュアスケートを愛する皆さんとまた元気に会える日が来ることを信じて、いまはできる限り家で健やかに過ごしたいと思います。 Stay home. Believe our future! 髙橋大輔選手主演の氷上エンターテインメント『氷艶hyoen2019-月光かりの如く-』公演決定! 2017年夏に催された『氷艶hyoen 2017ー破沙羅ー』は、フィギュアスケートと歌舞伎の融合という、いまだかつてない試みと、壮大なスケールの物語性で衝撃的な作品でした。 (中略)その第2弾に、こんなに早く、そしてまさか髙橋選手が現役中のいま、出会うことができるとは! 氷上音楽劇「氷艶hyoen 2019ー月光かりの如くー」。 その千秋楽リポをお届けします。 フレンズ オン アイス2019がロック会場に!髙橋大輔選手、宇野昌磨選手が新作を初公開 2019年8月30日 金 〜9月1日 日 、新横浜にて開演されたフレンズ オン アイス2019。 毎年、夏の終わりと秋の訪れを伝えてくれるフレンズ オン アイスですが、今年の会場はいつにも増してヒートアップしていました。 髙橋大輔選手、村元哉中選手がアイスダンスカップルに! 2019年9月30日。 横浜市内で行われた、髙橋大輔選手と村元哉中 かな 選手の囲み取材へ行って来ました! 2020年。 新生・髙橋大輔の情熱が爆発!アイスダンサー、永遠の表現者として始動 新生・髙橋大輔。 2020年1月10日〜12日にKOSE新横浜スケートセンターで行われた「ICE EXPLOSION 」において、髙橋選手の新たなステージへの跳躍、新時代の幕開けを目のあたりにすることができました。

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