いだてん 小松。 いだてん〜東京オリムピック噺〜

『いだてん』神木隆之介、父親役が同い年・仲野太賀で驚きも「実は伏線が…」

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先週8月18日放送の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第32話終わりの「いだてん紀行」を見て、多くの人が「うわ、似てる!」と思ったのではないだろうか。 何が似ているのかといえば、劇中に登場する大日本体育協会会長(2代目)の岸清一と、それを演じる岩松了である。 ドラマの公式ガイドブックでは、岩松が、今回の出演が決まったあとで脚本の宮藤官九郎から岸と顔が似ていると言われ、《僕が演じるのはおこがましい気がしていたので、顔だけでも似ていてよかったです》とコメントしていた。 その岸清一は、第32話の劇中、1932年のロサンゼルスオリンピックから帰国後、昭和天皇にオリンピックの成果を進講したのち、1940年の東京オリンピック招致に向けて体協も動き出すなか、急逝してしまった。 昭和天皇への進講という栄誉に感激する岸 思えば、今回の岸はいつにも増して感情の起伏が激しかった。 冒頭、オリンピック選手の祝賀会で、東京市長の永田秀次郎(イッセー尾形)が、女子200メートル平泳ぎの銀メダリスト・前畑秀子(上白石萌歌)に対し、「なぜ金メダルを取ってこなかったんだね」と言い放ったことに猛抗議し、しまいには「伸びたうどんみたいな顔をして」「さっさと引退して縁側で俳句でも詠んでいたらどうだ」と口を滑らせ、そばにいた田畑政治(阿部サダヲ)に止められるほどだった。 ちなみに「俳句でも詠んでいたら……」というのは、永田が俳人(号は「青嵐」)でもあったことによる。 昭和天皇への進講を終え、会長を務める大日本体育協会(体協)の事務局に戻ったときには、「少し余韻に浸らせてくれ」「生きて陛下の御尊顔を拝し奉ったうえに、オリンピックに進講する日が来ようとは」としみじみ語ったかと思えば、鏡を見て急に「こっちのまぶただけ二重になってるじゃないか!」と言い出す。 岸はまた、進講のなかで東京のオリンピック招致についても言及していた。 1940年の第12回オリンピックの開催地はローマが有力候補として見られていたものの、4年後の1936年の第11回ベルリン大会は、開催国のドイツでヒトラーが政権を取れば開催を返上する可能性があり、もしそうなればローマが第11回大会に繰り上がり、案外楽々と東京に第12回大会が転がり込むかもしれない……岸はそう説明したのだが、実際にはそんなにうまくはいかなかった。 1933年に政権に就いたヒトラーは、宣伝相のゲッベルスの指示に従い、ベルリン大会の開催を決めたからだ。 ローマとの一騎打ちでは勝ち目がないうえ、日本はこのころ国際連盟を脱退して国際的に孤立を深めていた。 さらに東京オリンピックの言いだしっぺである永田市長が部下の汚職の責任をとって辞任してしまう。 東京オリンピック招致で嘉納が奇策を打ち出す 東京オリンピック招致活動には、岸清一や嘉納治五郎(役所広司)、陸連の山本忠興(田中美央)のほか、新たに外交官の杉村陽太郎(加藤雅也)、元貴族議員で公爵の副島道正(塚本晋也)が加わった。 杉村は嘉納塾出身で柔道を得意とし(初対面の田畑を背負い投げした)、国際連盟事務次長を務めていたが日本の連盟脱退により失職していた。 体協の理事に誘われながら決めかねていた田畑も、嘉納によって半ば強引に招致委員会のメンバーにさせられてしまう。 このあと、永田に替わって牛塚虎太郎(きたろう)が東京市長となった。 杉村は1933年のウィーンでのIOC総会で、嘉納と岸に次ぎ日本から3人目のIOC委員となる。 そのころ、岸はぜんそくで入院し、田畑と野口源三郎(永山絢斗)が見舞う。 そこへ帰国した杉村が現れ、1940年のオリンピックの開催候補は、ローマ、ヘルシンキ、東京の3都市にほぼ絞られ、2年後のIOC総会で投票が行われることになったと伝えた。 岸は、さらなる感動のためにも病になど臥せっていられないとやる気を示すが、それからまもなくして10月29日に急逝する。 岸の後任のIOC委員には副島が就いた。 岸の訃報をウィーンから戻る船上で知った嘉納は、どうにか納骨に間に合った。 遺影を前に「男泣きは君の専売特許だったもんね」と語りかける嘉納。 「岸君、君がその目で見たかった光景を、われわれは必ずこの東京で実現する」と嘉納が誓うと、田畑もそのために邁進すると約束する。 だが、嘉納はいつになく悲観的な態度を見せる。 ローマはすでに立派な競技場も建設するなど準備を着実に進めており、各国のIOC委員も圧倒的にローマ支持が多かったからだ。 招致委員会の会議では、田畑はほかの委員の意見を繰り返して言うばかりで自分の意見を言わないので、副島や杉村に怒られる。 だが、彼はそれを待っていたかのように熱弁を振るい出した。 「誰のためのオリンピックかって話じゃんね〜」 「誰のためのどういうオリンピックなら日本はできるのか。 選手のため? 国民のため? 軍のため? それによって自然石か大理石かコンクリートか、自信持って決めませんか?」 「もちろん紀元2600年は大事、日本人にとってはね。 でもそれだけではローマに勝てません。 遠方から来る外国人選手にとっては、飯は口に合うのか、練習は十分にできるのか、便所は和式か洋式か、そっちのほうが大事でしょう」 「何期待してんの、オリンピックに? ただのお祭りですよ。 走って泳いで、騒いで、それでおしまい。 平和だよねえ。 政治がどうの、軍がどうの、国がどうの……違う違う違う。 簡単に考えましょうよ。 ローマには勝てない。 じゃあどうします、『戦わずして勝つ』の嘉納さん?」 田畑にそう振られ、嘉納はウルトラCともいうべき奇策を提案する。 イタリア首相のムッソリーニに直談判して、オリンピックを譲ってもらおうというのだ。 「直接会って『譲ってください』って言えば、案外簡単に譲ってくれるかもしれん」。 だが、独裁者として知られるムッソリーニ相手にそんなことができるのか、ほかの委員は難色を示すが、杉村はちょうどイタリア大使に就任したばかりとあって乗り気になる。 招致活動にあたって嘉納は、欧米では日本のことが何も知られていないと、PR用の資料として写真集をつくるよう田畑に命じた。 田畑は仲間たちと集まって話し合いながら編集を進め、日本の伝統や文化についてまとめた分厚い写真集を完成させる。 題して『日本』。 嘉納はこれに「題名が気に入った。 『JAPAN』じゃなくて『日本』としたところに気概を感じるよ」と満足する(このセリフは、ストックホルムオリンピックの開会式でプラカードの国名の表記について、金栗四三が「JAPAN」ではなく「日本」を主張し、嘉納が「NIPPON」と決めたエピソードを思い出させた)。 だが、嘉納が写真集を持って立ち上がろうとしたところ、その身体に異変が起こる。 はたして岸を喪い、嘉納が倒れるなか、オリンピック招致はどんな進展を見せるのか。 ムッソリーニは会ってくれるのか。 きょう放送の第33話へと続く。 田畑の結婚で、マリーの占いがまたしても外れる 第32話では、オリンピック招致の話が進むなかで、田畑が結婚する。 相手は新聞社の同僚・酒井菊枝(麻生久美子)だ。 田畑は以前、結婚相手を世話してほしいと上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)に頼んでおきながら、緒方が話をまとめてきたときにはすでに頭のなかはオリンピックでいっぱいで見合い写真さえ見なかった。 ロサンゼルスから帰ってもしばらく興奮が収まらない彼は、毎夜仕事終わりに社に残って回顧録の執筆に励む。 そんな田畑に、同じく残業していた菊枝が「一人で食べるのも気が引けるので」と夜食を分けてくれた。 一緒に食べているときも、田畑は菊枝が無口なのをいいことにオリンピックの話をしゃべりまくる。 そんな日が続くうち、彼は菊枝に惹かれていく。 日本橋のバー「ローズ」で菊枝についてうれしそうに話す田畑に、ママのマリー(薬師丸ひろ子)は「やっと夢中になれるものを見つけたのね」と言い、「田畑さん、お見合いするんじゃなかった?」と思い出すと、またしても勝手に占いを始める。 はたして、田畑が夢中になっている人と、見合いの相手と、どちらに脈があるのか? マリーの出した答えは「残念、どちらとも結ばれないわ」であった。 翌朝、田畑はあらためて緒方に見合いを断るのだが、緒方に促されて、それまで見ていなかった見合い写真を見て驚愕する。 そこにはほかならぬ菊枝が写っていたからだ。 これまで占うたびにことごとく外してきたマリーだが、今回の占いも外れ、「どちらとも結ばれる」結果となった。 田畑と菊枝は1933年4月、水連の松澤一鶴(皆川猿時)や新聞記者から政界に転身した河野一郎(桐谷健太)など大勢の人たちに祝福されながら結婚式を挙げる。 その余興で落語家を呼んだところ、「古今亭志ん馬」という落語家が出てきた。 誰かと思えば、田畑が少年時代に勝鬨亭で出会い、カネをすり盗られたこともある美濃部孝蔵(森山未來)ではないか。 孝蔵はこのころ、結婚式などの余興のほか、ラジオにも呼ばれるようになり、落語でどうにか食えるようになっていた。 仲野太賀演じる青年はどんな活躍を見せる 杉村陽太郎、副島道正と新たな人物が登場した第32話だったが、熊本の金栗四三(中村勘九郎)のもとにも未知の人物が現れた。 それは小松勝(仲野大賀)という青年で、四三の著書『マラソン』に感銘を受けて訪ねてきたのだ。 四三はあいさつもそこそこに小松の足を触ると、サイズを訊く。 それは小松のための足袋を選んでやるためだった。 そして当の四三は九州一周のマラソンに出発するという。 それを前に小松も言われるがままに冷水を浴びせられる。 そういえば、志ん生(ビートたけし)の弟子の五りん(神木隆之介)も、「死んだ親父の言いつけなんで」と病み上がりでも朝の冷水浴を欠かさなかったが、小松と五りんの父は何か関係があるのか? ところで、小松を演じる仲野太賀(今年6月に太賀から改名)は、ちょうど放送時、岩松了の作・演出の舞台「二度目の夏」に出演中だった(きょう9月1日の神奈川公演が千秋楽)。 はたして今回の小松はどう演じられるのか、楽しみだ。 「いだてん」第32話キーワード事典 以下、第32話に出てきた事柄について、事典風に説明を補足しておきたい。 前畑秀子……第32話の冒頭に出てきた、前畑が祝賀会で永田秀次郎からベルリンオリンピックでは優勝してほしいと熱望されたというエピソードは実話にもとづく。 永田はこのときうっすらと涙を浮かべていたという。 ドラマでは、永田とのやりとりのあと、前畑は夢のなかに出てきた亡き両親(演じていたのは康すおんと中島唱子)から激励されて次のベルリンに向けて練習を始める。 いかにもフィクションっぽいが、これも前畑の自伝での記述にもとづいている。 自伝『前畑ガンバレ』(金の星社)によれば、ロサンゼルスオリンピックのあと、次をめざすか迷っていたころ、母親が夢に出てきて「いったんやりはじめたことは、どんなに苦しいことがあっても、最後までやりとげなさい」と励まされたという。 前畑は母と父にあいついで先立たれ、一時は水泳をやめることも考えたが、親戚や恩師である椙山正弌(椙山女学校校長)の勧めもあって、ロサンゼルス、ベルリンと連続してオリンピックに出場することができた。 紀元2600年……番組中でいまのところちゃんとした説明がないのが気になるが、ここでいう紀元とは、『日本書紀』の記述から神武天皇が初代天皇に即位した年を元年(西暦では紀元前660年とされた)とする「皇紀」のことである。 1940年は皇紀では2600年の節目を迎えることから、東京オリンピックのほか、札幌冬季オリンピック、東京での万国博覧会などさまざまな記念事業が計画された。 オリンピックや万博は幻に終わったものの、1940年には政府主催の紀元2600年の記念式典が行われ、盛大に祝われた。 紀元2600年をめぐる一連のイベントや、それを機に起こった観光ブームについては『皇紀・万博・オリンピック』(中公新書)という本に詳しい。 同書の著者の古川隆久は「いだてん」で時代考証を担当している。 円蔵と金語楼……田畑は自分の結婚式に余興で呼んだ落語家が孝蔵だと知ったとき、思わず「円蔵か金語楼よこしてくれってそう言ったよ」とぼやいていたが、円蔵とは6代目橘家円蔵、金語楼は柳家金語楼を指す。 6代目円蔵はのち1941年に6代目三遊亭円生を襲名し、戦時中には志ん生と一緒に満州に渡ることになる。 「いだてん」では田畑が1960年の場面で円生のファンを公言していた。 一方の金語楼は、自作の兵隊落語で売れっ子となり、戦後は「ジェスチャー」などテレビでも人気を集めた。 「いだてん」では若き日の志ん生が師匠だった柳家三語楼から破門されたあと、噺家仲間の万朝(柄本時生)のとりなしで落語界に復帰したが、実際に三語楼と志ん生のあいだを取り持ったのは当時志ん生の兄弟子だった金語楼であったらしい(結城昌治『志ん生一代 下』小学館)。 岸清一……第32話で嘉納から「男泣きは君の専売特許だったもんね」と言われていたとおり、実際にも何かにつけてよく泣く人だったらしい。 小学生がわずかばかりの寄付金を持ってきたときにも、子供たちの純情に感激して泣きながら受け取り、「尊いお金だ」と喜んだとか。 岸は東京帝国大学時代にはボート部に所属し、のちには日本漕艇協会を設立して会長となり、体協会長と兼任したが、当人は生涯、弁護士であることを誇りとしていた。 貴族院議員に就任したときも、「俺は運動関係でなったのではない。 弁護士でなったのだ」と強調したという(岸同門会編著『岸清一伝』大空社)。 劇作家と大河ドラマ……「いだてん」には、岩松了以外にも、橘家円喬役の松尾スズキといい、アナウンサーの松内則三役のノゾエ征爾といい、劇作家の出演が目立つ。 ちなみに岩松了の大河出演は、2009年放送の「天地人」で真田昌幸を演じたのに続き2度目。 このほか、過去に大河ドラマに出演した劇作家は下記のとおり(遺漏があるかもしれないので、あしからず)。 ・福田善之('65年「太閤記」竹中半兵衛役、'67年「三姉妹」伊藤俊輔役) ・唐十郎('78年「黄金の日日」原田喜右衛門役) ・渡辺えり子(現・えり/'99年「元禄繚乱」阿久利役) ・野田秀樹('04年「新選組!」勝海舟役) ・三谷幸喜('06年「功名が辻」足利義昭役) ・岩井秀人('16年「真田丸」甚八役) 国際連盟脱退……第32話で描かれたとおり、1933年2月24日、国際連盟の特別総会に日本全権として出席した松岡洋右は、前年に建国された「満州国」の存在が認められなかったことから、国際連盟からの脱退を表明、翌月には日本政府が正式に脱退通告を行なった。 もっとも、当の松岡は、日本を発つ前に元老の西園寺公望と会い、連盟脱退の回避に努めると約束しており、それが最終的に脱退にいたったことを悔いたという。 それもあって、日本の多くの有識者も脱退には反対していた。 しかし国民の大多数は脱退論を支持した。 国際連盟の特別総会を前に、日比谷公会堂では対国際連盟緊急国民大会が開催され、全国にラジオ中継されるなか、連盟脱退を求める宣言が採択された。 松岡もこうした世論の沸騰を無視するわけにいかなくなる。 1933年4月27日、連盟脱退を表明した松岡が帰国すると、横浜港には大群衆が出迎えた。 このときラジオで実況中継を担当したのは、ロサンゼルスオリンピックで実感放送を行なった河西三省であった(筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』中公新書)。 各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中).

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【いだてん】39話ネタバレ感想:小松勝は満州で死亡!志ん生・美川・森繁久彌も満州に【東京オリムピック噺 大河ドラマ 中村勘九郎・阿部サダヲW主演】

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15日に最終回を迎えた今年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(日曜後8・00)は、全47話の期間平均(全話平均)が8・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と大河ドラマ史上初の1桁に沈んだ。 2012年「平清盛」と15年「花燃ゆ」の期間平均12・0%を大幅3・8ポイント下回り、大河ドラマ歴代ワーストを更新。 本放送(総合テレビ)の2時間前(日曜後6・00)に放送されているBSプレミアムも、「録画視聴率」とも呼ばれるタイムシフト視聴率も大苦戦した。 一方、インターネット上の評価は高く、毎回SNS上を席巻。 歌舞伎俳優の中村勘九郎(38)と俳優の阿部サダヲ(49)がダブル主演を務めた大河ドラマ58作目。 13年前期の連続テレビ小説「あまちゃん」で社会現象を巻き起こした宮藤官九郎氏(49)が大河脚本に初挑戦し、オリジナル作品を執筆した。 日本が五輪に初参加した1912年のストックホルム大会から64年の東京五輪まで、日本の激動の半世紀を描いた。 「いだてん」は本放送以外も低迷した。 BSプレミアムは本放送より早く内容を知れるため、大河ファンに人気。 2016年「真田丸」は期間平均4・7%(全50話)最高5・8%。 最終回まで10週連続5%台の驚異的な数字を叩き出した。 本放送が待ち切れない視聴者が多く、ネット上で「早丸」の愛称で親しまれた。 17年「おんな城主 直虎」も期間平均4・4%(全50話)、18年「西郷どん」も期間平均4・3%(全47話)と好調。 しかし「いだてん」は一気に2・3%に落ち込んだ。 タイムシフト視聴率は「録画再生率」「録画視聴率」とも呼ばれ、録画機器などで放送後7日以内(168時間以内)に視聴したもの。 ビデオリサーチ社が16年10月3日から新たな視聴率調査を開始。 録画機器の性能向上、スマートフォンなどを使用したスマートデバイスによるテレビ視聴など、多様化した視聴形態に即した視聴率算出が近年の課題だったが、検討を重ね「総合視聴率」「タイムシフト視聴率」を新しい指標として採り入れた。 17年「おんな城主 直虎」はリアルタイム視聴率が平均12・8%、タイムシフト視聴率が平均5・0%。 18年「西郷どん」はリアルタイム視聴率が平均12・7%、タイムシフト視聴率が平均5・8%だった。 ビデオリサーチ社は毎週、タイムシフト視聴率の上位10番組を公式サイトで発表。 ここまで今年48週のうち、「いだてん」がランクインしたのは6回。 (1)初回(1月6日)=5・4%(2)第2話(1月13日)=4・5%(3)第12話(3月24日)=3・6%(4)第26話(7月7日)=3・8%(5)第37話(9月29日)=3・3%(6)第39話(10月13日)=3・5%。 「いだてん」は「直虎」の5・0%、「西郷どん」の5・8%を下回る可能性が高い。 最終回も「#いだてん最高じゃんね」がツイッターの国内トレンド1位(放送終了約30分後)。 毎回、複数の関連ワードでSNS上が賑わい、辛口の視聴者が多いYahoo!テレビの星取りも平均3・80点(5点満点)(15日午後8時時点)とネット上で熱烈に支持された。 日頃、公表されている視聴率は「リアルタイムの世帯視聴率」。 日本の人口ピラミッドの通り、年配層の嗜好に左右されやすく、視聴率と作品の評価は必ずしも直結しない。 かく言う記者も「いだてん」を1年間、楽しく視聴した1人。 お気入りのキャラクターは嘉納治五郎(役所広司)。 その最期を描いた第37話「最後の晩餐」(9月29日)には涙した。 初めて知った用語だった。 オンライン百科事典「ニコニコ大百科」などによると「最初(1話あるいは3話まで)は評判の悪かった、あるいは面白くないという意見の比率が高かったアニメが、回を追うごとに視聴をやめる者を出し、最後には絶賛する人だけが残り、結果的に外野からは評判が良いように見える現象」。 テレビアニメ「伝説の勇者の伝説」が由来になっている。 腑に落ちた。 賛否両論とはならず、ネット上で好評の声が大勢を占めたのも頷ける。 ただ、1本数千万円~1億円とも言われる大河ドラマの莫大な制作費は、国民が支払う受信料だ。 18日には木田幸紀放送総局長の定例会見がある。 どのように総括するのか、注目したい。 (記者コラム).

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いだてん 38話 中村七之助さん、坂井真紀さん登場

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昭和36(1961)年12月、 古今亭志ん生(ビートたけし)は 読売巨人軍の祝勝会で倒れてしまいます。 脳出血でした。 五りん(神木隆之介)が病室へかけつけると 美津子(小泉今日子)とその妹・喜美子が いました。 坂井真紀さんが演じます。 志ん生は酸素マスクをつけてベッドで 横たわり、意識がありません。 今松(荒川良々)は志ん生が倒れた時の事を 話します。 川上監督が遅れ、会場がざわざわ していたので、志ん生は高座に上がっていき ました。 しかし、料理とお酒も一緒に出され 一同の乾杯!が始まってしまいます。 志ん生が落語を始めますが、誰も聞いて いません。 やがて志ん生は顔をゆがめて 倒れてしまったのです。 嘉納治五郎の死 昭和13(1938)年、 嘉納治五郎(役所広司)の棺には五輪の旗が かけられ、横浜港に帰って来ます。 金栗四三(中村勘九郎)可児(古舘寛治) 田畑政治(阿部サダヲ)野口(永山絢斗) 永井(杉本哲太)らは悲しみました。 政治は嘉納からのストップウォッチを 手にしていました。 嘉納が亡くなる前 平沢和重(星野源)に託されたものです。 時計はまだ動いていました。 清さん(峯田和伸)もかけつけ 嘉納治五郎の死を悲しみます。 東龍太郎(松重豊)山本(田中美央)らが 棺を車へ運び込みました。 四三は「オリンピックはやる。 必ず」と 静かに決意表明します。 古今亭志ん生、倒れる 病室の古今亭志ん生は酸素マスクをつけて 眠ったままです。 五りんは古いはがきを 見ていました。 五りんの父親が母親に送った もので「志ん生の富久は絶品」とあります。 政治は永井と可児と野口とで、嘉納治五郎を 偲ぶ会を居酒屋で開き、オリンピックを 必ずやると誓いました。 東京オリンピック組織委員会が開かれ 政治はギリシャから東京への聖火リレーを 提案します。 しかし陸軍の梅津(千葉哲也) らは反対し、神火リレーを提案しました。 牛塚(きたろう)は駒沢競技場の建設を 提案します。 1000トンの鉄筋がいると いうと、梅津は木製にしたらと言い出し ました。 現在建設中の新国立競技場は 隈研吾さんデザインで、木も使われて いるんですよね。 東京オリンピック中止 田畑政治は東京オリンピックを開こうと しますが、副島は返上を決め、近衛首相に 電話しようとします。 政治は電話するなら オリンピック開催中は、停戦するよう 伝えてと訴えました。 しかし、東京オリンピック中止が決まり 副島はラトゥール会長に手紙を書きます。 手紙を受け取ったラトゥール会長は 「幻のオリンピックか」とため息を つきました。 明治神宮外苑競技場へ政治は行って 金栗四三と小松勝(仲野太賀)に 東京オリンピック中止を伝えます。 小松はショックを受けましたが、 ヘルシンキがあると走り出しました。 朝日新聞社へ戻った政治は 東京オリンピック中止の記事を書き、 ストップウォッチを止めようとします。 しかし思い直して、動いたまま 引き出しにしまいました。 志ん生、意識を取り戻す 昭和36年、岩田幸彰(松坂桃李)が ストップウォッチを止めようとするのを 政治が慌てて止めます。 その後、カップラーメンの3分間を計った 政治がストップウォッチを止めようとして 今度は岩田に止められました(笑) 病室の志ん生は、付き添いの今松が 五りんに入れ替わると、酒を買って来いと 頼んできます。 意識を取り戻したのです。 しかし体の半分は動かず、 ろれつも回りません。 五りんは、父親の小松が兵隊に取られ 満州へ行った時、志ん生が慰問に来たのか とたずねます。 志ん生はお酒を買ってきたら 話してやると言い出しました(汗) 第二次世界大戦でヘルシンキ五輪中止 昭和14(1939)年、第二次世界大戦 が勃発し、ヘルシンキオリンピックも 中止となります。 四三が小松を熊本へ返せばよかったと残念 がっていると、辛作(三宅弘城)が辛気臭い と怒り出しました。 四三がいつも明るいから 家賃ももらわずに置いてやっているのに というのです。 スヤ(綾瀬はるか)は小松が東京にいたい 訳があると言い、小松はりく(杉咲花)の 事を好きだと明かしました。 小松が外へかけだすと、りくが自転車で 追いかけていきます。 りくが「勝さん 早く」と小松を追い越すと、小松は 「俺と一緒になってくれ」とプロポーズ! りくは猛スピードで自転車をこいで いきました。 播磨屋の2階で、小松とりくは盃を交わし ます。 増野(柄本佑)は妻を震災で 亡くしたと涙を流しました。 五りんは小松金治 病室で、五りんが昭和15年に生まれ 小松金治と名付けられたと打ち明けると 志ん生は「志ん生を襲名した頃だ」と 言います。 美濃部孝蔵(森山未來)が古今亭志ん生を 襲名する事に、りん(夏帆)は反対します。 志ん生を継いだ人は短命だったからですが 孝蔵は志ん生襲名を決めました。 病室に、りん(池波志乃)たちが集まり 美津子が酒臭いと気づきますが なんとかごまかしました(笑) 中村七之助さんの三遊亭圓生 昭和16(1941)年、東条内閣が 成立します。 志ん生となった孝蔵が 日本橋の寄席に行くと、高座に 三遊亭圓生が上がっていました。 中村七之助さんです。 中村勘九郎さんとの同じシーンでの 共演を実現して欲しいです! 軍部の命令で、いくつかの落語を 演じる事が禁止されてしまいます。 昭和16年12月、真珠湾攻撃が始まり 太平洋戦争が勃発しました。 連戦連勝のニュースが流れ 朝日新聞社では万歳!が起こります。 緒方(リリー・フランキー)から「ウソでも 喜べ」と言われ、政治も万歳しました。 小松勝、学徒出陣へ 20才以上の文科系大学生が徴兵され 学徒出陣が行われます。 小松も出征する事になり 四三はムリしてでも熊本へ連れ帰れば よかったと後悔しました。 小松はそうしたら金治が生まれて なかったと笑顔を見せ みんなで自転車節を歌います。 そこへ暗い顔の増野が入って来て 「約束を破ったのか」と小松を蹴りました。 子供たちは「ばってん」の大合唱。 増野は「立派に戦ってくるんだぞ。 お国のために」と小松に言い りくは千人針を渡してくれます。 小松は金治を抱きしめ、3才になったら 冷水浴をさせてと四三に頼みました。 増野が「小松勝君、ばんざい!」と叫び 一同も「ばんざい」と叫びます。 2才の金治も、ばんざいしていました(泣) 昭和18年10月21日、明治神宮外苑 競技場にて、出陣学徒壮行会が行われます。 政治は副島や東龍太郎らと学生たちを 見送っていましたが、河野一郎(桐谷健太) を見つけ、ついていきました。 政治は「これで満足か?河野先生。 俺は諦めない。 オリンピックを必ずやる ここで」と河野に言います。 金栗四三、りん、スヤが見送る中 銃を持った小松が行進していきました。 暗い時代へと突入していく中で 五りんの父親の小松勝が、満州で 志ん生と出会うエピソードが 次回出てくるようですね。

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