スペイン 風邪 日本。 スペイン風邪 教訓今に 大仏や碑、100年前の惨状伝える :日本経済新聞

歴史から読み解く「コロナショック」経済の行方 酷似「スペイン風邪」後の経済と株価を考察

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中国メディアは「100年前に大流行したインフルエンザを鎮めるために、日本人は2年の時間を要した」とする記事を掲載した。 (イメージ写真提供:123RF) 中国メディア・今日頭条は17日、「100年前に大流行したインフルエンザを鎮めるために、日本人は2年の時間を要した」とする記事を掲載した。 記事は、現在日本では新型コロナウイルスの感染者が1日数百人というペースで増えており、日本政府は16日に全国を対象に緊急事態宣言を発令したと紹介。 多くの人が新型ウイルスがいつ収束するのかを議論しているが、どんな専門家も断言できない状況だとしたうえで「実は、100年前に大流行したスペイン風邪が参考になるかもしれない。 日本はスペイン風邪を抑えるのに2年の時間を要したのだ」と伝えた。 そして、1918〜20年に世界で大流行したスペイン風邪は18年9月末から10月初めごろに船に乗って日本にも入り、やはり大流行を巻き起こしたと説明。 当時の内務省が22年にまとめた報告によれば、18年〜21年にかけて3回の流行が発生してようやく収まったとし「このような伝染病は決して1回の流行で終わるものではなく、数回の波が来て終わることが見て取れるのだ」と紹介している。 また、流行当初に感染、死亡した人の多くは身体虚弱者だったものの、感染の拡大に伴って若い人が死亡するケースも増えており、この点は現在世界で流行している新型コロナウイルスと似ているとしたほか、スペイン風邪では第一波よりも第二波のほうが深刻化したと伝えた。 そのうえで「もしスペイン風邪の経験を持ち出すのであれば、新型ウイルスにも感染爆発の第二波が存在し得る。 仮に夏に第一波が抑えられたとしても、第二波がやってくるかもしれない」との見解を示した。 記事はさらに、スペイン風邪が流行した際に日本国内でまず取られた対策が、今回と同様学校の休校だったと紹介。 一方、当時の日本の医療体系は十分とは言えなかったために、医療崩壊が発生したと伝えた。 また、最後には「おもしろいことに、スペイン風邪の流行時もマスクを高値で販売する人がいた。 100年経っても変わらないのだ」とした。 (編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF).

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新型インフルエンザ問題 スペイン風邪1918年 日本では人口5500万人に対して、感染者2500万人、40万人死亡 てんさい(い)

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世界保健機関(WHO)が「パンデミック(世界的大流行)」と表明した新型コロナウイルス。 社会への影響が広がるにつれ、100年前に世界で流行し、多くの死者を出したへの注目が高まっている。 「当時のことを知りたい」という声が西日本新聞「あなたの特命取材班」に寄せられた。 東京都健康安全研究センターの「日本におけるスペインかぜの精密分析」(2005年)によると、スペイン風邪はA型インフルエンザ(H1N1型)で、第1次大戦末期の1918年以降、全世界で当時の総人口の約3割に当たる約6億人が感染。 2千万~4千万人が死亡した。 九州日報によると、福岡県内では最初の患者が10月10日に筑紫高等女学校で発生。 全国の患者数は約1カ月間で56万9960人に激増し、うち4399人が死亡した。 〈暴風の 如 ごとき悪性感冒 各地を吹き 捲 まくりて勢ひ 猖 しょう 獗 けつ 学校は運動会修学旅行中止〉(10月30日付・福岡日日新聞) 10月30日付・福岡日日新聞 県当局が運動会や修学旅行を当分見合わせるように通知を出し、休校の状況や増え続ける生徒の患者数が連日報じられた。 経済にも深刻な影響が出始めた。 この日の福岡日日新聞には〈全国各地方を襲いつつある流行性感冒は 遂 ついに弊紙工場部をも襲い欠勤者多数にて本日の弊紙は八 頁 ページと 為 なすの 已 やむなきに至れり〉というおわびを掲載している。 11月3日付・福岡日日新聞 〈悪性感冒 尚 なお 衰 すい 色 しょくなく人身 漸 ようやく不安に傾く 谷口知事 更 さらに予防告諭を発す〉(11月8日付・福岡日日新聞) 11月8日付・福岡日日新聞 当時の谷口留五郎・福岡県知事が6日に予防のための注意喚起を発表。 発熱者の急増を受けてか、11月5日付の九州日報には〈流行悪性感冒で解熱剤や氷の高値〉という記事も。 8日付の福岡日日紙面には〈夏の真っ盛りより氷の需要が多い〉とある。 11月5日付の九州日報 この後も連日のように、各地で増え続ける患者や死者数が報告されていたが、11月中旬になると、記事が少しずつ減っていく。 代わりに、11月11日に第1次大戦の停戦協定が発効し、出征していた日本兵の凱旋に沸く記事が増えていった。 12月1日付の福岡日日新聞に〈感冒漸く減退 福岡県下の患者一時は六十万人に達す〉という小さな記事が載った後は、スペイン風邪の記事は徐々に見当たらなくなった。 ウイルスの脅威はこれで収まったかに見えた。 しかし1年後、その恐怖は再び日本中を襲うことなる。 「あなたの特命取材班」とは? 西日本新聞「あなたの特命取材班」は、記者が読者と直接つながり、双方向のやりとりと新聞社の取材力を生かした調査報道で、地域や社会の課題解決を目指します。 あなたの「知りたい」にこたえ、深く正確に報じる「オンデマンド調査報道」(ジャーナリズム・オン・デマンド=JOD)に挑んでいます。 暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正まで、調査依頼や情報をお寄せください。 全国各地のローカル・メディアとも連携し、情報や記事を共有したり、協働調査報道に取り組んだりしています。 ツイッターやフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。 で取材班と直接やりとりもできます。

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スペイン風邪の第一波と第二波と第三波の具体的な時期と特徴の違いと流行の開始から終息までの実質的な期間

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世界保健機関(WHO)が「パンデミック(世界的大流行)」と表明した新型コロナウイルス。 社会への影響が広がるにつれ、100年前に世界で流行し、多くの死者を出したへの注目が高まっている。 「当時のことを知りたい」という声が西日本新聞「あなたの特命取材班」に寄せられた。 東京都健康安全研究センターの「日本におけるスペインかぜの精密分析」(2005年)によると、スペイン風邪はA型インフルエンザ(H1N1型)で、第1次大戦末期の1918年以降、全世界で当時の総人口の約3割に当たる約6億人が感染。 2千万~4千万人が死亡した。 九州日報によると、福岡県内では最初の患者が10月10日に筑紫高等女学校で発生。 全国の患者数は約1カ月間で56万9960人に激増し、うち4399人が死亡した。 〈暴風の 如 ごとき悪性感冒 各地を吹き 捲 まくりて勢ひ 猖 しょう 獗 けつ 学校は運動会修学旅行中止〉(10月30日付・福岡日日新聞) 10月30日付・福岡日日新聞 県当局が運動会や修学旅行を当分見合わせるように通知を出し、休校の状況や増え続ける生徒の患者数が連日報じられた。 経済にも深刻な影響が出始めた。 この日の福岡日日新聞には〈全国各地方を襲いつつある流行性感冒は 遂 ついに弊紙工場部をも襲い欠勤者多数にて本日の弊紙は八 頁 ページと 為 なすの 已 やむなきに至れり〉というおわびを掲載している。 11月3日付・福岡日日新聞 〈悪性感冒 尚 なお 衰 すい 色 しょくなく人身 漸 ようやく不安に傾く 谷口知事 更 さらに予防告諭を発す〉(11月8日付・福岡日日新聞) 11月8日付・福岡日日新聞 当時の谷口留五郎・福岡県知事が6日に予防のための注意喚起を発表。 発熱者の急増を受けてか、11月5日付の九州日報には〈流行悪性感冒で解熱剤や氷の高値〉という記事も。 8日付の福岡日日紙面には〈夏の真っ盛りより氷の需要が多い〉とある。 11月5日付の九州日報 この後も連日のように、各地で増え続ける患者や死者数が報告されていたが、11月中旬になると、記事が少しずつ減っていく。 代わりに、11月11日に第1次大戦の停戦協定が発効し、出征していた日本兵の凱旋に沸く記事が増えていった。 12月1日付の福岡日日新聞に〈感冒漸く減退 福岡県下の患者一時は六十万人に達す〉という小さな記事が載った後は、スペイン風邪の記事は徐々に見当たらなくなった。 ウイルスの脅威はこれで収まったかに見えた。 しかし1年後、その恐怖は再び日本中を襲うことなる。 「あなたの特命取材班」とは? 西日本新聞「あなたの特命取材班」は、記者が読者と直接つながり、双方向のやりとりと新聞社の取材力を生かした調査報道で、地域や社会の課題解決を目指します。 あなたの「知りたい」にこたえ、深く正確に報じる「オンデマンド調査報道」(ジャーナリズム・オン・デマンド=JOD)に挑んでいます。 暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正まで、調査依頼や情報をお寄せください。 全国各地のローカル・メディアとも連携し、情報や記事を共有したり、協働調査報道に取り組んだりしています。 ツイッターやフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。 で取材班と直接やりとりもできます。

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