スペイン 風邪 発生 源。 「スペイン風邪」は、スペインが発症元ではない

大正時代、日本でも流行したスペイン風邪感染対策の為に作られた啓蒙ポスターと調査報告書(2020年4月28日)|BIGLOBEニュース

スペイン 風邪 発生 源

注:この記事はオクスフォード大学の研究チームが運営するのサイトで公開されていた記事をデータのじかん編集部が独自に翻訳したものです。 元記事はです。 人間の健康をとりまく環境はこの150年の間で飛躍的に改善された、と言われています。 多くの国においてかつては40歳以下だった人間の平均寿命は、現在80歳以上にまで延びています。 しかも、これは一部の国のみに限ったことではありません。 人間の平均寿命は全世界のいかなる場所においてもになっているのです。 しかし、その分、多くの人の健康を脅かすようなイベントが発生した際の影響が目立つようになりました。 もっともわかりやすい例は、下のグラフの1918年、突如として平均寿命が短くなっている部分です。 これは、多くの命を奪ったインフルエンザのパンデミック(世界的大流行)によるものです。 これは後に「 スペインかぜ」として知られるようになりました。 なぜこのように急激に寿命が短くなっているのかを理解するためには、この調査で何が測定されていたのかを知る必要があります。 「Period life expectancy(特定の期間における平均余命年数)」というのがここで測定された数字の正式名称になります。 この調査は、特定の1年における死亡パターンを調べたものであり、その年の特定の年齢グループの死亡パターンがその後も続くことを想定したものです。 つまり、これはある一年の人々の健康状態を表したものになります。 (詳細は) このインフルエンザの大流行は、スペインだけに留まりませんでした。 そもそもこのインフルエンザはスペインで発生したわけではありません。 (2005年のOlsonらによる研究では、パンデミック以前にすでに流行した形跡があったニューヨークで発生したと発表されています) しかし、当時は第一次世界大戦(1914年〜1918年)中だったこともあり、参戦国は国内の士気を下げたり、敵国に弱った印象を与えたくなかった、という理由から、この感染症に関する報道を抑圧していました。 中立国だったスペインは、パンデミックの重篤性について報道がしやすい立場にあったため、「スペインかぜ」という名称が付いたと言われています。 そもそもこのインフルエンザの爆発的流行は1918年春に北半球で始まりました。 その後ウイルスは急速に世界へと広がり、エピデミック(流行)がパンデミック(爆発的流行)へと発展したのです。 このウイルスは拡散を続け、ついにはアラスカの荒野や太平洋の島であるサモアといった極めて僻地的な場所にまでたどり着きました。 ピークを迎えたのは1918年でしたが、その流行はその後2年間にわたって続き、収束を迎えたのは1920年のことでした。 現在の風邪による死亡者数のカウント スペインかぜの脅威を理解するためには、典型的なインフルエンザシーズンの死亡者数と比較してみるとわかりやすいかと思います。 近年におけるインフルエンザによる年間死亡者の推計人数はおよそ40万人と言われています。 Pagetらの研究(2019)によれば、平均38万9000人、29万4000人から51万8000人の間が正常な想定範囲であるとされています。 つまりこれは、インフルエンザが原因で死亡する確率が0. スペインかぜによる死亡者は低く見積もっても1740万人と言われ、100年以上前に流行したスペインかぜは近年の基準値の182倍もの人の命を奪ったということになります。 スペインかぜやその他のインフルエンザによる死亡者数はどのくらい? スペインかぜによる世界の死亡者数 これまでにも多くの研究チームが、パンデミックによる世界規模の健康への影響を再構築するという困難な問題に取り組んできました。 いずれの算出方法にも様々な変動性が考えうるため、これらの事象がもたらす脅威に関しては複数の意見や考え方があり、学術的なディスカッションは今も続けられています。 以下の図表は入手可能な推定人数をまとめたものです。 出典:OurWorldinData. org (インフルエンザ大流行による世界の死亡者数) Patterson and Pyleによる1991年の研究では、スペイン風邪のパンデミックにより2470万人から3930万人が亡くなったとされています。 Johnson and Muellerによる2002年の研究ではさらに多く、低く見積もっても5000万人、実際は1億人だったのではないかとされています。 より最近のSpreeuwenbergらによる2018年の研究発表では、それらの数値よりもぐっと低く算出をしており、実際の死者数は1740万人ほどであったしています。 世界の死亡率 そもそもこれらの数値は当時の世界の人口と比較してどのくらいのものだったのでしょうか?パンデミックにより命を落とした人はどのくらいの割合でいたのでしょうか? では、1918年の世界の人口は18億人ほどだったとされています。 2018年のSpreeuwenbergらが提示した1740万人という低めの数字を当てはめてみると、スペインかぜは世界人口のほぼ1%(0. これを死亡者数は低く見積もって5000万人だったとするJohnson and Muellerの説に当てはめると、スペインかぜによる死者は世界人口の2. 高い方の数字を取って仮に死者数が1億人だったとした場合、実に5. 年間1300万人ずつ増加していたと言われる当時の世界人口が最後に減少したのは1918年のことで、これはスペインかぜが原因だったとも言われています。 その他のインフルエンザ大流行 スペインかぜの大流行は過去最大のものでしたが、それ以外にもインフルエンザの流行は見られました。 スペインかぜが流行する約20年前、1889年から1894年に流行した「ロシアかぜ」は100万人の命を奪ったと言われています。 1957年から1958年の「アジアかぜ」による死亡者数は150万人から400万人だと言われいます。 いずれも2009年に発表された研究によると、Gathererはその数を150万人とし、Michaelisらによる研究では200万から400万人としています。 WHOの発表によると、1968年から1969年にかけて流行した「香港かぜ」は100万から400万人の命を奪ったとしています。 また、1977年から1978年にパンデミックが起きたロシアかぜは、スペイン風邪と同じH1N1ウイルスによるものでした。 2009年のMichaelisらの発表によると、これにより世界で70万人が命を落としたとされています。 これまでのことから2つのことがわかります。 1つ目はインフルエンザの大流行は決して稀なことではないということ、そして2つ目は、1918年のスペインかぜは歴史上でももっとも壊滅的な被害をもたらした、ということです。 スペインかぜによる年齢層別の影響 出典:OurWorldinData. org (イングランドおよびウェールズにおける年齢層ごとの寿命 1700-2013 特定の年齢に達した時の想定寿命) 上のグラフは、イングランドとウェールズの年齢層ごとの余命年数を表しています。 赤い線は新生児の余生年数を表し、他の線はその色ごとに特定の年齢層になったときの余命年数を示しています。 例えば、黄緑の線は子どもが10歳になったときに、あと何年生きることができるかという余命年数の予測を示しています。 全ての年齢層で余命年数は伸びていますが、それは単純に子どもの死亡率が減少したから、ということのみが原因ではないことがわかります。 (全ての年齢層における長期的な寿命の延伸について詳しくは) この表の衝撃的な点は、このスペインかぜのパンデミックが「高齢者へほとんど影響を与えなかった」という点です。 新生児や若い世代の余命年数が10年以上も短くなったにも関わらず、60代〜70代の寿命にはほとんど変化が見られませんでした。 通常、高齢者はインフルエンザの流行や呼吸器系の感染症に弱いというのが定説ですが、このデータはその定説に全く当てはまりません。 最近のおよびによる致死率は、70歳以上の死亡率が最も高いものになっているからです。 このパンデミックが壊滅的だった理由の一つは、ということでした。 たしかに1889年〜90年の大流行は高い年齢層に何らかの免疫を与えていたのかもしれませんが、そもそもロシアかぜの流行も破壊的なものでした。 Smithによれば、イングランド、ウェールズ、アイルランドだけで132,000人がロシア風邪で亡くなったとされています。 スペインかぜは2020年の新型コロナウイルスと何が違うのか? このスペインかぜについての記事は2020年3月初旬に書かれたものですが、やはり読者のみなさんが気になるのは現在流行しているCOVID-19と比較してどうなのか、という部分ではないかと思います。 COVID-19のパンデミックについての研究やデータはにまとめられていますので、そちらもぜひ参考にしてみてください。 COVID-19とスペインかぜを比較してみると、そこには数々の相違点があります。 この2つは全く異なる病気であり、その病気の原因となっているウイルスも異なります。 COVID-19の原因はコロナウイルスであり、スペインかぜやこれまで登場した他のインフルエンザパンデミックを引き起こしたインフルエンザウイルスではありません。 致死率の年齢別の分布も全く違います。 これまでにご説明した通り、1918年のスペインかぜは特に新生児や若い世代の人々にとって脅威的でした。 COVID-19の原因となっているコロナウイルスは、中国での流行初期のエビデンスからもわかるように、特に高齢者にとって致命的なものだと見られています。 また、スペインかぜの大流行に関してはたくさんの国がその情報を非公開にしようとしていたのに対し、現在はデータや研究、ニュースなどが完全ではないにしろシェアされていることから、過去とは状況がとても異なります。 同時に、現在ではかつてとは比較にならないないほど世界がつながっているのも事実です。 1918年当時は線路や蒸気船が世界をつないでいる程度でしたが、飛行機が発達した現在では、人もウイルスもごく短時間で世界中を移動することが可能となっています。 保険医療のシステムやインフラも当時とは大きく異なっています。 スペインかぜが世界を襲ったのは、抗生物質が発明される前だったことから、おそらくほとんどの死亡はインフルエンザウイルスそのものによるものではなく、細菌による二次感染だったことが考えられます。 2008年の発表で、Morensらは「スペイン風邪の死者のほとんどは上気道の細菌によって引き起こされた二次感染による細菌性肺炎が原因だった可能性がある」と述べています。 また、ヘルスシステムだけではなく、当時の世界は健康状態や生活環境が全く異なっていました。 1918年に被害を受けた人たちの大部分はであり、その多くの人は栄養失調状態にありました。 世界人口のほとんどが当時はにあり、高い人口密度に加え、衛生状態も悪く、衛生基準自体が低いことが当たり前の時代でした。 それに加え、世界のほとんどの地域は戦争で弱っていた時代です。 公的な物資は少なく、多くの国々がを戦争に使い切った後だったわけです。 世界の大部分がに保たれています。 しかし、そんな今の世界において、やはり一番懸念されているのは、COVID-19の大流行によって一番打撃を受けるのは、貧しい層にいる人々だろうということです。 これらの相違点が示すことは、1世紀前の大流行から学びを得ようとする場合、我々は慎重にならなくてはならない、ということです。 しかし、人々の健康状態が良好に保たれている国でさえ、パンデミックが与える影響ははかり知れない、ということスペインかぜは我々に教えてくれます。 新しい病原体は恐ろしい破壊をもたらし、それが何百万という命を奪うことになるかもしれません。 このように、スペインかぜという歴史上の大流行は、我々に警鐘を鳴らしてくれるだけではなく、大きなパンデミックの発生に対して十分備えておこうという動機を与えてくれるものであり、長年多くの研究者たちによって常に注目されてきた事例なのです。 (原文: by Max Roser/舩木梓&データのじかん編集部) Data Empowermentは、「働くひとのパフォーマンスを最大化するもの」とわれわれは考えています。 データを活用することやデータに基づいた迅速な意思決定・アクションが、 時間を節約し効率化する、クリエイティビティの求められる業務にフォーカスするための力になるからです。 あなたも「Data Empowerment」を実現してみませんか? 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スペインかぜ

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新型コロナウイルス禍がパンデミックの模様を呈している()。 パニックや流言飛語も相次いでいる。 しかしこのようなパンデミックは、20世紀を含め過去に何度も起こり、そして人類はその都度パンデミックを乗り越えてきた。 今次の新型コロナウイルス禍への対策と教訓として、私たちは人類が遭遇した過去のパンデミックから学び取れることは余りにも多いのではないか? 本稿は、20世紀最悪のパンデミックとされ、世界中で2000万人~4500万人が死亡し、日本国内でも約45万人が死亡した 「スペイン風邪」を取り上げる。 そして日本の流行状況と公的機関の対策を追い、現在のパンデミックに抗する教訓を歴史から得んとするものである。 速水(左)、内務省(右) ・100年前のパンデミック「スペイン風邪」とはなにか 1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。 そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪である。 現在の研究では、そのウイルスはH1N1型と特定されている。 スペイン風邪の発生は、今から遡ること約百年前。 1918年春。 アメリカ・カンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営からだとされる(速水,38)。 当時は第一次世界大戦の真っ最中で、ドイツ帝国は無制限潜水艦作戦によって中立国だったアメリカの商船を撃沈するに至った。 このドイツの粗暴な振る舞いがアメリカの参戦を促し、アメリカは欧州に大規模な派遣軍を送ることになる。 アメリカの軍隊から発生したとされるスペイン風邪は、 こうしてアメリカ軍の欧州派遣によって世界中にばら撒かれることになった。 当時のパンデミックは、航空機ではなく船舶による人の移動によって、軍隊が駐屯する都市や農村から、その地の民間人に広まっていった。 ちなみに、アメリカから発生したのになぜスペイン風邪という呼称なのか。 それは第一次大戦当時、スペインが欧州の中で数少ない中立国であったため、戦時報道管制の外にあったからだ。 そのためこの新型ウイルスの感染と惨状が、戦時報道管制から自由なスペイン電として世界に発信されたからである。 スペインでは800万人がスペイン風邪に感染。 国王アルフォンソ13世や政府関係者も感染した。 日本では当初「スペインで奇病流行」と報道された(速水,49)。 ・「スペイン風邪」、日本に上陸 日本でスペイン風邪が確認されたのは、1918年、当時日本が統治中であった台湾に巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって死亡した事が契機である。 そののち、同年5月になると、横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生し、横須賀市内、横浜市へと広がった(速水,328)。 当時、 日本の報道でのスペイン風邪の俗称は「流行性感冒」である。 速水によれば、日本に於けるスペイン風邪流行は「前流行」と「後流行」の二波に別れるという。 「前流行」は1918年の感染拡大。 「後流行」は1919年の感染拡大である。 どちらも同じH1N1型のウイルスが原因であったが、現在の研究では「後流行」の方が致死率が高く、この二つの流行の間にウイルスに変異が生じた可能性もあるという。 ともあれ、このスペイン風邪によって、 最終的に当時の日本内地の総人口約5600万人のうち、0. 8%強に当たる45万人が死亡した。 当時、日本は台湾と朝鮮等を統治していたので、 日本統治下全体での死者は0. 96%という(速水,426. 以下、図表参照)。 1945年、東京大空襲による犠牲者は10万人。 日露戦争による戦死者約9万人を考えるとき、この数字が如何に巨大なものかが分かるだろう。 単純にこの死亡率を現在の日本に当てはめると、120万人が死ぬ計算になる。 これは大阪市の人口の約半分にあたる。 筆者制作 ・「スペイン風邪」の凄惨な被害~一村全滅事例も 「前流行」と「後流行」の二波による日本でのスペイン風邪の大流行は、各地で凄惨な被害をもたらした。 以下速水より。 *適宜筆者で追記や現代語訳にしている。 福井県九頭竜川上流の山間部では、 「感冒の為一村全滅」という見出しで、面谷(おもだに)集落では人口約1000人中、970人までが罹患し、すでに70人の死亡者を出し、70人が瀕死の状態である旨報道されている。 出典:速水,146 (1919年)2月3日の東京朝日新聞は、東京の状況を「感冒猛烈 最近二週間に府下(当時は東京府)で1300の死亡」という見出しのもと、警視庁の担当者談として「今度の感冒は至って質が悪く発病後直肺炎を併発するので死亡者は著しく増加し(中略)先月11日から20日までに流行性感冒で死んだ人は289名、肺炎を併発して死んだ人は417名に達し(後略)」と報道している。 各病院は満杯となり、新たな「入院は皆お断り」の始末であった。 出典:速水,161 (岩手県)盛岡市を襲った流行性感冒は、 市内の各商店、工業を休業に追いやり、多数の児童の欠席を見たため、学校の休校を招いた。 (1919年11月)5日には厨川(くりかわ)小学校で2名の死者を出し、さらに6日の(岩手日報)紙面は「罹患者2万を超ゆ 各方面の打撃激甚なり 全市困惑の極みに達す」との見出し 出典:速水,168 神戸には、夢野と春日野の二箇所に火葬場があったが、それぞれ100体以上の死体が運ばれ、 処理能力を超えてしまい、棺桶が放置されるありさまとなった。 出典:速水,128 など、日本を襲ったスペイン風邪の猛威は、列島を均等に席巻し、各地にむごたらしい被害をもたらした。 とりわけ重工業地帯で人口稠密であった京都・大阪・神戸の近畿三都の被害(死亡率)は東京のそれを超えていたという。 だが、上記引用を読む限り、大都市部であろうが農村部であろうが、スペイン風邪の被害は「平等」に降りかかっているように思える。 ・「スペイン風邪」に当時の政府や自治体はどう対処したのか さて、肝心なのは当時のパンデミックに日本政府や自治体がどう対応したかである。 結論から言えば、様々な対処を行ったが、根本的には無策だった。 なぜならスペイン風邪の病原体であるH1N1型ウイルスは、当時の光学顕微鏡で見ることが出来なかったからだ。 人類がウイルスを観測できる電子顕微鏡を開発したのは1930年代。 実際にこのスペイン風邪のウイルスを分離することに成功したのは、流行が終わって十五年が過ぎた1935年の出来事であった。 つまり当時の人類や日本政府は、スペイン風邪の原因を特定する技術を持たなかった。 当時の研究者や医師らは、このパンデミックの原因を「細菌」だと考えていたが、実際にはウイルスであった。 当時の人類は、まだウイルスに対し全くの無力だったのである。 それでも、政府や自治体が手をこまねいたわけではない。 今度は内務省を中心に当時のパンデミックに対し、公的機関がどう対処していくのかを見てみよう。 大正8年(1919年)1月、内務省衛生局は一般向けに「流行性感冒予防心得」を出し、一般民衆にスペイン風邪への対処を大々的に呼びかけている。 驚くべきことに、スペイン風邪の原因がウイルスであることすら掴めなかった当時の人々の、未知なる伝染病への対処は、現代の新型コロナ禍における一般的な対処・予防法と驚くほど酷似している。 以下、内務省から抜粋したものをまとめた。 *適宜筆者で追記や現代語訳にしている。 ・はやりかぜはどうして伝染するか はやりかぜは主に人から人に伝染する病気である。 かぜ引いた人が咳やくしゃみをすると眼にも見えないほど細かな泡沫が3、4尺(約1メートル)周囲に吹き飛ばされ、それを吸い込んだものはこの病にかかる。 ・(はやりかぜに)かからぬには 1. 病人または病人らしい者、咳する者に近寄ってはならぬ 2. たくさん人の集まっているところに立ち入るな 3. 人の集まっている場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(*マスクの事)をかけ、それでなくば鼻、口を「ハンカチ」手ぬぐいなどで軽く覆いなさい ・(はやりかぜに)かかったなら 1. かぜをひいたなと思ったらすぐに寝床に潜り込み医師を呼べ 2. 病人の部屋はなるべく別にし、看護人の他はその部屋に入れてはならぬ 3. 治ったと思っても医師の許しがあるまで外に出るな (内務省,143-144) 部分的に認識違いはあるが、 基本的には「マスク着用」「患者の隔離」など現在の新型コロナ禍に対する対処法と同様の認識を当時の政府が持っていたことが分かる。 そして内務省は警察を通じて、全国でこの手の「衛生講話会」を劇場、寄席、理髪店、銭湯などで上演し、大衆に予防の徹底を呼び掛けている。 またマスク励行のポスターを刷り、全国に配布した。 マスクの無料配布も一部行われたというが、現在の新型コロナ禍と全く似ていて、マスクの生産が需要に追い付かなかったという。 ただ失敗だったのは、内務省が推進した予防接種である。 病原体がウイルスであることすら知らない当時の医学は、スペイン風邪の予防に苦肉の策として北里研究所などが開発した予防薬を注射させる方針を採り、接種群と未接種群との間で死亡率の乖離を指摘しているが、これは現代の医学から考えれば全くの無意味な政策であった。 だが、当時の技術ではそれが限界だった。 ・100年前も全面休校 休校イメージ、フォトAC 各自治体の動きはどうだったか。 とりわけ被害が激甚だった神戸市では、市内の幼稚園、小学校、中学校等の全面休校を決めた(速水,198)。 1919年には愛媛県が県として「予防心得」を出した。 人ごみに出ない、マスクを着用する、うがいの励行、身体弱者はとりわけ注意することなど、おおむね内務省の「流行性感冒予防心得」を踏襲した内容である。 学校の休校や人ごみの禁忌など、これまた現在の状態と重複する部分が多い。 そしてこれもまた現在と同じように、各地での集会、興行、力士の巡業、活劇などは続々中止か、または閉鎖されていった。 このようにして、日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。 なぜか?それは内務省や自治体の方針が有効だったから、というよりも、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、 日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。 そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。 つまり、 スペイン風邪は突然の嵐のように世界と日本を襲い、そして自然に去っていったというのが実際のところなのである。 残念ながらヒト・モノが航空機という、船舶よりも何十倍も速い速度で移動できるようになった現在、新型ウイルスの伝播の速度はスペイン風邪当時とは比較にならないだろう。 だが100年前のパンデミックと違うところは、私たちの医学は驚くべきほど進化し、そして当時、その原因すらわからなかったウイルスを、私たちは直接観察することが出来、なんであれば人工的にウイルスすら制作できる技術力を保有しているという点だ。 このような状況を鑑みると、100年前のパンデミックと現在。 採るべき方針はあまり変わらないように思える。 すなわちウイルスの猛威に対しては防衛的な姿勢を貫き、じっと私たちの免疫がウイルスに打ち勝つのを待つ。 実際にスペイン風邪はそのようにして終息し、日本は内地45万人の死者を出しながら、パンデミックを乗り越えている。 ウイルスの存在すら知らなかった当時と違って、現在の私達の社会におけるパンデミックは、伝播速度の違いはあれど集落が全滅したり、火葬場が満杯になったりするという地獄絵図には向かいにくいのではないか、というのが正直な感想である。 ・100年前もデマや流言飛語 満員電車イメージ、フォトAC 最後に、スペイン風邪当時の日本で起こったデマや流言飛語の事例を紹介する。 現在ですらも、「57度から60度近いお湯を飲めば予防になる」などの根拠なき民間信仰が闊歩しているが、人間の恐怖の心理は時代を超えて共通しており、当時も様々な混乱が起こった。 とりわけ医学的には無意味な神頼みは尋常ではなく、例えば現在の兵庫県神戸市須磨区にある多井畑(たいはた)厄除八幡宮では、神戸新聞の報道として、「善男善女で…非常な賑わいを呈し 兵庫電鉄は朝のほどから鮓(すし)詰めの客を乗せて月見山停車場に美しい女も職工さんも爺さんも婆さんも十把ひとからげに吐き出す」(速水,198)で、駅から神社まではさらに二キロ程度の山道で、社務所が用意した護符は飛ぶように売れた(速水,同)という。 人ごみを避けろ、と言っておきながら満員電車はOKというダブルスタンダードまで、現在の日本の状況と何ら変わらない。 日本に於けるスペイン風邪の大流行から、私たちは時代を超えた共通項を見出すことが出来る。 そして人間の心理は、100年を経てもあまり進歩がない、という側面をもさらけ出しているように思える。 どうあれ、私たちはスペイン風邪を乗り越えていま生きている。 デマや流言飛語に惑わされず、私たちは常に過去から学び、 「スペイン風邪から100年」という節目に現出したパンデミックに泰然自若として対応すべきではないか。

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スペイン風邪はアメリカが行った人類削減計画であった

スペイン 風邪 発生 源

同じインフルエンザだから たぶんそうでしょうね。 ウィキペデアを参照。 第一次世界大戦時に中立国であったため情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられたことに由来する(スペインが発生源という訳ではない)。 1918年パンデミックとも呼ばれる。 1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。 その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。 死者数は1,700万人から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の1つである。 アメリカ合衆国ではパンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下した。 近年の研究により、スペインかぜはH1N1亜型インフルエンザウイルスによるものと判明している。 (H1N1によるパンデミックは、スペインかぜと2009年の新型インフルエンザの2回である) 概要[編集] 第一次世界大戦中の士気維持のため、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカ合衆国での病状や死亡の初期報告は検閲により最小限に抑えられた。 一方で中立国スペインにおける伝染病の影響は自由に報道され、アルフォンソ13世の重病を初めとする多数の記事はスペインが特に大きな被害を受けたという誤った印象を生み出した。 ここから「スペインかぜ」という呼称が広まった。 しかし歴史的、疫学的データは地理的起源を確実に特定するには不十分であり、その起源には諸説ある(後述)。 ほとんどのインフルエンザの流行では死者が乳幼児と高齢者に偏り、その中間の年齢層の生存率は高いが、スペインかぜでは若年成人の死亡率がその他のインフルエンザと比較して高かった。 科学者たちは、1918年のインフルエンザ大流行の死亡率の高さについて、いくつかの可能性のある説明を提示している。 いくつかの分析はウイルスがサイトカイン放出症候群を引き起こし強い致死性を得ることを示している(サイトカインストーム)。 サイトカインストームは若年成人の強い免疫システムを破壊する。 これとは対照的に、パンデミック期以降の医学誌に対する2007年の分析では、スペインかぜのウイルス感染は以前のインフルエンザ株よりも攻撃的ではなかったことが判明した。 その代わり、栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態が細菌性の重複感染を促進していた。 ほとんどの犠牲者はこの重複感染が死因であり、重篤期間はやや長期化することが多かった。 起源[編集] 起源については諸説あるが、いずれも仮説の域を出ていない。 アメリカ疾病予防管理センター CDC は、アメリカでは1915年と1916年に既にインフルエンザと肺炎による死亡率の急増が見られていたと指摘する一方で、この増加と1918年のインフルエンザパンデミックとの関連性は不明としており、パンデミックの地理的な発生源を特定するには歴史的・疫学的なデータが不足していると述べている。 カナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとの推定もある。 近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスの前駆体が1907年頃に発生したことが判明している。 経緯[編集] 起源に諸説あることから必然的に経緯も諸説ある。 以下は諸説の1例に過ぎないと考えるべきである。 スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である。 第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5月から6月にヨーロッパで流行した。 第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増した。 第3波は1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した。 さらに、最初に医師・看護師の感染者が多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。 この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際にはインフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。 被害状況[編集] スペインかぜの患者でごった返すアメリカ軍の野戦病院。 マスクをつける日本の女性たち。 被害者数[編集] 世界[編集] 世界全体の推定感染者数は世界人口の25-30%(WHO)、または世界人口の3分の1、または約5億人とされる。 当時の世界人口は18億人から20億人と推定されている。 世界全体の推定死者数は1700万人から1億人と幅がある。 アメリカでも50万人が死亡したとされる。 これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。 日本[編集] 日本では、1918年10月に大流行が始まり、世界各地で「スパニッシュ・インフルエンザ」が流行していることや、国内でも多くの患者が発生していることが報じられた。 第1回の流行が1918年10月から1919年3月、第2回が1919年12月から1920年3月、第3回が1920年12月から3月にかけてである。 当時の人口5500万人に対し約2380万人が感染したとされる。 第1回の患者数・死亡者数が最も多い。 第2回では患者数が減少する一方、致死率は上昇している。 第3回の患者数・死亡者数は比較的少数であった。 日本におけるスペインインフルエンザの被害 流行 患者 死者 致死率 1918(大正7)年8月-1919(大正8)年7月 2116万8398人 25万7363人 1. 22% 1919(大正8)年9月-1920(大正9)年7月 241万2097人 12万7666人 5. 29% 1920(大正9)年8月-1921(大正10)年7月 22万4178人 3698人 1. 65% 合計 2380万4673人 38万8,727人 1. 63% 感染者数2380万人、死亡者約39万人が内務省衛生局編『流行性感冒』による統計数値である。 速水融は死亡者を約45万人(肺結核、気管支炎等が死因とされていた者を含む)と推計している。 特徴[編集] スペインかぜはH1N1型インフルエンザウイルスが原因とほぼ特定されているにもかかわらず、他のインフルエンザ流行とは異なる特徴がいくつか見られる。 ただし、第1次世界大戦中の流行であり、当時の記録には様々な混乱要素が含まれ得ることを考慮する必要がある。 被害者の年齢層[編集] 若年成人が死に至りやすい傾向が見られた。 一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児(0—2歳)、高齢者(70歳以上)、免疫不全者に集中することから、これはスペインかぜの際立った特徴と考えられる。 65歳未満の死亡率は65歳以上の6倍であった。 1920年になると65歳未満の死亡率は65歳以上の半分まで減少したが、それでも死者数の92%が65歳未満であった。 日本の記録でも同様の傾向が見られた。 若年成人の死亡率の高さについては、スペインかぜのウイルスが引き起こすサイトカイン放出症候群が若年成人の強い免疫システムを破壊することが原因の一説として挙げられている。 妊婦の死亡率が特に高いことも若年成人の死亡率を高くした要因と見られる。 また、実際にはスペインかぜのほとんどの犠牲者が栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態による細菌性の重感染を死因としているとの指摘もあり、第一次世界大戦による過酷な兵役、軍需産業への動員が若年成人の死亡率を引き上げた可能性もある。 高齢者の死亡率の低さについては、この時代の高齢者は1889年頃に流行した「ロシアかぜ」で免疫を獲得していたのではないかとの説もある。 流行時期[編集] 夏から秋にかけて大流行した。 一般のインフルエンザの流行ピークは冬季である。

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