源氏物語須磨の秋 品詞分解。 3分で読む源氏物語・あらすじ/橋姫~宇治の山里に住む二人の姫君

源氏物語須磨の秋品詞分解現代語訳助動詞敬語

源氏物語須磨の秋 品詞分解

『須磨・心づくしの秋風』 「黒=原文」・ 「赤=解説」・「 青=現代語訳」 須磨 =名詞 に =格助詞 は =係助詞 いとど =副詞、いよいよ、ますます。 その上さらに 心づくし =名詞、深く気をもむこと、さまざまに思い悩むこと の =格助詞 秋風 =名詞 に =格助詞 海 =名詞 は =係助詞 少し =副詞 遠けれ =ク活用の形容詞「遠し」の已然形 ど =逆接の接続助詞、活用語の已然形につく 須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、 須磨では、ますます物思いを誘う秋風のために、海は少し遠いけれども、 行平 =名詞 の =格助詞 中納言 =名詞 の =格助詞 関 =名詞 吹き越ゆる =ヤ行下二段動詞「吹き越ゆ」の連体形 と =格助詞 言ひ =ハ行四段動詞「言ふ」の連用形 けむ =過去の伝聞の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形。 基本的に「けむ」は文末に来ると「過去推量・過去の原因推量」、文中に来ると「過去の伝聞・過去の婉曲」 浦波 =名詞 夜々 =名詞。 掛詞、「夜」と浦波が「寄る」という意味に掛けられている。 は =係助詞 げに (実に)=副詞、なるほど、実に、まことに。 本当に いと =副詞 近く =ク活用の形容詞「近し」の連用形 聞こえ =ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の連用形 て =接続助詞 行平の中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、 行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだとかいう浦波が、夜ごとに実にすぐ近くに聞こえて、 またなく =ク活用の形容詞「またなし」の連用形、またとない、二つとない あはれなる =ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連体形。 「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。 しみじみと思う、しみじみとした情趣がある もの =名詞 は =係助詞 かかる =連体詞、あるいはラ変動詞「かかり」の連体形、このような、こういう 所 =名詞 の =格助詞 秋 =名詞 なり =断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 けり =詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。 またとなくしみじみと心にしみて感じられるものは、こういう土地の秋なのであった。 御前 (おまえ)=名詞、意味は、「貴人」という人物を指すときと、「貴人のそば」という場所を表すときがある。 に =格助詞 いと =副詞 人少なに =ナリ活用の形容動詞「人少ななり」の連用形 て =接続助詞 うち休み =マ行四段動詞「うち休む」の連用形 わたれ =補助動詞ラ行四段「わたる」の已然形、一面に~する、全員~する。 ~し続ける、絶えず~する る =存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 に =格助詞 一人 =名詞 目 =名詞 を =格助詞 覚まし =サ行四段動詞「覚ます」の連用形 て =接続助詞 御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、 御前に(お仕えする)人もたいそう少なくて、(その人たちも)全員眠っている時に、一人目を覚まして、 枕 =名詞 を =格助詞 そばだて =タ行下二段動詞「そばだつ」の連用形 て =接続助詞 四方 =名詞 の =格助詞 嵐 =名詞 を =格助詞 聞き =カ行四段動詞「聞く」の連用形 給ふ =補助動詞ハ行四段「給ふ」の連体形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 に =接続助詞 波 =名詞 ただ =副詞 ここもと =代名詞、この近く、すぐそば に =格助詞 立ち来る =カ変動詞「立ち来(たちく)」の連体形 心地し =サ変動詞「心地す」の連用形 て =接続助詞 枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地して、 枕を立てて頭を高くして、四方の激しい嵐の音をお聞きになると、波がすぐそばまで打ち寄せてくるような気がして、 涙 =名詞 落つ =タ行上二段動詞「落つ」の終止形 と =格助詞 も =係助詞 おぼえ =ヤ行下二の動詞「覚ゆ」の未然形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「可能」の意味で使われている。 ぬ =打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形 に =接続助詞 枕 =名詞 浮く =カ行四段動詞「浮く」の連体形 ばかり =副助詞、(程度)~ほど・ぐらい。 (限定)~だけ。 に =格助詞 なり =ラ行四段動詞「成る」の連用形 に =完了の助動詞「ぬ」の連用形、接続は連用形 けり =過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形 涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。 涙が落ちたとも気が付かないのに、(涙で)枕が浮くほどになってしまった。 琴 =名詞 を =格助詞 少し =副詞 かき鳴らし =サ行四段動詞「かき鳴らす」の連用形 給へ =補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 る =完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形。 直後に「音」が省略されているため連体形となっている。 もの寂しい、おそろしい、恐ろしいぐらい優れている 聞こゆれ =ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の已然形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 琴をすこしかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、 琴を少しかき鳴らしなさった音が、我ながらひどく物寂しく聞こえるので、 弾きさし =サ行四段動詞「弾き止す」の連用形。 「止す(さす)」は接尾語、~しかける、途中でやめる、と言った意味がある 給ひ =補助動詞ハ行四段「給ふ」の連用形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 て =接続助詞 弾きさし給ひて、 途中で引くのをおやめになって、 恋ひわび =バ行上二動詞「恋ひ侘ぶ」の連用形、恋に思い悩む、恋しんでつらく思う「侘ぶ(わぶ)」=つらく思う、困る て =接続助詞 泣く =カ行四段動詞「泣く」の連体形 音 =名詞 に =格助詞 まがふ =ハ行四段動詞「紛ふ」の連体形、似通っている。 入り混じって区別ができない。 浦波 =名詞 は =係助詞 思ふ =ハ行四段動詞「思ふ」の連体形 方 =名詞 より =格助詞、(起点)~から、(手段・用法)~で、(経過点)~を通って、(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや 風 =名詞 や =疑問の係助詞、結びは連体形となる。 係り結び。 吹く =カ行四段動詞「吹く」の終止形 らむ =現在推量の助動詞「らむ」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。 係助詞「や」を受けて連体形となっている。 係り結び。 恋ひわびて 泣く音にまがふ 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ 恋しさにつらく思って泣く声に似通って聞こえる浦波の音は、私が恋しく思う人たちのいる(都の)方角から風が吹いてくるためだからであろうか。 と =格助詞 歌ひ =ハ行四段動詞「歌ふ」の連用形 給へ =補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 る =存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 に =接続助詞 人々 =名詞 おどろき =カ行四段動詞「おどろく」の連用形、目を覚ます、起きる。 はっと気づく て =接続助詞 めでたう =ク活用の形容詞「めでたし」の連用形が音便化したもの、みごとだ、すばらしい。 魅力的だ、心惹かれる。 おぼゆる =ヤ行下二段動詞「覚ゆ」の連体形。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 に =接続助詞 忍ば =バ行四段動詞「忍ぶ」の未然形、我慢する、こらえる。 人目を忍ぶ、目立たない姿になる れ =可能の助動詞「る」の未然形、接続は未然形。 「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味がある。 平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられた。 平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。 鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。 で =打消の接続助詞、接続は未然形。 と歌ひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、 とお歌いになっていると、人々は目を覚まして、すばらしいと感じられるのにつけても、こらえられず、 あいなう =ク活用の形容詞「あいなし」の連用形が音便化したもの、わけもなく。 つまらない。 気に食わない。 鼻 =名詞 を =格助詞 忍びやかに =ナリ活用の形容詞「忍びやかなり」の連用形、ひそかに、そっと、人目を忍ぶ様子だ かみわたす =サ行四段動詞「かみわたす」の終止形 わたす=補助動詞サ行四段、各々が~する。 一面に~する。 ずっと~する。 あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。 わけもなく起き上がっては、人目を忍んで鼻を各々かむのである。 続きはこちら lscholar.

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源氏物語『須磨』(げにいかに思ふらむ、~)解説・品詞分解

源氏物語須磨の秋 品詞分解

「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜後編〜」の現代語訳(口語訳) 須磨にわび住まいする光源氏は、昼は書や画 えをかいたり、お供の者と雑談したりして過ごしていた。 前栽 せんざいの花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出 いで給ひて、たたずみ給ふ御 おほんさまのゆゆしう清らなること、所がらはましてこの世のものと見え給はず。 庭先の花が色とりどりに咲き乱れて、趣のある夕暮れに、海が見渡される廊にお出ましになって、たたずんでいらっしゃる(光源氏の)お姿が不吉なまでにお美しいことは、(須磨という)場所柄いっそうこの世のものとはお見えにならない。 白き綾 あやのなよよかなる、紫苑 しをん色など奉りて、こまやかなる御直衣 なほし、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、 白い綾織物の単で柔らかなものに、紫苑色の指貫などをお召しになって、濃い縹色の御直衣に、帯を無造作にしてくつろぎなさっているお姿で、 「釈迦牟尼仏弟子 さかむにぶつのでし」と名のりてゆるるかに誦 よみ給へる、また世に知らず聞こゆ。 「釈迦牟尼仏弟子」と名のってゆっくりと(お経を)お読みになっているお声が、同様にこの世のものとも思われないほど(尊く)聞こえる。 沖より舟どものうたひののしりて漕 こぎ行くなども聞こゆ。 沖を通っていくつもの舟が(舟歌を)大声で歌って漕いでいく声なども聞こえる。 ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも心細げなるに、雁 かりの連ねて鳴く声楫 かぢの音 おとにまがへるを、 (舟の影が)かすかに、ただ小さい鳥が浮かんでいるかのように(遠く)見えるのも心細い感じであるうえに、雁が列をなして鳴く声が(舟を漕ぐ)楫の音によく似ているのを、 うちながめ給ひて、涙のこぼるるをかき払ひ給へる御手つき、黒き御数珠 ずずに映え給へるは、ふるさとの女恋しき人々の、心みな慰みにけり。 物思いにふけってぼんやりとご覧になって、涙がこぼれるのをお払いになっているお手つきが、黒い御数珠に(ひとしお)引き立っていらっしゃるそのご様子には、故郷(都)の女を恋しく思う供人たちは、心もすっかり慰められたのであった。 光源氏 初雁 はつかりは恋しき人の列 つらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき 初雁は都にいる恋しい人の仲間なのだろうか、旅の空を飛ぶ声が悲しく聞こえてくるよ。 とのたまへば、良清 よしきよ、 と(光源氏が)おっしゃると、良清は、 かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世のともならねども (あの声を聞いていると、)次々と昔のことが思い出されます。 雁は都にいたその当事の友ではありませんが。 民部大輔 みんぶのたいふ、 民部大輔(惟光)は、 心から常世 とこよを捨ててなく雁を雲のよそにも思ひけるかな 自分の意思で(故郷の)常世の国を捨てて鳴いている雁を、(今までは)雲のかなたのよそごとと思っていたことでした。 前右近将監 さきのうこんのぞう、 前右近将監は、 「常世出でて旅の空なるかりがねも列におくれぬほどぞなぐさむ 「(故郷の)常世の国を出て旅の空にいる雁も、仲間に後れないで(いっしょに)いる間は心が慰みます。 友惑はしては、いかに侍 はべらまし。 」と言ふ。 友を見失っては、どんなでございましょうか。 (みんなといっしょにいられるから慰められるのです。 )」と言う。 親の常陸 ひたちになりて下りしにも誘はれで、参れるなりけり。 (この人は)父が常陸介になって(任国に)下っていったのにもついていかないで、(光源氏のお供をして須磨に)参っているのであった。 下には思ひくだくべかめれど、誇りかにもてなして、つれなきさまにし歩 ありく。 内心では思い悩んでいるようであるが、(表面では)得意げに振る舞って、平気な様子で日々を過ごしている。 月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵 こよひは十五夜なりけりと思 おぼし出でて、殿上 てんじやうの御遊び恋しく、ところどころながめ給ふらむかしと、思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。 月がとても美しく輝いて出てきたので、(光源氏は)今宵は(八月)十五夜だったのだとお思い出しになって、殿上の管絃の御遊びが恋しくなり、都にいる、光源氏と交渉の深かった女性方も(今頃この月を)眺めて物思いにふけっていらっしゃることであろうよと、思いをはせなさるにつけても、月の面ばかりをお見つめになってしまう。 「二千里外故人心 じせんりぐわいこじんのこころ」と誦 ずじ給へる、例の涙もとどめられず。 「二千里外故人の心」と(白居易の詩の一節を)吟誦なさると、(それを聞く供人たちは)いつものように涙を抑えることもできない。 入道の宮の、「霧やへだつる」とのたまはせしほどいはむ方なく恋しく、折々のこと思ひ出で給ふに、よよと泣かれ給ふ。 藤壺の宮が、「霧やへだつる」とお詠みになった折のことが言いようもなく恋しく、その折あの折のことをお思い出しになると、思わず声をあげて泣いてしまわれる。 「夜更け侍りぬ。 」と聞こゆれど、なほ入り給はず。 「夜が更けてしまいました。 」と(供人が)申し上げるけれど、やはり奥にお入りにならない。 光源氏 見るほどぞしばしなぐさむめぐりあはむ月の都は遥 はるかなれども 月を見ている間だけは、しばらく心が慰められる。 月の都がはるかかなたにあるように、恋しい人々のいる京の都は遠く、再び巡り会える日は、はるかに先のことであるけれども。 その夜、上 うへのいとなつかしう昔物語などし給ひし御さまの、院に似奉り給へりしも、恋しく思ひ出で聞こえ給ひて、「恩賜の御衣 ぎよいは今此 ここに在り」と誦じつつ入り給ひぬ。 (藤壺の宮から「霧やへだつる」の歌を贈られた)その夜、帝(兄の朱雀帝)がとても親しみ深く昔の思い出話などをしなさったお姿が、院(故桐壺の院)に似申していらっしゃったことも、恋しく思い出し申し上げなさって、「恩賜の御衣は今ここに在り」と吟誦しながら奥にお入りになった。 御衣 おほんぞはまことに身はなたず、傍らに置き給へり。 (帝からいただいた)御衣は(道真の詩にあるとおり)本当に身辺から離さず、おそばにお置きになっていらっしゃる。 光源氏 憂しとのみひとへにものは思ほえでひだりみぎにもぬるる袖かな 帝をいちずに恨めしいとばかりも思うことができず、(帝の恩寵を懐かしくしのぶ気持ちもあって、)左でも右でもそれぞれの涙で濡れる袖であることよ。 【須磨】 光源氏は須磨から明石 あかしへと移り、そこで明石の君と契り、やがて明石の姫君と呼ばれる子をもうけることになる。 須磨への退居から二年半後、光源氏は都に呼び戻され、政界に復帰する。 白き綾 白い綾織物の単 ひとえ。 紫苑色 表は薄紫、裏は青の指貫 さしぬき(袴 はかまの一種)のことか。 こまやかなる御直衣 ここは濃い縹 はなだ色の御直衣。 「直衣」は、貴族の平常服。 釈迦牟尼仏弟子 経文 きょうもんを読み上げる時などに、最初に「釈迦牟尼仏弟子なにがし」と名のるのが習慣であった。 良清 播磨守 はりまのかみの子。 光源氏の腹心。 民部大輔 光源氏の乳母 めのと子、惟光 これみつのこと。 「民部大輔」は民部省の次官。 前右近将監 光源氏の従者。 「前右近将監」は右近衛府 うこんえふの第三等官を務めた者。 入道の宮 出家している藤壺の宮を指す。 上 帝(後の朱雀院)を指す。 光源氏の兄。 院 故桐壺の院。 御衣 帝から拝領した御衣。 恩賜の御衣。 出典 須磨 すまの秋 参考 「精選古典B(古文編)」東京書籍 「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版.

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源氏物語 源氏物語を読む 原文対訳 目次

源氏物語須磨の秋 品詞分解

白峰(一):雨月物語を読む 白峰(一):雨月物語を読む あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不盡の高嶺の煙、浮嶋がはら、清見が関、大磯小いその浦々、むらさき艶ふ武藏野の原、塩竃の和<なぎ>たる朝げしき、象潟の蜑が笘や、佐野の舟梁、木曾の棧橋、心のとゞまらぬわたぞなきに、猶西の國の哥枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を經て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行々讚岐の眞尾坂<みをざか>の林といふにしばらく杖を植<とゞ>む。 草枕はるけき旅路の勞にもあらで、觀念修行の便せし庵なりけり。 この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵ありと聞て、拝みたてまつらばやと、十月はじめつかたかの山に登る。 松柏は奧ふかく茂りあひて、青雲の輕靡<たなび>く日すら小雨そぼふるがごとし。 兒が嶽といふ嶮しき嶽背<うしろ>に聳<そば>だちて、千仭の谷底より雲霧おひのぼれば、咫尺をも欝悒<おぼつかな>きこゝちせらる。 木立わづかに間<すき>たる所に、土たかく積たるが上に、石を三かさねに疊みなしたるが、荊蕀薜蘿<うばらかづら>にうづもれてうらがなしきを、これならん御墓にやと心もわきくらまされて、さらに夢現をもわきがたし。 現にまのあたりに見奉りしは、紫宸清涼の御座<みくら>に朝政<おほまつりごと>きこしめさせ玉ふを、百の官人は、かく賢き君ぞとて、詔恐<みことかしこ>みてつかへまつりし。 近衞院に禪りましても、藐姑射<はこや>の山の瓊<たま>の林に禁<しめ>させ玉ふを、思ひきや麋鹿<びろく>のかよふ跡のみ見えて、詣でつかふる人もなき深山の荊<おどろ>の下に神がくれ玉はんとは。 万乘の君にてわたらせ給ふさへ、宿世の業といふものゝおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつゞけて涙わき出るがごとし。 終夜供養したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、經文徐<しづか>に誦しつゝも、かつ哥よみてたてまつる 松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり 猶心怠らず供養す。 露いかばわり袂にふかゝりけん。 日は沒りしほどに、山深き夜のさま常ならね、石の牀木葉の衾いと寒く、神清骨冷えて、物とはなしに凄じきこゝちせらる。 月は出しかど、茂きが林は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく圓位<えんゐ>々々とよぶ聲す。 眼をひらきてすかし見れば、其形異なる人の、背高く痩せおとろへたるが、顔のかたち着たる衣の衣紋も見えで、こなたにむかひて立るを、西行もとより道心の法師なれば、恐ろしともなくて、こゝに來たるは誰と答ふ。 かの人いふ。 前によみつること葉のかへりこと聞えんとて見えつるなりとて 松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな 喜しくもまうでつるよと聞ゆるに、新院の靈なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。 さりとていかに迷はせ玉ふや、濁世を厭離し玉ひつることのうらやましく侍りてこそ、今夜の法施に隨縁したてまつるを、現形し玉ふはありがたくも悲しき御こゝろにし侍り。 ひたぶるに隔生即忘して、佛果円滿の位に昇らせ玉へと、情をつくして諌め奉る。 (現代語訳) 逢坂の関守に許されて東国へ向かって以来、秋を迎えた山のモミジが見捨てがたくて、浜千鳥の跡踏む鳴海潟、富士の高嶺の煙、浮島が原、大磯小磯の浦々、紫匂う武蔵野の原、塩釜の海の凪いだ朝景色、象潟の海人が苫屋、佐野の船橋、木曽の桟橋など心のひかれないいところはなかったが、なお西国の歌枕も見たいと思い、仁安三年の秋は、葦が散る難波を経て、須磨明石の浦吹く風を身に染みながら、行く行く讃岐の眞尾坂というところに杖をとどめた。 旅の疲れをいたわるためではなく、仏堂修行の庵を結ぶためであった。 この里に近い白峰というところに、新院(崇徳院)の墓があると聞き、拝み奉ろうと思って、十月のはじめ頃にその山に登った。 松柏が山の奥深く茂り、青雲のたなびく日ですら小雨が降っているようなところだ。 兒が嶽という険しい山が背後にそば立ち、千仭の谷底から雲霧が立ち上ってくるので、咫尺を弁ぜぬほどである。 わずかな木の合間から、土を高く盛った上に、石を三段に積み重ね、その上に荊蕀薜蘿が覆いかぶさってうら悲しく見えるのが、これこそお墓だろうかと心が騒ぎ、夢うつつとも知れぬほどである。 新院に実際にお目にかかったのは、紫宸清涼の玉座で朝政をおとりなされていらしたときのことであった。 その頃は、百の官人たちが畏れ多き君と仰いで御仕え申していた。 近衞院に皇位をお譲りなされた後も、御殿でお住まいになられていらしたのを、今では麋鹿が通うばかりで、お仕えする人もない山奥の茨の下にお隠れになっていらっしゃるとは、思いもよらぬことである。 盤上の君でさえ、宿世の業という恐ろしいものにまとわりつかれて、罪を免れえないとはと、世の中のはかなさが思いやられて涙が出るほどである。 終夜供養申上げようと、お墓の上の平らな所に座を占めて、お経を徐に誦しつつ、次のように歌を読んでさしあげたのであった。 松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり なおも心怠らず供養する。 涙の露がそざ衣を濡らしたことであろう。 日が沈むほどに、山深き夜のさまは尋常ではなく、石の床や木の葉の衾がいたく寒く、心底骨まで冷えて、ものとはなしにすさまじい気持ちがする。 月は出たものの、密集した林は月の光を通さぬので、文目もわかたぬ闇に心わびしく、眠ることも出来ないでいると、まさしく圓位々々と呼ぶ声が聞こえる。 眼を開いて透かし見ると、異形で背が高く痩せ衰えた人が、顔の形や着物の模様も見えないままに、こっちへ向かって立っているのだが、西行はもとより道心の法師であるから、恐ろしいとも思わずに、そこにいるのは誰だと言った。 その人が答えて言うには、あなたが前に読んだ歌に返歌をしたいと思って出て来たのだ、と。 しかして、 松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな という歌を読んで、よくきてくれたと言ったので、西行はそれが新院の亡霊だとさとって、地に額づき、涙を流しながら言ったのだった。 「それにしても、なぜこのようにお迷いになられるのですか。 濁世を厭離して成仏なされたことをうらやましく存じ、今夜このようにお布施のお経を差し上げていましたのに、このように未練がましくお姿をあらわされるのは、悲しい限りでございます。 ただひたすら隔生即忘し、成仏なされませ」と情を尽くしてお諌め申上げたのである。 (解説) 雨月物語の冒頭を飾るのは「白峰」。 西行が讃岐の白峰にある崇徳院の墓に詣で、そこで崇徳院の亡霊と対話するという設定になっている。 徳川時代には西行作と思われていた「撰集抄」の巻一「新院御墓白峰事」を主な典拠として、それに秋成の想像を加味したものである。 西行については、ここで多言を要しないだろう。 崇徳院は、院政時代の上皇で、保元の乱が勃発した最大の立役者として、日本の歴史上最も有名な天皇の一人として知られる。 その行状は、保元物語や平家物語を通じて人口に膾炙していたので、徳川時代には誰も知らない者がないほど、有名な人だったといえる。 それに、これも徳川時代にヒーロー視されていた西行を絡めて、一つの幻想的な物語を秋成が紡ぎだした、というのがこの物語の持ち味といってよいだろう。 物語は、西行が旅の途上で白峰を通りがかったついでに、ここに葬られている崇徳院の霊を慰めようとするところから始まる。 冒頭部分で、西行が旅をする場面が描かれるが、それが独特の道行文となっていて、音楽的なリズムを感じさせる。 こうした道行文というのは、説教などの語り物の伝統に従ったもので、説教以前では能の中でも取り入れられ、説教以後でも近松の浄瑠璃などに取り入れられていた。 日本人が特に好んだ演劇的な装置の一つだったわけで、秋成はその伝統を、自分の幻想物語の中でも取り入れたわけである。 ともあれ、冒頭の部分では、旅の途中で西行が白峰の崇徳院の墓を訪ね、そこで院の亡霊に出会う場面を描く。 亡霊が呼びかけている「円位」とは、西行の法名である。 検 索.

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