嗚呼 類語。 貧すれば鈍する

「ブラッシュアップ」の正しい意味や使い方、英語表現も紹介!

嗚呼 類語

四字熟語は、その四文字の中に多くの情報や意味を含みます。 また、四つの漢字のみで構成されていることによって、表現の幅を広げることにも成功しています。 日本独自の四字熟語も数多くありますが、中国の故事や仏典に由来する四字熟語はさらに多く、慣用句的に使われているものもあれば、四文字で情景を映し出し、その情景の中から多種多様な意味を見いだせるものもあります。 今回は、中国の詩が出典である「柳緑花紅」という四字熟語について紹介していきましょう。 なお中国では、四字熟語のことを「四字漢語」または「四字成語」といいます。 「柳緑花紅」の出典とは? 「柳緑花紅」の出典については諸説ありますが、最も有力なのが中国の詩人「蘇軾 そしょく 」の漢詩です。 蘇軾は、11世紀中国北宋時代の詩人です。 書家、政治家としても有名で、禅の居士 在家の修行者 でもあったため「蘇東坡 そとうば)」と呼ばれることもあります。 中国の詩は、政治を論じているものもあれば、風流を詠んでいるもの、人生を突き詰めていくものもあります。 詩を作るために詩を書くのではなく、詩の中に「志」を表現するのが詩人であり、それが詩人の目標でもあったのでしょう。 蘇軾も例外ではなく、詩人・書家としてだけでなく、政治家として居士として、風流や人生を詠むことで、後生に秀逸な作品を数多く遺すことになったのでしょう。 「柳緑花紅」の読み方について 「柳緑花紅」の読み方についてですが、通常は「りゅうりょくかこう」と音読みをします。 訓で読むならば「やなぎはみどり、はなはくれない」ということになります。 「柳緑 りゅうりょく 」というのは青みの強い黄緑色のことで、通常の緑色に比べると黄味が強く少しくすみがあることから、自然の姿を表現する色として多くの人々に愛されています。 「柳緑花紅」の意味と使い方 風流としての「柳緑花紅」は、柳の淡い緑色と花の鮮やかな紅色、この二色が織りなす美しい景色を眺め、自然のままの美しさがどれほど素晴らしいものであるかを詠んでいます。 この世にあるものは、それぞれ異なっているが、それぞれに自然の道理が備わっています。 「柳緑花紅」の言葉からは、ありのままの自然の姿こそがこの世の真実である、ということも読みとることもできます。 「柳緑花紅」に込められたものとは? 「柳緑花紅」を読み取ることで、柳や花が美しく色づく情景を見て、あるがままの姿がいかに尊いかを見つめ直すことができます。 さらに「柳緑花紅」という言葉を深く読み込んでいくと、もうひとつのテーマも見えてきます。 柳が緑色であることも、花が紅色に咲き誇ることも、自然の美しさ表わしていると同時に、季節が終わればはかなく散っていきます。 つまり、自然の産物である私たち人間も含め、命には限りがあることを表しています。 「柳緑花紅」は、その限られた時間の中でどのように自分自身を輝かせればいいのかということを、改めて考えさせてくれます。 禅語としての「柳緑花紅」 禅語は、禅宗の僧侶たちの逸話、経典などに使われている言葉で、私たちが生きていく上で大切なことを示唆してくれるものが数多くあります。 禅の居士でもあった蘇軾の詩の中にある「柳緑花紅」は、「禅語」として後生に長く伝えられてきました。 「柳緑花紅」は、日本の禅僧や禅の研究者たちも、さまざまな視点から解説されています。 例えば、禅僧柴山全慶の著書「禅林句集」には「見たまま、そのまま、いずれも真理の具体相。 悟りの現われ」と記載があります。 中川渋庵の著書「禅語字彙」には「色も違い形も異なるが、いずれも真如法界の表相で、差別のまま真実平等の性相を現している」と書かれています。 また、禅・哲学の研究者である古賀英彦の著書「禅語辞典」には「あらゆるものが、それぞれの在りように安らいでいるさま」とあります。 「柳緑花紅」は、自分の心に向き合ったり、生き方を見直したりすることの大切さを示唆しているのではないでしょうか。 「柳緑花紅」の使い方 毎年季節は巡り、自然界は季節ごとにふさわしい情景を私たちに見せてくれます。 春が来れば柳が緑の葉をつけ、花が紅色に咲き誇るという情景は、間違いなく真実です。 素直な心でその真実を受け止めて「美しい」「ありがたい」と思うことは、決して難しいことではありません。 しかし私たちは、自分を取り巻く社会の中で、素直な心で真実を受け止めているでしょうか。 例えば、人が善いことを行っているのを見て、「要領よく立ち回ったのではないか」と疑ったり、「あんなことは自分にもできる。 先を越されてしまった」と妬んだりしていないでしょうか。 素直な心で受け止めれば、目の前のできごとを「すばらしい」と感じることができます。 自分の中で邪な気持ちがよぎってしまったときは、「柳緑花紅」の情景に感動できる自分を思い出すようにしましょう。 「柳緑花紅」の季節 禅語には「柳緑花紅」のように、自然の美しさや素晴らしさを詠んでいる四字熟語が数多くあります。 その中でも、春ののどかな風景が浮かび上がってくるような類語をここでご紹介しましょう。 「桃紅柳緑」 「桃紅柳緑」は「とうこうりゅうりょく」と読みます。 中国唐の詩人であり、画家でもあった王維 おうい の作品「田園樂」の中の詩で詠まれている四字熟語です。 桃の花は紅色、柳の葉は緑色と、それぞれの木が持っている特色をあるがままに詠んでいて、数多くの色彩を楽しむことのできる春の情景を浮かび上がらせてくれます。 「鳥語花香」 「鳥語花香」は「ちょうごかこう」と読みます。 中国北宋~南宋の詩人である呂本中 りょほんちゅう)の作品「庵居」の中に出てくる四字熟語です。 鳥語とは鳥のさえずりのことを言い、花香はその文字どおり、花々のかぐわしい香りのことを表わし、のどかな春の情景を詠んでいます。 目で見た光景だけでなく、聞こえてくる鳥のさえずりと、鼻孔をくすぐる花の香りによって、春という季節を聴覚や嗅覚で感じていることが読み取れて、奥行きのある春景色を表しています。 「柳暗花明」 「柳暗花明」は「りゅうあんかめい」と読みます。 中国宋の詩人で政治家でもあった陸游 りくゆう の「遊山西村」の詩の中に出てくる四字熟語です。 柳暗とは、生い茂った柳葉が陰を作り暗くなっている様子を表わし、花明は、明るい色で咲き誇る花々を表わします。 柳葉によって仄暗くなっている場所から抜け出すと、そこには色鮮やかな花々が織りなす美しい情景が広がっている。 そんな風景を想像することができます。 「明」と「暗」を対比させることで、春の美しさがより際だって感じられます。 「柳緑花紅」の反対語 「柳緑花紅」を「柳は緑、花は紅」と読むのに対し、「柳不緑花不紅」は「柳は緑ならず、花は紅ならず」と読みます。 春という季節の中では、柳は確かに緑の葉をつけ、花は紅色に咲き誇ります。 しかし、その美しい情景を楽しめるのはそれほど長い期間ではありません。 柳は葉を落とし、花も色褪せていきます。 柳は一生を通して緑色であるわけでは時期なく、花も紅ではない時期もあります。 しかし柳が柳でなくなるわけではなく、花が花でなくなるわけではありません。 季節が巡れば、また美しい色で春を彩ってくれます。 悩み苦しむことがあったとしても、それは次の季節のための助走期間です。 そのことを信じて受け止められる人が、やがて輝かしい春を迎えることができるのでしょう。 ありのままの自分を大切に.

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「ご笑覧」の意味と使い方・類語・例文・敬語・読み方|ビジネス

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先ほども述べましたが、一般的な使い方としては「嗚咽を漏らす」です。 この形が一番「嗚咽」には馴染む使い方です。 「声を押し殺していたが、思わず漏れてしまうすすり泣きの声」を指します。 様々な文章や小説においても登場回数は最多の使い方です。 例文として、数種類紹介します。 ・雨の中肩を震わせ、嗚咽を漏らしていた。 しばらくすると、彼女は泣く事をやめ顔を上げた。 ・彼女は耐えきれないように、かすかな嗚咽を漏らした。 ・急にしゃっくりのような嗚咽を漏らして泣きだした。 ・彼女は嗚咽を漏らしながら、訊ね返す手を自分へと導いた。 ・嗚咽を漏らしながら、その場で泣き崩れた。 ・そして耐えきれないように、彼女はかすかな嗚咽を漏らした。 ・唸るような嗚咽の声を漏らして身悶える。 ・嗚咽を漏らして泣き出した。 「嗚咽をこらえる」とは、「嗚咽」を漏らさない為に我慢をする状態を指し示す際に使います。 今にも漏れ聞こえそうなすすり泣きの声をこらえている状態です。 「嗚咽が漏れる」とは反対の状態になります。 こらえきれずに漏れてしまうのが、「嗚咽」なのであまり多くは使用されていませんでした。 「嗚咽が出る」と同様に時と共に変化した用法だと考えられています。 例文として、数種類紹介します。 ・それは嗚咽をこらえたようにも見えた。 ・人々が見守る中、彼はうずくまったまま必死で嗚咽をこらえていた。 ・嗚咽をこらえる必要も余裕もなく、声をあげて泣いた。 ・彼女は嗚咽をこらえながら話を聞いていた。 ・嗚咽をこらえる子供のように、震ふるえる声で彼は話し始めた。

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嗚呼 類語

基本データ• 成立年: 明治35年()• 作詞者: (生-没)• 作曲者: 楠正一(生-没) - 原曲はだったが、化して広まった。 作者を上記の者以外とする誤記が散見されるが、これは大正期までにさかのぼる。 歌詞の出版権はコロムビアソングス株式会社が保有し、信託楽曲であった。 作詞者である矢野の死後50年を経過した2011年より、日本のにおいて著作権保護期間を満了している。 矢野によれば、当初は和文調の歌詞であったが先に曲ができてしまい、楠等の意向により漢文調の歌詞に改めたという。 内容 自治の理想と救国の使命に燃えるエリートの心意気を歌っている。 昨今の寮歌祭の傾向として、「十余年」 を原歌詞の通り 「十二年」 として歌うことが多い。 なお歌詞中「向ヶ丘にそそり立つ 五寮の健児意気高し」とあるのは、当時一高の校地が向ヶ丘すなわち本郷弥生町(現在は)の丘陵に所在していたことを反映したものであり、その後東大農学部との校地交換で一高はに移転、にともなう廃校まで存続した。 影響(替え歌など) 旧制第一高等学校の中のみならず、女学生や演歌師らによって世間一般にも広められたため、メロディーを利用した数多くの替え歌が存在する。 多くは短調化した曲が使われた。 学校歌 (特に) をルーツとする学校に多くの例がある。 たとえば、(旧制下妻中学)の校歌のメロディーは嗚呼玉杯と全く同じである。 その他の歌• 『仰げば巍々たる』 (。 明治35年。 作詞者不詳)• 『』 (革命歌。 明治41年。 築比地仲助 作詞)• 『アジアにつゞく北欧の』(ロシア革命の歌。 大正8年)• 『ああ解放の旗高く』 (水平歌 解放歌。 大正11年。 柴田啓蔵 作詞) - の歌• 『人類文化の実権を』(横浜市電共和会々歌。 大正13年)• 『戦いここに一と年の』(組合同盟一周年記念歌。 大正15年)• 『赤旗の下に我れ立ちて』(鉱夫の歌。 大正末)• 『きけイエス君の』 (歌 319番。 作詞) - 長調 文学• 『』 ( 著。 少年小説。 『』 ( 著。 少年小説。 2度映画化された。 他) 現在• 歌われる機会は減っているが、にて、の攻撃時にの主導により、アップテンポバージョンの1、2、5番が歌われる。 のファイヤーストームでも歌われている。

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