てふてふ 語源。 語源が面白い言葉 30【日本語編】

てふてふ 語源

自慢じゃないですが、ものすごく慌ただしくて忙しいです。 あわただしいの「慌」という漢字。 心が荒れる。 いそがしいの「忙」という漢字。 心がなくなる。 そんな中、タタール共和国の方がいらっしゃいました。 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。 」(一行詩「春」 安西冬衛) 「てふてふ」読めますか? 「ちょうちょう」です。 「渡つて行つた」と書いて、「渡って行った」と読みます。 「韃靼海峡」は、「だったんかいきょう」。 韃靼海峡は、タタール海峡。 タルタルソース、タルタルステーキの語源は、このタタールで、 日本に初めてイスラム教のモスクを建てたのはタタールの人。 そして、著名な言語学者、服部四郎先生の奥様はタタールの方だった。 上記みんな、そのお客さんから聞きました。 私はもう目をぱちくり。 でも、こういう面白い話を聞いている時は、心は「荒」でもなく「亡」でもなく。 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。 」 とても懐かしいです。 高校の現代国語の教科書ですよね?出てたの…。 あれ?中学だったか。 なんであれ、ものすごく印象的な詩でした。 韃靼海峡をたった一匹で飛んでいるちょうちょう(蝶)の姿を思い浮かべて。 あの頃は慌ただしくも忙しくもなかった。 人生、半世紀過ぎて、こんなにバタバタしてるなんて想像もしなかった。

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てふてふ 語源

「ヲ」の筆順• 現代の: と同じである。 通常は母音である。 : 第47位。 とのとおよびのを数に加えると50位。 逆に現代仮名遣いで使われないとを除くと45位。 : 第12位。 「」の次、「」の前。 「を」の字形: 「遠」の。 「ヲ」の字形: 「乎」の上の部分の変形。 (越)• : または。 コンピュータのではwo。 : 「尾張のヲ」• : ・---• での「ヲ」は、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」のいずれでもない第六の母音を示す。 発音は「オ」に近いが、口の開け方が狭い(発音記号では [o] )。 「を」を「お」と区別して表現する必要がある場合 [ ] 仮名としての「を」を呼ぶ場合には、あ行の『お』との混同を避けるための、地方によって様々な表現方法が存在する。 わ行の『を』• つなぎの『を』• わをんの『を』• 下の『を』• 小さい『を』• 難しい方の『を』• 重たい『を』• くっつき(助詞)の『を』• かぎの『を』• 腰曲がりの『を』 など。 (万葉仮名)では、オには意・憶・於・應(応)・隱(隠)・乙などの字が用いられる一方、「ヲ」には乎・呼・袁・遠・鳥・鳴・怨・越・少・小・尾・麻・男・緒・雄などが用いられていた。 この時代の日本語では語頭以外には母音単独拍は立たなかったため、オとヲは語頭においてのみ対立していた。 平安時代 [ ] に入ると「オ」と「ヲ」が語頭において混同されるようになり、オとヲの対立が消滅していった。 混同の早い例としては、平安時代初期の『』(8年〈〉頃の加点)に、「駈」を「ヲヒ」とした例がある。 初頭には語頭の混同例が多くなり、この頃には発音がほぼ統合されていたと見られる。 11世紀末までには完全に統合が完了した。 中期から後期頃の成立と考えられるには、 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす (色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず) とあり、ア行のエとヤ行のエの区別は無いものの(ただしいろは歌にもほんらいア行のエがあったという説がある)、ア行のオとワ行のヲの区別はある。 いろは歌以前の成立と見られる(以前に成立か)や(天禄元年〈〉の序文を持つ『口遊』に収録)でも、ア行のオとワ行のヲの区別がある。 一方、による『』(2年〈〉成立)には、 アカサタナハマヤラワ一韻 イキシチニヒミリヰ一韻 ウクスツヌフムユル一韻 オコソトノホモヨロ一韻 エケセテネヘメレヱ一韻 とあり、ヤ行のイ、ヤ行のエ、ワ行のウ、ワ行のヲが省かれている。 このことから当時の音韻状態は、ア行のエとヤ行のエの区別が既に消失し、ア行のオとワ行のヲの区別も同音になっていた一方、ア行のイとワ行のヰ、ア行のエとワ行のヱは依然として区別されていたという状態だったことがわかる。 に入ると五十音のオとヲが入れ違うようになり、ア行にヲ、ワ行にオを配置したものが一般に使われた。 語中のハ行音がワ行に発音される現象()が奈良時代から散発的に見られ、11世紀初頭には一般化した。 鎌倉時代 [ ] ハ行転呼やいくつかの音節の統合により、同じ発音になった仮名が多数生じ、に動揺が見られるようになった。 ( - )は仮名遣いを定めるにあたり、『』の「嫌文字事」(文字を嫌ふ事)で60ほどの語について「を・お」「え・へ・ゑ」「ひ・ゐ・い」の仮名遣いの基準を示した。 定家の仮名遣いは11世紀後半からにかけて書写された仮名の文学作品の用例を基準とし、「え・へ・ゑ」「ひ・ゐ・い」のなかには音韻が変化した後の仮名遣いをそのまま採っているものがある。 また「を」と「お」の区別は、当時のにおける言葉のアクセントを基準にして「を」が高い音節、「お」が低い音節を表すように仮名遣いを定めた。 ただしこのアクセントで以って「を」と「お」を区別することは、11世紀後半に成立した『』においてすでに見られるものである。 しかしアクセントによる区別で仮名を書き分けた結果、定家の仮名遣いでは「を・お」が音韻の変化する以前の仮名遣いとは一致しないものが多く含まれることになった。 例えば「置く」(おく)、「送る」(おくる)、「怒る」(おこる)、「音」(おと)、「愚か」(おろか)は本来は「お」であるが、アクセントによる使い分けに従った結果「を」になっており、逆に「荻」(をぎ)、「惜しむ」(をしむ)、「甥」(をひ)、「折る」(をる)も本来は「を」だが「お」になっている。 なお「香る」(かをる)、「竿」(さを)、「萎る」(しをる)は本来はいずれも「を」だが、のちの『』などではいずれも「ほ」の仮名で記されている。 室町時代 [ ] になると、が『仮名文字遣』(以降成立)を著し、仮名遣いの対象語数は1000語以上と大幅に増やした。 しかしこのころの京都方言のアクセント体系には非常に大きな変化が生じており、アクセントの高低が変化した語も少なくなかった上に、になるとアクセントが変化する現象なども生じていた。 それまでの京都のアクセントでは、二つ以上の言葉が複合語になるなどしてもそれぞれ同じアクセントに保たれたので、同じ語をアクセントにより常に一貫した仮名で書くことも可能だったのである。 このアクセントの変化について当時の人々は気づくことができず、は『』でこの「を・お」の書き分けに当時のアクセントと合わないものがあったことから、定家の定めた仮名遣いを批判した。 しかしこののち一般には『仮名文字遣』に記される仮名遣いが「」として世に広く受け入れられ、「を・お」の書き分けもこれが典拠とされた。 定家仮名遣はやなど歌道の世界などで広く使われたが、それ以外の分野では「を」「お」および語中・語尾の「ほ」の書き分けは混用した状態が続いた。 江戸時代 [ ] に版行された本では、「を・お」は定家仮名遣に概ね一致する書き分けがなされていたが、変字法的に用い、文中で「を・お」が出てくる度に「を」と「お」を交互に用いるなどの用法も見られた。 江戸時代の( - )は、『』、『』などの上代文献の仮名遣いが定家仮名遣と異なることに気付き、の『』(年間、 - 頃成立)以前の文献では仮名遣いの混乱が見られないことを発見した。 そこで、契沖は『』(8年〈〉刊)を著し、上代文献の具体例を挙げながら約3000語の仮名遣いを明らかにして、仮名遣いの乱れが生じる前の上代文献に基づく仮名遣いへ回帰することを主張した。 契沖の仮名遣いは契沖の没後に次第に一般に受け入れられていった。 また、は『』(5年〈〉刊)で五十音図における鎌倉時代以来の誤りを指摘し、それまでア行にヲ、ワ行にオが収められていたのを本来の位置に正した。 明治時代以降 [ ] 6年()、契沖の仮名遣いを基礎に、古文献を基準とした歴史的仮名遣が『小学教科書』に採用され、これ以降学校教育によって普及し一般に広く用いられた。 また、台湾統治時代に台湾語をカナ標記で示す際のルールで「ヲ」をワ行用ではなく母音の1つで使用したことがある、詳しくはを参照。 しかし(21年)には表音式を基本とした『』が公布され、現代の発音を反映した仮名遣いが採用された。 これにより「お・を」の表記は語源に関わらず「お」に統合されることになったが、助詞の「は」「へ」「を」に関しては使用頻度が高く書き換えの抵抗感が強いため、発音通りに「わ」「え」「お」と書くのではなくそのまま残された。 このため、「を」は助詞専用の仮名として残ることになった。 これは完全な表音式仮名遣いに移行するまでの繋ぎの予定だったが、『現代かなづかい』はそのまま定着してしまったため、小幅な修正を加えて61年()に公布された『』でも、「を」は助詞のみに残された。 現代の用法 [ ] 省略した使用例 おはな(を) とらないで ください 現代仮名遣いでは、「を」を用いるのは格助詞の「を」、およびそれを含む複合語の「をば」「をや」「をも」「」などや、成句の「~せざるを得ない」「やむを得ない」など少数の語に限られる。 実際は、助詞の「を」は書き換えの抵抗感が大きいので残されたのであって、発音の区別があるためではない。 発音の区別があったならば、歴史的仮名遣いの「を」を助詞以外は全て「お」とする書き換えはできなかったはずである。 これは現代仮名遣いの施行以降に表記に引きずられて新たに生じたの一種と見なすこともできる。 歴史的仮名遣いで「を」が含まれる語 [ ] 歴史的仮名遣いに基づいた五十音順に示す。 以下に示した語の「を」は、助詞の「を」を除いて、現代仮名遣いでは全て「お」に書き換える。 発音はやでは語頭・語中・語尾に関わらず全て [o] である。 和語 [ ] 青(あを)、青い(あをい)、功(いさを)、魚(いを)、魚(うを)、鰹(かつを)、香・薫(かをり)、香る・薫る・馨る(かをる)、竿・棹(さを)、栞(しをり)、萎れる(しをれる)、撓(たを)、嫋やか(たをやか)、手弱女(たをやめ)、撓(たをり)、手折る(たをる)、十(とを)、益荒男・丈夫・大夫(ますらを)、操(みさを)、澪(みを)、夫婦(めをと)、やおら(やをら)、~を(助詞)、尾(を)、小(を)、峰・丘(を)、雄・男・牡(を)、麻(を)、緒(を)、岡・丘(をか)、陸(をか)、傍・岡(をか)、犯す・侵す・冒す(をかす)、拝む(をが、ねらむ、む)、傍目・岡目(をかめ)、荻(をぎ)、桶(をけ)、朮(をけら)、痴・烏滸・尾籠(をこ)、烏滸がましい(をこがましい)、鰧・虎魚(をこぜ)、長(をさ)、筬(をさ)、訳語(をさ)、おさおさ(をさをさ)、幼い(をさない)、収める・納める・治める・修める(をさめる)、惜しい(をしい)、鴛鴦(をしどり)、教える(をしへる)、雄・牡(をす)、食す(をす)、教わる(をそはる)、復・変若(をち)、遠・彼方(をち)、叔父・伯父(をぢ)、叔父さん・伯父さん(をぢさん)、夫(をっと)、男(をとこ)、縅(をどし)、一昨年(をととし)、一昨日(をととひ)、少女・乙女(をとめ)、囮(をとり)、踊る(をどる)、斧(をの)、戦く(をののく)、叔母・伯母(をば)、叔母さん・伯母さん(をばさん)、小母さん(をばさん)、終わる(をはる)、甥(をひ)、終える(をへる)、女郎花(をみなへし)、檻(をり)、居る(をる)、折る(をる)、大蛇(をろち)、女(をんな)、男(をぐな) 漢字音 [ ] 呉音 [ ] 乎(ヲ)、屋(ヲク)、曰・戉・粤・越・鉞・榲・膃(ヲチ)、宛・苑・垣・怨・爰・袁・冤・温・椀・援・寃・媛・園・榲・猿・蜿・瘟・薀・穏・鴛・薗・轅・鋺・鰛・贇・鰮(ヲン) 漢音 [ ] 汚・於・烏・悪・嗚・塢(ヲ)、瓮・翁・蓊・甕・鶲(ヲウ)、屋(ヲク)、榲・膃(ヲツ)、温・榲・瘟・穏・鴛・薀・鰛・鰮(ヲン) 唐音 [ ] 和(ヲ) 慣用音 [ ] 奥(ヲク)、 愠・慍・褞(ヲン) を に関わる諸事項 [ ]• では、株式会社、、などに「を・ヲ」が用いられる例が見られる。 では、深草 ヲカヤ町、大字飛島新田字竹之郷ル ヲノ割など稀に使用される。 また、地名をで表している地域(を参照)において、「い」から数えて12番目の意味で用いられることがある。 やインターネットスラングなどでは、「」や、その省略形の「」など、語源に関わらずオをヲに書き換えることがある。 など一部の銀行では、の名義人に「ヲ」を使用することができない。 なお、みずほ銀行においては、他の金融機関からの振込入金で振込名義人の中に「ヲ」の字が含まれていた場合、自動的に「オ」に変換されて表示・記帳される。 自動車用では、字面が似ている「あ」との混同を避ける為、「お」の代わりに「を」が用いられている。 日本国内の鉄道の車両形式では、が唯一。 これは「オ」は旧以来各社が客車形式に用いているため、それと区別するための措置とされている。 脚注 [ ] [].

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ポケモンの名前の由来一覧/第七世代

てふてふ 語源

自慢じゃないですが、ものすごく慌ただしくて忙しいです。 あわただしいの「慌」という漢字。 心が荒れる。 いそがしいの「忙」という漢字。 心がなくなる。 そんな中、タタール共和国の方がいらっしゃいました。 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。 」(一行詩「春」 安西冬衛) 「てふてふ」読めますか? 「ちょうちょう」です。 「渡つて行つた」と書いて、「渡って行った」と読みます。 「韃靼海峡」は、「だったんかいきょう」。 韃靼海峡は、タタール海峡。 タルタルソース、タルタルステーキの語源は、このタタールで、 日本に初めてイスラム教のモスクを建てたのはタタールの人。 そして、著名な言語学者、服部四郎先生の奥様はタタールの方だった。 上記みんな、そのお客さんから聞きました。 私はもう目をぱちくり。 でも、こういう面白い話を聞いている時は、心は「荒」でもなく「亡」でもなく。 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。 」 とても懐かしいです。 高校の現代国語の教科書ですよね?出てたの…。 あれ?中学だったか。 なんであれ、ものすごく印象的な詩でした。 韃靼海峡をたった一匹で飛んでいるちょうちょう(蝶)の姿を思い浮かべて。 あの頃は慌ただしくも忙しくもなかった。 人生、半世紀過ぎて、こんなにバタバタしてるなんて想像もしなかった。

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