さらば シベリア 鉄道 大瀧 詠一 本人。 さらばシベリア鉄道

さらばシベリア鉄道

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解説 [ ] もともとはが ()「 ()」に刺激され、アルバム『』のために作った曲である。 大瀧はいったんレコーディングを始めたが、慣れない女言葉で歌うのを気持ち悪がり 、担当が同じだった事もあり太田裕美への提供を思い立ったという。 ただ、自身の録音スケジュールの関係や、これまでの太田裕美のサウンドとの一貫性を大事にしたいという大瀧の意向から、についてはに全面的に依頼した。 ただ、先に出来上がっていた自身のバージョンのオケ(編曲は大瀧自身)を代わりに萩田に渡したため、大瀧の原編曲が生かされている部分もあり、間奏のギターソロは大瀧バージョンと同じが担当している。 太田裕美のシングルとしての発表時、ランキングは最高で70位留まりだったものの、大瀧にとっては作曲家として、初めて100位以内にランクインした楽曲である。 その後、『A LONG VACATION』のにより、アルバム収録の「さらばシベリア鉄道」に注目が集まるようになった。 現在では太田自身最大のヒット曲「」等と同じく、当曲を歌謡番組で披露する事が多い。 収録曲 [ ] SIDE A [ ]• さらばシベリア鉄道 作詞:松本隆、作曲:、編曲: SIDE B [ ]• 君は天然色• Velvet Motel• カナリア諸島にて• Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語(ストーリー)• 我が心のピンボール SIDE B• 雨のウェンズデイ• スピーチ・バルーン• 恋するカレン• さらばシベリア鉄道 解説 [ ] 「さらばシベリア鉄道」はアルバム『』 からのシングル・カット曲で、ナイアガラ・トライアングル「」との両A面でリリースされたが、はアルバムと異なるシングル・ミックスで、アルバムより46秒短く、最後の・ソロ前でフェードアウトする。 レコーディングについて大瀧は、「はアップライトを2台使って、んです。 お得意のサウンドにしたかったので。 でも本当はNGなんですよ、画びょうは。 ハンマーが傷むし、チューニングが狂いやすい。 ムチの音はで、間奏抜けのタムはダビング。 その後(2分18秒)に続く金山功のティンパニはわざとずらしてもらったものだという。 メロディ・歌い回しが一部太田版と異なるが、太田によれば自分のバージョンの方がオリジナル(大瀧がデモテープ代わりに送ってきたバージョン)のメロディに近く、同じように歌うのはつまらないと思った大瀧が歌い方を変えたのではないかと推測している。 収録曲 [ ] SIDE A [ ]• by 多羅尾伴内 SIDE B [ ]• by クレジット [ ]• PRODUCER : EIICHI OHTAKI• ENGINEER :• 大瀧が「」を提供した際、小林の担当ティレクターの意向で企画された。 アレンジはセルフカバー版と大体同じ。 監修によるカヴァー曲集『』(発売 CD:SRCL 5012)にも収録。 英作詞 : TIM JENSEN•

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大瀧詠一

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いや〜、クソ寒いですね〜 数日前、初夏?とも思える陽気だったのがウソのよう!ま、この時期、寒いのが当たり前なんでしょうけど、この気温差は異常気象と言えるのでは?やっぱり地球温暖化が影響してるのかなぁ 本日こちらは海岸に近いせいか、雪が混じる程度でしたが、少し標高の高いところでは完全に雪でしたので、降らなかったのは伊豆半島でもわずかな地域だったようです。 そんな訳で、寒さがぶり返したし、ソチ五輪が始まったという事で、ロシアン歌謡の決定版??? 「さらばシベリア鉄道」の紹介です。 昨年末に大瀧さんが急逝されたニュースには大変なショックを受けました。 ラジオでは特番が組まれたりしたようですが、何故かTVではそんな気配がありませんでした。 …っていうか、見落としていたのかもしれませんが、ことのほか「静かに受け止められた」って感じですかね?それとも「あまり騒ぎ立てるな」的な故人の遺志が尊重されたとか? この作品は80年10月に太田裕美の作品としてリリースされます。 wikiによると、大瀧がジョニー・レイトン「霧の中のジョニー」をヒントに書かれた作品で、大瀧本人の作品として進んでいたところ、この作品は女性向では?という事になり、太田に話が回ったようです。 しかし、太田による男言葉の歌詞は非常に似合いますね〜。 デモテープは大瀧が制作したものを太田のアレンジャー萩田光雄に渡したため、大瀧サウンドを周到した編曲になっています。 太田裕美としては、歌手としての勢いが下降線の頃でしたので、最高70位と振るいませんでした(次作に大瀧書下ろし「恋のハーフムーン」を発売)。 で、81年大瀧さんが『A LONG VACATION』で革命的な大ブレイクをはたし、アルバム収録曲としてセルフカバーの「さらば〜」が脚光を浴びます。 同年11月ナイアガラ・トライアングル「A面で恋をして」と両A面シングルとして発売され、最高14位19. 3万枚のヒットとなります。 この独特のリズムがいいですね〜 で、なんといっても間奏のギター!超カッコいいですよね〜、半音上がるところもツボです。 個人的にレベッカ「フレンズ」の間奏のギターアレンジと双璧だと思いますがいかがでしょう。 mixiユーザー 2014年02月12日 14:49 太田版「さらば〜」を初めて聞いたのは大分後の事だったので、TVで聞いたときはピンと来ませんでした。 「さらば〜」は大瀧版の印象が強い曲です。 大瀧氏は手がける範囲が広いですね。 「うなずきマーチ」や「イエローサブマリン音頭」って 確か大瀧氏の作品だったような。 大瀧氏は地味だけど様々なタイプの名曲を世に送り出した人だったと思います。 なにを隠そう、実は僕も太田版をまともに聞いたのは、かなり後になってからです。 やっぱり大瀧版のサウンドを聞いちゃうとね〜・・・って感じです。 様々なCMも手掛けてますので、提供の幅は広いですよね〜 僕は松田聖子『風立ちぬ』のA面プロデュースがお気に入りです 2020年• 07月• 08月• 09月• 10月• 11月• 12月 2019年• 2018年• 2017年• 2016年• 2015年• 2014年• 2013年• 2012年• 2011年• 2010年• 2009年• 2008年• 2007年• 2006年• 2005年• 01月• 02月• 03月• 04月• 05月• 06月• 07月• 08月• 09月•

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大瀧詠一の愛した瑞穂町で大瀧詠一を愛し語らう人々

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大瀧詠一さんの「DEBUT AGAIN」ポスター 東京都西多摩郡瑞穂町……この町は、狭山茶の産地で、シクラメンの栽培でも知られています。 狭山丘陵の西に位置し、南には横田基地があることから、いまも町には、元・米軍住宅が残っています。 その米軍ハウスを、自宅兼スタジオにして、数多くのヒット曲を世に送り出したのが、大瀧詠一さん。 2013年12月30日、突然の訃報から、4年が過ぎました。 大瀧詠一さんがこよなく愛した瑞穂町に、彼をこよなく愛する人が暮らしています。 「クリキンさん!」の愛称で呼ばれる栗原勤(つとむ)さん、65歳。 子供の頃から、音楽が大好きで、中学1年の時、初めて買ったレコードが、ブルーコメッツの「青い瞳」。 中学では、クラスの仲間と、ロックバンドやフォークグループを結成。 音楽の仕事をしたいと、立川のレコード店に就職しました。 一万枚のレコードを集め、大瀧詠一さんに夢中になった栗原勤さん 「当時、ドーナツ盤は330円、Lpは1,500円だったかな。 給料のほとんどは、レコードにつぎ込みましたね」 いままでに集めたレコードは、洋楽・邦楽、合わせて一万枚! 自宅の庭に、プレハブでレコード部屋を建てたほどです。 そんな栗原さんが、大瀧詠一さんに夢中になったのは、23歳の頃、たまたま、夜中にチューニングしていたラジオから、軽快なアメリカンポップスが流れてきました。 「『ゴー・ゴー・ナイアガラ』という深夜番組でね、ラジオ関東、いまのラジオ日本だけど、深夜3時に始まって、アメリカンポップスだけでなく、演歌、民謡、お座敷ソングまで、ありとあらゆるジャンルを聴かせてくれる面白い番組だったよ。 その大瀧さんが同じ町に住んでると知って、夢中で聴いてましたね」 「はっぴいえんど」のポスター 右下が大瀧詠一さん 大瀧詠一さんが瑞穂町に移り住んだのは、「はっぴいえんど」が解散した翌年の1973年……ここから、「君は天然色」「恋するカレン」をはじめ、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」など、数々のヒット曲を生み出しました。 大瀧さんが亡くなった時、こんな偉人が、この町に住んでいたことを、もっと知ってほしいと、栗原さんは『大瀧詠一さんを語る会』を発足。 いままでに40回を超える「語る会」を開催してきました。 「大瀧さんが、どうして瑞穂町に住んだのか? よく聞かれるんです。 亡くなったあとに、大瀧さんのふるさとを訪ねて、思ったんです。 (ああ、風景が似ている)と……、はっぴぃえんどのメンバーは、みんな都会育ちのお坊ちゃん。 大瀧さんだけ、岩手県の出身。 ふるさとの風景に似た瑞穂町を気に入ってくれたんじゃないかなぁ」 (左)『大瀧詠一さんを語る会』左から栗原さん、太田さん、前田さん/(右)前田さんと展示物 『語る会』には、栗原さんの他に、仲間のスタッフが二人います。 前田哲也さんは、小学三年の時、「夢で逢えたら」を聴いて、大瀧ファンになり、数々のナイアガラグッズを集めてきました。 太田美智子さんは、中学生の時、英語の先生から、「これ、いいぞ」と毎週カセットを渡され、それでファンになったとか。 『語る会』のイベントには、日本全国からファンが訪れます。 先日のトークイベントには、定員70人に100人が集まりました。 「何十年もファンだったけど、話し相手がいなかったので、こういう会が出来て、うれしい……、そんな人たちが来てくれますね。 大瀧さんは、ファンをとても大事にしていたから、突然亡くなって(やりきれない)という人も結構多いんです。 実は私もその一人……、だから、みんなの話を聞くのが楽しくてね」.

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