山陰 本線。 山陰本線(JR西日本)駅舎、ホーム、駅前の写真、画像

山陰本線

山陰 本線

山陰本線 2010年12月14日 白砂青松の山陰海岸らしい風景の中に現れた561レ。 牽いて来たのは角張ったデフにカマボコドームの戦時型D51 1067号機でした。 '73. 8 小田~田儀 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2010年12月10日 近く最後を迎えるキハ181系だが、山陰地区への第一歩はD51三重連でにぎわう1971年4月26日新大阪-出雲市間 特急「おき」新設にともなうピカピカのキハ181系が米子機関区に回着した。 '71. 1 米子機関区 P:石田哲彦 投稿者 Yamashita : 2010年11月 9日 薄暗い冬の朝、上りの二番列車がまだ夜の明けきらぬ西浜田を発車する。 重装備のC57のブラスト音が集落にこだまする。 益田発浜田行526列車、機:C57 120 '70. 29 西浜田 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2010年10月21日 1970年元日は、大晦日から降り続いた大雪は上がったものの強風が吹き荒れ、ダイヤは大混乱。 最悪の撮影コンディションンで、やっと撮ったD51の煙は、真横に流されていた。 '70. 1 米子 P:中浦秀和 投稿者 Yamashita : 2010年10月19日 海岸沿いに別れを告げ、長門二見からの山区間。 1000分の25との苦闘でブラスト強くも速度は上がらず、空転を繰り返す。 後ろから押してやりたくなるような、つらそうなシーン。 878列車。 '71. ターンテーブルにちょこっと乗った姿がかわいらしかったです。 '73年秋 米子機関区 P:山本順一 投稿者 Yamashita : 普段走らない時間帯に園部までの臨時往復が設定されました。 時間待ちの間、保津川下りの船に手を振っていたのが思い出されます。 '71. そこで行きつけの写真店に教わり、ASA1000というコダックのレコーディング2475という超高感度フィルムを試用したところ、ご覧の通りの粗粒子で、引退間近のDF50牽引列車など、多数の被写体を無駄にしてしまった。 '76. どこの撮影地も脚力を必要としたが、この場所は比較的駅に近く客車列車の本数が多かった。 列車は幸運にもD51ナメクジ牽引だった。 '73. 冷房なんて必要なかったころの、あ・つ・い、思い出です みんな、元気かなぁ。 '79. 30 下関 P:小林慎治 投稿者 Yamashita : 2010年7月29日 特急「まつかぜ」は京都と博多間を結ぶ山陰線のクイーンであった。 その「まつかぜ」は出雲市駅で上下交換していた。 出雲大社の見学を早めに切り上げ、撮影した。 '68. 5 出雲市 P:内田博行 投稿者 Yamashita : 2010年7月26日 和歌山から転入した本州ただ2輌の四次型C57、190号機を撮影するため秋の山陰本線に出かけた。 まだ自動車が本格的に普及していなかった当時、有名観光地の嵯峨野、保津峡を沿線にもつ山陰本線は観光シーズンの日曜日にはラッシュ時以上の混雑となり、押し寄せる観光客をさばくため、通常は2~3輌編成で運転しているDC列車を2本分まとめて4~6輌に増結し、足りなくなったDCのスジを蒸機牽引列車で埋めるのが常だった。 園部でC57 190を撮影した帰途、16時18分に亀岡で交換する131Dは蒸機牽引客車に置き換わっているかもしれないと思って対向列車を見ると、131Dは予想通り蒸機牽引、機関車は見慣れたC51 271。 1本遅い列車に乗ることにして下車、夕暮れの亀岡を発車してゆくC51 271を見送った。 しかし190号機の転入で余裕のできたC57は臨時運用もまかなうようになり、老いたC51 271に次の日曜日は来なかった。 その夜に梅小路に帰区して火を落とし、4日後の10月21日に二休指定、そのまま再起することもなく3か月後の1966年1月21日廃車。 この列車が名機C51のラストランだと知ったのは数年たってからのことである。 「SLブーム」の直前だったとはいえ、見送ったのは友人と二人だけ、名優の最後はあまりにも静かだった。 '65. 17 亀岡 P:小西和之 投稿者 Yamashita : 2010年7月21日 静かな小駅、特牛(こっとい)を発車。 まだ速度も遅く、立ち向かう勾配に二重奏のドラフトが山あいに響く春の朝。 浜田発門司行823列車、機:D51 227+D51。 '71. 27 特牛-滝部 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2010年7月 1日 静かで鏡のような日本海。 白砂青松、山紫水明。 受ける朝日にボイラを輝かせこの地を通過する。 門司発福知山行824列車。 遠い行き先が時代を感じさせる。 '70. 30 宇田郷-須佐 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2010年5月10日 朝の834レを牽引してやってきた福知山区の41号機。 D51 499と同じ後藤工場標修車プレートをデフに付けていた。 '66. 9 梅小路機関区 P:石地康司 投稿者 Yamashita : 2010年4月14日 135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。 さっそく素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76. 22 直江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2010年4月 9日 下りの貨物列車の待避を受けて、C57牽引の上り列車が仁万駅に進入、ひなびた小駅でひとときの豪華な顔合わせが展開しました。 腕木シグナルも洒落た脇役を演じていました。 '73. 8 仁万 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2010年4月 7日 減速して馬堀駅を通過、保津峡に向けてエンジンを唸らせて築堤をかけ登る長い編成の「丹後4号」。 現在は「トロッコ列車」の走る嵯峨野観光鉄道となっています。 '69. 今も昔も変わらない山陰本線の名撮影地、折居の海岸線を行くC57牽引上り普通列車の罐は梅小路から流れてきた5号機でした。 '74. 中学時代に数えきれないほどの蒸機を撮影したこの土手で、過ぎ行く最終列車を見送ったあとは、遠くから聞こえる汽笛が寂しく出雲平野に響いていました。 '75. '86. 10 出雲市 P:閑野雅幸 投稿者 Yamashita : 2010年3月25日 正月に保津峡を訪れた。 川のせせらぎしか聞こえない静かな山峡に発車の汽笛がこだました。 そしてドラフトが段々と大きく反響しながらやってきた。 現在この線は観光用路線となってしまった。 '70. '73. 23 長門粟野-阿川 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2010年3月12日 荒れる日本海をバックに吹雪の中を絶気のデゴイチが音もなくあっという間に通過していきました。 '73. 通過列車が幸運にもナメクジ。 背後には助役さんと駅員さんが控えている。 現在は無人駅。 '73. 25 湯玉 P:宮山幸雄 投稿者 Yamashita : 2010年1月13日 降り立った嵯峨は小雨。 天候の不運を恨みつつ場所探し。 フト見ると濡れた緑の竹林が嵯峨の雰囲気を醸し出している。 綺麗な白煙と組み合わせられ気を取り直した。 京都発園部行き1823列車。 機:C57 5。 嵯峨-保津峡 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2009年12月28日 山陰のクイーン2012D「まつかぜ2号」がD51 524号機牽引の571レと交換する。 「山陰本線」らしかった時代の一こま。 '73. 13 鎌手 P:石田哲彦 投稿者 Yamashita : 2009年12月25日 初めて駅で泊った翌朝に、朝の斜光を浴びて峠を登っていく列車を撮影した。 この場所ではその後何度も挑戦したが、この時期にしか撮れなかった。 '72. 西大路通りには京都市電が走り、バックには左大文字を望む京都を象徴する撮影ポイントだったが、市電もDD54も消えて久しい。 '76. 3 花園-二条 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2009年12月11日 旅客列車が撮りたくて、早朝の海辺でカメラを構えた。 光線が不十分のため、増感で対応することにして撮影した。 '73. 25 折居-周布 P:早瀬文朗 投稿者 Yamashita : 2009年11月 5日 嵯峨野・野々宮踏切のさらに先、小倉山トンネル入口の上で待ち構えていると、豊岡・敦賀行きの普通列車を牽いてやってきたのは、梅小路機関区のヒロイン・190号機。 「やった」集煙装置をはずして煙突が短くなったのもご愛嬌。 '67. 12 嵯峨-保津峡 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年11月 2日 桜満開の保津峡駅。 川の流れを遮り発車の汽笛が山々にこだまする。 朝もやの中に煙が溶け込む。 園部発京都行き1824列車。 機:C575。 '71. 11 保津峡 P:青木一郎 投稿者 Yamashita : 2009年10月22日 京都駅の山陰本線ホームに列車が到着した。 どっと吐き出されて来た乗客の表情に暮れも押し詰まった時期の慌ただしさが伺える。 '63. 30 京都 P:中島正樹 投稿者 Yamashita : 2009年10月15日 あまりに豪快な煙に圧倒され、通過後もしばらく呆然としていたのを覚えています。 '73. 曇り空のこの日は馬堀を発車して築堤に向かう登り勾配にさしかかるところを真横から狙ってみました。 '69. 5 馬堀-保津峡 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年10月13日 下り列車の遅れのあおりを受けて始発の園部を遅れて発車した上りの京都行き臨時列車が、猛烈なスタートダッシュでやってきました。 '67. 19 園部 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年10月 9日 何度も挑戦した「トンネル飛び出し」でしたが、自分としてはやっとマシなショットが得られました。 '69. 30 保津峡-馬堀 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2009年10月 5日 夕陽に光るD51貨物を狙って待っていました。 波の音に消されて近づく列車に気づかず慌ててシャッターを切った思い出があります。 '74. 8 岡見-鎌手 P:吉葉富雄 投稿者 Yamashita : 2009年9月29日 大学に入ってからも高校時代通り山陰線詣では続き、名撮影地小田-田儀に初トライ。 この日の下りおき2号は小郡方にキハ181をダブルで連結。 '81. 11 小田-田儀 P:石澤 究 投稿者 Yamashita : 2009年9月28日 高倉健主演の映画とタイアップしてヘッドマーク付き20系編成列車が山陰線にも回ってきた。 当日は素晴らしい天気に恵まれたが、背後の山の稜線を出そうと欲張ったため、主題の列車と鉄橋が霞んでしまい、後悔の一枚となった。 '81. 機関車から出る煙も良かったですが、後ろのトンネルから噴出す煙が印象的でした。 '73. 12 長門二見-滝部 P:吉葉富雄 投稿者 Yamashita : 2009年7月10日 1981年の冬、一人旅、客車の暖房の心地よさについついうたた寝、気がつけば、駅もホームもない山中に列車が停止、何事かと外を見て思い出した。 スイッチバックの滝山信号場だった。 われに返ってカメラを構えた、そこへ運よく「だいせん4号」がやって来た。 '81. 1 滝山信号場 P:芝地寛之 投稿者 Yamashita : 2009年6月25日 蒸気機関車の「さよなら列車」運転日は、ずっと思い続けていた出雲平野に広がる築地松の民家と蒸機との写真を撮ることにして、斐伊川堤防に行ってみました。 15 直江-出雲市 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年6月24日 135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。 早速素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76. 22 直江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2009年6月23日 明けても暮れてもDD54しか頭になかった16歳のあの頃。 後輩とDD54撮影ツアーの強行となった。 急行「だいせん」到着のあと、最後尾に付いたDD54回送を職員立会いのもと線路の中からバルブした。 ヤードではDD15が入換えをしていた。 27 福知山 P:野々村康久 投稿者 Yamashita : 2009年6月18日 長門市駅の朝のホームは行商の人でいつも賑わっていました。 これから家々を訪ねて売りに行くのでしょう。 そんな光景もD51と共に消え去ってしまったのかも知れません。 '74. 9 長門市 P:永井修二 投稿者 Yamashita : 2009年5月15日 奥羽・東北時代に出会ったD51トップナンバーに再び出会って…、なんと言うか久し振りに仲の良い友人に再会した気分でした。 '71. 1 浜田機関区 P:川瀬 剛 投稿者 Yamashita : 2009年5月 7日 正月早々の山陰線は、鉛色の空と白い波頭が押し寄せるイメージ通りの世界だった。 やがてC57が足早に現れた。 しかし肝心の雪がなく、喜びも半減だったことを思い出します。 '72. 2 馬路-仁万 P:永井修二 投稿者 Yamashita : 本州最後の蒸機列車を牽いて来た牽引機が方転後 乗務員さんたちの手によって「さよなら」の飾りが片付けられていました。 '75. 15 益田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年4月14日 保津峡駅発車の汽笛が響いた数分後、軽快なドラフトを刻みながら小倉山トンネルに吸い込まれて行った。 '71. 山陰の鄙びた里に響き渡るデゴイチの力強いブラスト音に魅せられて、この日は結局一日ここで過ごしてしまった。 '74. 折角のDD54特急「出雲」号も、いささか迷走気味だ。 '72. この日の牽引機は新製後1か月も経っていないDD54 37〔米〕。 食堂車オシ17 13の調理室では夕食の支度に余念がない頃であろう。 '71. 3 米子 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2009年2月10日 真夏の日差しが少し弱まった頃「光る海」とシルエットで撮れないかと段々畑に上がってみたが、バックに海が入る良い所を見つけることができなかった。 '74. 8 宇田郷-須佐 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年2月 5日 D51貨物が朝 大田市駅で1時間ほど停車する間にC57の旅客列車が追い抜くので「並び」を狙ってみたが、C57の煙でD51が少し隠れてしまったかな? '71. 8 大田市-久手 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年2月 3日 昭和47年7月中旬に発生した集中豪雨では松江駅が水没したほか、各地で不通区間が発生したので、水害暫定ダイヤとなった。 松江駅では普段見ることの出来ないC57とD51の並びが1か月以上続いたが、たった1枚で満足したのか、その後撮影することはなかった。 今では考えられないほど贅沢な時代だった。 '72. 23 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2009年1月26日 日曜日に家族で京都タワーへ行った帰りの一枚です。 月曜日、朝の園部発通勤列車牽引機が回送となるため、夕方の園部行きは重連になっていました。 '66. 2 京都 P:石地康司 投稿者 Yamashita : 2009年1月22日 残雪の大山をバックにDD54に牽かれた伯備線の旅客列車が日野川を渡ります。 ちょうどトンビが大山の上でクルリと輪を描きました。 '72. 29 伯耆大山-米子 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2009年1月16日 当時の山陰線は出雲市以西が通票閉塞区間となっていた。 下関行829列車は田儀駅で旧準急型で統一された514D急行「石見」と交換、迫力あるタブレット交換シーンが繰り広げられた。 '72. 3 田儀 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2008年12月18日 雨混じりの吹雪が一瞬止んだ、その時山陰線のクイーン、気動車最長特急の82系まつかぜが海岸線を駆け抜けた。 '73. 現在も特急停車駅ではあるものの、スキー場や温泉行きバスの乗換えで賑わった駅は、車社会となった今、閑散としています。 '79. 3 八鹿 P:山口 勝 投稿者 Yamashita : 2008年11月 5日 山陰本線へ蒸気機関車を追いかけた頃の一コマです。 下り列車のつかの間の休息の時に撮影しました。 腕木信号機、タブレット等、すべてに感動しました。 '72. 11 三保三隅 P:板倉幸弘 投稿者 Yamashita : 2008年10月31日 国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。 人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 3 浜田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 お正月なのでウヤかと思っていた貨物が、何と重連で来ました。 傾きかけた冬の日差しに、白煙が輝いて綺麗でした。 何だかお年玉を貰った気分でした。 '74. 入換とはいえ、初めて見るC56と20系の組み合わせに思わず興奮! '74. その敷地は山陰線の著名撮影地として181系・58系気動車の末期に多くのマニアを集めたのは周知のとおり。 写真は長門市発豊岡行の822列車。 '77. '73. 人丸・阿川はそれぞれ隣接する駅名でこの箱の部分は赤い色、その横の専用電話で隣駅と確認がとれたらその箱の下から真鍮製の「通票」が取り出せる、という超アナログな仕組みになっていました。 '73. 23 長門粟野 P:柿浦和敏 投稿者 Yamashita : 2008年10月10日 ホームに山のように積まれているのは地元名産「二十世紀梨」の箱詰めで、収穫時期には定期列車の荷物車増結と併せて臨時の荷物専用列車も運転され、大量の荷物を捌いていました。 宅配便など存在しなかった時代は荷物を送ると言えば国鉄でしたが、今では覚えている人も少なくなりました。 23 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2008年9月12日 激しい夕立が上がり、その雲間から夕焼け空が顔を見せた。 願ってもない幸運、惣郷の橋の落陽だった。 '73. 35年前の春の昼下がりには列車の空白時間帯に岡見駅からモーターカーが出て来て、大がかりな線路工事が始まりました。 '73. 8 小田 P:服部基寛 投稿者 Yamashita : 2008年7月30日 京都への修学旅行で、保津峡へ向かう途中の一枚です。 静かな山陰1番線ホームで、出発を待っていたDF50 529。 当時は、ホームから京都タワーの姿を見ることができました。 '75. 13 京都 P:中西裕一 投稿者 Yamashita : 2008年7月28日 36年前のクリスマスイブの夜。 冷たい雨が降る夜でした。 '72. 24 浜田機関区 P:伴 達男 投稿者 Yamashita : 2008年4月11日 山陰本線にD51 1号機がやって来たと知ったのは この年の1月。 慣れ親しんだ山陰の地に大スターがやって来た気分だった。 春休みに当地を訪れた時は火を落とし浜田区のレンガ庫の一番奥に押し込まれていて、半ばD511と会う事を諦めていた夏休み 思いもかけず鎌手駅ですれ違い 大慌てで益田まで戻った。 海を入れて撮れる所もあったと少し後悔したが 益田では紛れもなく現役で働くD511と出会うことができた。 あの四重連運転が行われる2週間少し前の出来事。 '72. 9 益田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2007年12月27日 国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。 人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 '73. 3 浜田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2007年10月 5日 まだあまり撮影者のいなかった浜田駅構内の外れで「あの転轍標識を入れて…」とか考えながら蒸気機関車「さよなら列車」の発車を待っていた時の事です。 カメラも持たない地元の人が線路内に入ったのをキッカケに後からやって来た鉄道ファンが次から次へと線路際になだれ込み、この日ばかりは先着優先の法則は成り立ちません。 中には留置されている客車の屋根にまで登るツワモノまで現れる始末です。 そんな喧騒の中、サービス満点に本州最後となった現役蒸気機関車の「さよなら列車」が人波を掻き分けるようにして発車して行きます。 お陰でおおらかな良き時代の記念写真を撮ることが出来ました。 '75. 15 浜田 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2007年8月27日 機関車館になる前の梅小路機関区。 山陰本線下り列車より無我夢中で撮影。 '69. 8 P:朝倉淳一 投稿者 Yamashita : 2007年7月23日 遠い夏の日、美しい海岸線を駆け抜ける上り「まつかぜ2号」。 現在この入江は埋め立てられて三隅火力発電所となり、山陰本線はトンネルの新線に移行している。 10は好評発売中です! 投稿者 Yamashita : 2007年5月31日 休日の保津峡駅は多くのハイキング客で賑わった。 乗客を降ろし終わった3525Dと交換する806D「白兎」。 29年前はごく当たり前の光景だった。 14 保津峡 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2007年4月19日 嵯峨野の竹林を抜け一路京都を目指す18D特急「あさしお」。 野々宮から少し離れたこの陸橋は、嵯峨野観光の合間に列車撮影ができるお手軽ポイントだったが、電化・新線切替でこの素晴らしい風情も失われてしまった。 30 嵯峨-保津峡 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2007年1月24日 昭和47年 梅雨末期の集中豪雨が山陰西部地方を襲い、8月になっても至るところで発生した土砂崩れのため各所で徐行運転を強いられ、山陰本線はダイヤが大きく乱れていた。 通常はここで離合することのない「さんべ1号」が、遅れてやって来た各駅停車牽引のC57やD51牽引貨物の待つ大田市駅に進入する。 遠くには給水塔も見える。 蒸機終焉期だったが、こんな景色が私にとっての典型的な国鉄の風景だった。 8 久手-大田市 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2006年12月15日 高校の修学旅行で訪れた山陰は萩、DF50を目の前に黙っているわけにはいきません。 班行動で一日市内見学の所を鉄仲間で結託し別行動を。 乗ったり撮ったりして山陰地方の鉄道を見学して来ました。 10 P:木村一博。 投稿者 Yamashita : 2006年12月 7日 1985年12月、冬の余部へ出かけた。 この時期の山陰は荒天の日が多い。 霙がレンズの視界を遮り、鉛雲が露出を下げ、おまけに自身が強い北風に晒される。 撮影条件は最悪だったが、強風のため列車が徐行。 辛うじて「あさしお」を被写体ブレせず撮れた。 12 餘部-鎧 P:芝地 寛 投稿者 Yamashita : 2006年11月29日 秋の紅葉の頃の保津峡は特に美しかった。 この日は列車と紅葉、保津川下りの遊覧船を写しこもうと欲張った。 なかなかタイミングが合わず苦労した思い出の一枚。 20 保津峡-馬堀 P:鈴木博之 投稿者 Yamashita : 2006年10月18日 8mmカメラを持って香住観光船に乗ったら偶然餘部鉄橋の所でDD54重連貨物に出会えたので、日を改め再び今度はスチールカメラを持って観光船に乗り込んだ。 この写真を撮った当時は中学生だったが、その1年少し前の小学生だった頃、今の三人姉妹船長の観光船「香住丸」の真ん中のお姉さんにひと目会ったその日から胸キュンで、生まれて初めて経験した想いだった。 それが本当の目的で再度餘部鉄橋のDD54に挑戦したのかもしれない。 しかしこの日は悪天候で肝心の観光船は運休。 同じ時刻出港のもう一つの観光船で餘部へ向かったが、鉄橋の近くにいる時には貨物列車はやって来ず、船が鉄橋からかなり離れてから鮮魚車を後ろに従えたDD54が単機で鉄橋を渡ってきた。 この頃はまだ3人姉妹の一番上の方しか船の操縦はしておらず、お目当てのお姉さんはガイド役だった。 こんな不純な考えを神様はお見通しだったのかな? 同じネガの次のコマからは生野峠を登るC57が写っている。 甘酸っぱい思い出の1枚。 5 餘部-鎧 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2006年10月11日 日野川橋梁での出雲 2001レ)とあさしお(18D との出会い。 夏休みを利用して行った中国地方への旅行でのひとコマ。 出雲が少し遅れていたようで、たまたま日野川の上で優等列車同士のすれ違いとなった。 23 伯耆大山-米子 P:吉田明宣 投稿者 Yamashita : 2006年10月 2日 9月24日UPの「時雨の保津峡」の10年後の姿、小雪舞う中走る58系急行「白兎」。 主役は82系気動車「あさしお」、58系急行群に代わっていました。 この日は脚立を片手に駅までバスで出掛けましたが、こんなに役に立つとは…狙い通りの写真が撮れました。 '77. 10 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2006年9月24日 この日は時雨模様のどんよりとした空模様で、撮影条件は厳しかった。 蒸機のブラストと汽笛が保津川の渓谷にこだまして旅情を誘う。 この日は風もあり陰に入れば結構涼しくて汗がスーッとひいた。 松林の木陰からプチ俯瞰できる静かな場所を見つけ、無精を決め込み一日中同じアングルでダイヤを確認することもなく来る列車を撮っていた。 8 小田-田儀 P:山陰本線 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2006年7月 7日 ブルトレ牽引により一躍山陰本線のエースとなったDD54だが、全盛時代は短く、73年7月以降は「出雲」牽引から降板。 残る列車もあっという間に置き換えが進みました。 19 大山口 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2006年6月21日 同じ「まつかぜ」でも博多行は82系で、181系の天下であった山陰特急の中でも女王的存在だった。 一見似ている両者もこうして並ぶとずいぶん違うなぁと思った1枚。 1 宝木駅 P:大串 晋 投稿者 Yamashita : 2006年5月29日 スイッチバックの滝山信号場。 鳥取を出た「あさしお」が引上線に入線。 間もなく背後から「出雲」が駆け下ます。 「あさしお」は一度バックして、轟音とともに駆け上がって行きました。 '83. 7 滝山信号場 P:大串 晋 投稿者 Yamashita : 2006年4月26日 山陰本線京都口が電化される前、夜中に友人と良く保津峡駅に出かけました。 出雲を見るためです。 自宅から車で20分ぐらい走り六丁峠を越えると保津峡駅が俯瞰できます。 駅に着いて待つこと数分DD51が轟音と共に走り抜けました。 '82. 3 旧保津峡駅 P:林 信彦 投稿者 Yamashita : 2006年4月14日 当時の松江駅南口は、裏道からいつでも素通しで眺めることが出来ました。 構内は時間が昭和30年代で止まってしまった感じで、映画のワンシーンを見るようでした。 '72. 3 松江 P:石原裕紀 投稿者 Yamashita : 2006年2月22日 出発信号の腕木信号機が下がって何か下りの列車が香住駅を発車して来そうな気配。 時刻表からして客レではなさそう。 貨物列車でも来るのかな? と矢田川を渡った所で待っていると、この頃の主力機だったDD54が貨物を牽いて現れた。 手前に写っている道が舗装されたくらいで、この辺りの風景は今も変わっていない。 '73. 3 香住~鎧 P:高橋 明 投稿者 Yamashita : 2005年11月30日 梅小路の名機C575も豊岡、浜田と流れ、最後はこんな仕業もしていた。 僅か貨車4両の区間貨物491レを牽く。 形式入りプレートも失い少々落ちぶれた姿だったが、それでも出会えた事が嬉しかった。 '74. 4 浜田 宮村昭男 投稿者 Yamashita :.

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山陰 本線

山陰本線は京都から下関の一つ前の幡生までを結ぶ673㎞にも及ぶ路線(支線除く)で、東北本線の盛岡以北が第三セクター化された今、日本最長の路線として君臨しています。 日本海沿いを走る区間も多く、自然の迫力とローカル線のような山村・漁村の風情を満喫することができます。 長大な山陰本線を大まかに把握すると• 沿線人口も多く、有名観光地も抱えて賑やかな 京都~城崎温泉• 自然が独特の旅情を創り出す 城崎温泉~鳥取• 各陰陽連絡線の恩恵を受ける 鳥取~益田• 優等列車が撤退し、いよいよローカル線となる 益田~幡生 といった具合です。 早朝発深夜着で特急なども駆使すれば1日で走破することは可能ではありますが、景色を楽しみながら普通列車メインで辿るとなると2日間必要です。 2019年の10月に「秋の青春18きっぷ」とも呼ばれる、鉄道の日記念切符で京都から下関まで、松江で1泊して普通列車(福知山~城崎温泉間のみ「こうのとり」利用)で走破しました。 京都~城崎温泉 電車特急のビッグXネットワーク 京都駅から城崎温泉駅まで電化、園部駅までと綾部駅~福知山駅は複線化されています。 この区間は京都市内の観光客はもちろん、比較的大きな都市や城崎温泉・天橋立などの観光地へのアクセス路線として、電車特急が数多く運行されています。 京都発の特急は行き先によって「きのさき」(城崎温泉)、「はしだて」(天橋立)、「まいづる」(東舞鶴)と列車名が変わり、大阪発福知山線経由の城崎温泉行「こうのとり」と福知山駅で相互乗り換えができるダイヤに工夫されています。 この形態を「北近畿ビッグXネットワーク」(福知山が交差点になる)と呼んでいます。 多様な性格を持つ区間 山陰本線の旅は 京都駅の隅にある頭端式のホームから始まります。 まるで駅舎を共にする私鉄の路線のようです。 京都駅の山陰本線のホーム 右折して東海道本線と分かれて、京都鉄道博物館を左手に見つつ、市街地の高架線を走ります。 この辺りは市内で京都観光の外国人旅行者も非常に多いです。 京都鉄道博物館を高架から望む しかし 嵯峨嵐山駅から様相は一変して、 馬堀駅までトンネルの多い区間となります。 トンネルとトンネルの間では渓谷が望まれ、特に途中駅の 保津峡駅では停車中にゆっくりと眺めることができます。 こういう線路のご多分に漏れず、線形の悪い旧線を放棄して新線に切り替えて輸送改善と災害対策を行っています。 なお旧線はトロッコ列車が走っており、観光資源に利用されています。 保津峡は渓谷の駅 トンネルの合間に渓谷美が見られる 渓谷が終わると盆地が広がり、やがて 園部駅に到着します。 普通列車だとここで乗り換えになることが多いです。 園部からは単線になり、行き違いなどで停車する場面も多くなります。 車窓も 胡麻駅あたりからは谷間の山村といった感じの風景となり、ややローカル線らしさがでてきます。 船岡駅付近の鉄橋 綾部駅付近 舞鶴線が分岐する 綾部駅からは開けて、線路も複線となります。 活気を取り戻した山陰本線は北近畿地方の鉄道の中心地、 福知山駅に到着します。 綾部からは複線になる 福知山駅は現在は高架式になっていて近代的な駅ですが、 駅前には転車台とその上にはC11形蒸気機関車が保存されています。 またその付近には高架化される前のホーム屋根の柱も使われており、福知山における鉄道の重要性を我々に教えてくれます。 福知山駅前の転車台と蒸気機関車 昔使われていたホームの柱 さて福知山を出ると右から京都丹後鉄道の宮福線が分かれていき、基本的に川に沿って走ります。 和田山駅は播但線が合流する駅で、ここから特急「はまかぜ」も山陰本線に乗り入れてきます。 駅の右手には、煉瓦造りの荒れ果てた建物が見えます。 和田山駅前にある機関庫跡(?) キオスクもない駅ですが、駅を出て少し右手に駅弁売り場があります。 「和牛弁当」は牛肉の食べ応えもさることながら、黒豆や山菜といった脇役の上品さも魅力的です。 和田山駅を出て少し右に歩いたところにある駅弁売り場 和田山駅の和牛弁当 和田山駅からは城崎温泉駅までほぼ円山川に沿って進んでいきます。 豊富な水量をたたえる川は進行方向右手(京都発の場合)にずっと寄り添い、線路はそれを一度も渡ることはありません。 円山川に沿って城崎温泉へ向かう 旧・宮津線、現在の京都丹後鉄道と連絡する豊岡駅は、城崎温泉から先の浜坂方面へのディーゼルカーが始発になることも多いので、確実に座るためにはここで乗り換えするのも一つの手です。 城崎温泉~鳥取 観光地として賑わう城崎温泉駅 城崎温泉駅と289系「こうのとり」 城崎温泉駅は大阪や京都からの特急電車が発着する、観光地らしい雰囲気の駅です。 写真で有名な温泉街は駅から少し歩きますが、浴衣や下駄が似合う情緒ある街並みです。 冗談はさておき、今回の私のような「駅前旅行者」にとっても、城崎温泉の佇まいは全国的にも有名な温泉地らしい雰囲気を感じさせてくれます。 また駅のすぐ傍に「さとの湯」という温泉があるので、列車の乗り換え時間に利用することもできます。 城崎温泉駅前 非電化区間になる 城崎温泉駅から先は非電化区間となり、鳥取までは特急列車の運転も大阪からの「はまかぜ」の数往復のみと激減し、特に浜坂以降は1往復のみとなります。 もっとも、普通列車は1~2時間に1本くらいなので、そこまで難所というわけではありません。 山陰本線の中でも地味な区間ではありますが、一部だけ保存されている余部橋梁や、青春18きっぷのポスターにも使われて知られるようになった鎧駅など、味わい深い存在でもあります。 日本海沿いでローカルな雰囲気の車窓は、東北地方の五能線に通じるところがあります。 山陰らしい鄙びた風景 楽しそうな温泉旅行者たちを背にして山陰本線の旅を続けましょう。 城崎温泉駅を出ると、早速上り勾配とトンネルが現われ、それまでの電車特急が走る山陰本線とは表情が変わったことに気づきます。 そして次の 竹野駅からはついにお待ちかねの日本海のリアス式海岸が登場します。 遂に現れた日本海 その後もしばらくはトンネルを出たら海岸線を眺めて、の繰り返しになります。 アップダウンと曲線の連続する厳しい地形に敷かれた線路を、ディーゼルカーはゆっくりと走っていきます。 海岸を見下ろす急斜面にある 鎧駅は、青春18きっぷのポスターに使われたことで知名度が上がり、海を見るベンチが用意されています。 鎧駅は崖の上にある その次の 餘部駅との間にある高さ41mの余部橋梁(駅と橋とで漢字が異なる)は、2010年にコンクリートのものに架け替えられるまで、赤い鉄橋が親しまれていました。 旧橋梁も一部分だけ残されて、余部鉄橋空の駅として展望台に利用されています。 新しくなった余部橋梁からの眺め 旧鉄橋は一部保存活用されている 浜坂駅では普通列車の運転系統が分かれています。 ここも温泉とカニの町ですが、城崎温泉駅と違って俗化されていない場所です。 今では特急「はまかぜ」数往復が発着するだけですが、ツタが絡まった給水塔跡のある魅力的な駅です。 駅の片隅に「鉄子の部屋」という怪しい施設があったのですが、入ってみると旧余部鉄橋や鉄道の備品などが展示されている、面白い所でした。 浜坂駅ホーム 鉄道資料館「鉄子の部屋」 浜坂から先も海岸線に沿って走ったり、複雑な地形の基部をトンネルで抜けたりしながら進んでいきます。 特に鳥取県最初の駅である、 東浜駅を過ぎた辺りの砂浜の海岸線が綺麗で印象的でした。 東浜駅付近の砂浜 鳥取駅と一つ前の福部駅の間は10㎞以上あり、途中で榎峠越えをします。 鳥取駅の手前までずっと山間部になので心配になりますが、山越えが終わると市街地に出て、高架線を走って鳥取駅に到着します。 鳥取の前で山越えがある 鳥取~益田 鳥取駅の名物駅弁「かにずし」 鳥取駅は高架式で都会らしい駅ですが、列車の上に架線は張られていないあたりが、やはり山陰本線らしいというべきでしょうか。 高架化されたのも1970年代なので、駅の外観やコンコースも近代的というよりは、東北新幹線の駅に似た感じがします。 高架式の鳥取駅 鳥取駅は駅弁の「かに寿司」が有名です。 日本全国で蟹の駅弁は多いですが、この「かに寿司」は「元祖」と付いているだけあって、素朴な味わいが特徴的だと思います。 具もシンプルで、ご飯も甘酸っぱい「駅弁らしい駅弁」です。 鳥取駅名物「かに寿司」 陰陽連絡特急が高速化された線路を走る 鳥取駅から島根県の益田駅までは特急列車の本数が増え、線路も高速化されています。 特に岡山で新幹線に連絡する「やくも」の走る伯耆大山~出雲市間は、電化されて一部では複線化も行われています。 また青春18きっぷ利用者にとっても、長距離走る快速「とっとりライナー」「アクアライナー」が運転されているのがありがたいものです。 この区間が線路改良されているのは、鳥取・米子・松江など人口の多い都市が並び、沿線同士のヨコの移動もそれなりにあるだけでなく、 山陽本線・山陽新幹線沿線からの陰陽連絡列車の存在が大きいと思われます。 「スーパーはくと」「スーパーいなば」「やくも」あるいは新山口からの「スーパーおき」がこれに当たりますが、それによって「あさしお」や国鉄時代の旧「まつかぜ」「白兎」のような山陰本線を長時間走り続ける列車は減りました。 新幹線の高速・頻繁運転により、山陰本線を乗り通すよりも新幹線を乗り継ぐ方が便利で、鉄道会社も増収のためにそのように誘導した面もあるでしょう。 「裏日本」という言葉は今では差別用語となっていますが、ポリティカルコレクトネスによる言葉狩りはともかく、時刻表からは経済的・文化的格差がはっきりと感じ取れます。 政治家・メディアは嘘をつきますが、時刻表は嘘をついて物事を表面的に綺麗に繕って誤魔化すことはしません。 (そんなことをしたら列車が運行できませんから。 ) 伯耆大山や宍道湖を望む 閑話休題。 鳥取駅を出ると 倉吉駅まではやはり海岸に沿って走り、トンネルや曲線も数多くあります。 もっとも城崎温泉~餘部のような断崖絶壁ではなく、比較的地形はおとなしめではあります。 鳥取出発からしばらくして海が見える ところが倉吉からは、まるで北海道の線路のように直線区間が続き、特急列車も本領発揮します。 ちなみに倉吉~米子間53㎞を最速の特急列車は30分で走破します。 最高速度が120㎞で表定速度が106㎞ですから、いかに線形が良いか分かります。 また出雲市駅までは部分的に複線化もされていて、非常に賑やかな様相です。 電化された伯備線が合流してくる 事実上の伯備線との結節点であり、境線も分岐する 米子駅は、この辺りではかなり規模の大きな駅です。 駅弁も売っており、 呉左衛門鮓 ござえもんすしの鯖寿司は肉厚で上に昆布が載っています。 地元の名物としても知られているようです。 米子駅ホーム 米子駅の駅弁の鯖寿司 米子駅の次の 安来駅から島根県に入ります。 荒島駅を過ぎた辺りから右手に中海が見えてきます。 一駅ごとに単線と複線が入れ替わりますが、それでも線路の輸送容量は不足しているようで、特に普通列車はたびたび列車交換でしばらく停車します。 中海が見える 松江駅も高架式の駅で、ホーム下の1階に数多くの商業施設が集まる島根県の県庁所在地の駅です。 松江駅にも駅弁がありますが、蟹は鳥取で食べたので「島根牛すき焼き煮切り丼」にしました。 簡単に表現すると、牛丼に半熟卵が載っている弁当ですが、味付けは独創的とまではいかないにしても、なかなか個性があって面白い駅弁だと思いました。 松江駅で買った島根牛すき焼き煮切り丼 松江駅を出ると、進行方向右手に今度は宍道湖が現われます。 特に 乃木駅周辺が遮るものがなく、ゆっくりと宍道湖を眺めることができます。 宍道湖に沿って走る 宍道駅で湖とのおつきあいは終わり、やがて 出雲市駅に到着します。 ここは「やくも」や「サンライズ出雲」の終着駅ですが、電化区間は次の西出雲駅までです。 列車は岩見路へと入りますが、 小田駅~波根駅にかけては再び断崖絶壁の海岸線を見下ろしながら走ります。 最高速度110㎞の高速化された線路とは思えない風景が広がります。 真下に日本海が広がる その先も険しい海岸線沿いと、やや内陸に入って山間部をトンネルを交えて進むのを繰り返しながら走っていきますが、特急停車駅である 江津駅や 浜田駅周辺は工業地帯や港が見られます。 江津手前の工業地帯 特に海岸線が美しいのは、大まかですが浜田駅の先の周布駅から益田駅にかけての区間でしょうか。 普通列車で30分強の所要時間です。 断崖絶壁を走る 益田駅では「スーパーおき」がそのまま山口線に直通しますが、山陰本線の列車は全て乗り換えとなります。 どちらが本線なのかよく分かりません。 益田~下関 特急の運転は無く、普通列車も少ない 益田駅から先は優等列車が撤退し、普通列車のみになります。 この区間を2004年まで最後の特急として走っていた「いそかぜ」は、寺本光照氏によると乗客が50人を超す日など稀なほど惨めな状況だったそうです。 (「悲運の特急・急行列車50選」より) 頼みとなるはずの普通列車の運転もかなり少なく、山陰本線の旅を計画する時は益田以西の列車を最優先にして旅程を組むことになります。 もはや本線とは名ばかりで、実態は完全にローカル線です。 やはり北九州と山陰地方の結びつきは強いとはいえ、いかんせん沿線人口が少なく、新幹線と山口線特急「スーパーおき」の乗り継ぎが便利なのは間違いありません。 そのルートを補完する山陰本線西部の特急も必要だと考えるのは、僅かな沿線住民と鉄道ファンくらいなのでしょう。 日本海に沿って走る 益田駅を出て山口線を分けるとまた海に出ますが、それまでと比べて海岸線はなだらかな表情です。 一息つこうとしたのも束の間、 次の 戸田小浜駅から先はまた岩がむき出しになった山陰本線らしい海岸になります。 荒々しい岩礁 飯浦駅と 江崎駅の間にあるトンネルを抜けると、ついに山口県に入ります。 この辺りは山間部を走ります。 宇田郷駅の手前にある惣郷川橋梁は波寄せる砂浜の上に立ち、外から見ると芸術的なのですが、列車に乗っていると何気なく通過してしまうのが残念です。 惣郷川橋梁のデザインは美しい その後も海と山を相互に相手にしながら進んでいきます。 萩駅からは海には幾つかの島が浮かぶようになります。 迫力ある断崖絶壁というよりは、海沿いに瓦屋根の家が肩を寄せ合って集まったり、入り江にポツンと港のある情景が見られます。 海辺の瓦屋根の集落 美祢線と山陰本線の支線が分岐する 長門市駅からは、列車本数が大幅に増えます。 長門市駅を出ると、砂浜や青海島を見ながら海岸線を走った後も、断続的に日本海の景色が広がります。 海の向こうに青海島を望む 阿川駅~長門二見駅までの間は珍しく、長い間山間部が続きます。 内陸部は内陸部で、やはり長閑な山村の風景がそこにありました。 途中の 特牛 こっとい駅は難読駅の一つです。 山越えが終わったら 小串駅までは響灘の美しい海岸線が見られます。 山陰本線の魅力は海だけではなく、何気なく通過していく村々にもある 列車から遥か眺める方角は今や西である 小串駅ではさらに本数が増え、乗り換えになることが多いです。 ここまで来れば下関はもうすぐです。 下り方面でカギとなる区間の益田13:28発の列車に乗ると、小串駅辺りで高校生の下校時間に重なるので、より一層活気が感じられます。 小串駅からは沿線人口が増えたためか駅間も短くなりますが、すぐに普通の市街地で終わらないあたりが、さすが山陰本線です。 その名の通り勾配のサミットにある 梅ヶ峠駅は、ひっそりとした雰囲気の本州最西端の駅です。 梅ヶ峠駅を出て勾配を下った先では、遥か東の竹野駅以来大変長らくお世話になった日本海と最後のご対面です。 山あいにある梅ヶ峠駅 そして 安岡駅からはすっかり市街地になり、山陰本線の終着駅幡生駅の手前で、太いレールとコンクリート枕木で重武装した複線電化の山陽本線に僭越ながら合流します。 偉大なるローカル線 山陰本線を的確に表現した言葉として「 偉大なるローカル線」という呼び名があります。 作家の宮脇俊三氏によるものとの説もありますが、宮脇氏本人が「誰が言ったのか『山陰本線は偉大なるローカル線』という表現はおもしろい。 」(「日本鉄道名所7 勾配・曲線の旅」より)と述べているので、考案者は他の人物だと考えられます。 それはともかくとして、要するに鉄道地図上では幹線であるが、実態はローカル線(特に山口県の部分)だという意味です。 山陰本線の魅力は兎にも角にも日本海の絶景がまず第一に挙げられますが、それだけではなく、深い山の中を走ったり、ローカル線の旅情あふれる集落や自然を眺められる点にもあります。 また、その線路も区間によって複線電化されていたり、近代化から取り残されていたりと、多様性に富んでいます。 つまり、山陰本線は鉄道旅行を楽しむための要素が限りなく詰まった、偉大なる路線なのです。 1987年兵庫県生まれ、現在東京に在住の男性です。 大学卒業以来、上手く社会に馴染めず、 「自分は自由に生きることしかできないのだ!」 と確信し、趣味である鉄道旅行・ヨーロッパ旅行(特に東欧)に生き甲斐を見出しました。 このサイトが目指しているのは、雑多でマニアックな鉄道知識を披露することでも、最新の車両動向のニュース速報でもありません。 私が一番に伝えたいのは、明治以来日本の近代化と共に歩んできた鉄道は、社会・歴史・経済全体の縮図でもあり、それ故に社会に埋め込まれた一つの文化であるということです。 そして巨大な輸送システムの中でめいめいの使命を持って生まれてきた役者たち、つまり車両たちの十人十色の物語も、鉄道を語るうえで欠かせないものです。 時代の流れで鉄道の役割も変化した現在でも、それが現役のものであれ遺物としてであれ、鉄道の持つ象徴性を我々は至る所で見て感じることができます。 こうした「再発見」を通して、このサイトを訪れてくれた方が一人でも多く、鉄道の包容する面白さや奥深さを知っていただけることを願っています。 プロフィール 1987年兵庫県生まれ、現在東京に在住の男性です。 大学卒業以来、上手く社会に馴染めず、 「自分は自由に生きることしかできないのだ!」 と確信し、趣味である鉄道旅行・ヨーロッパ旅行(特に東欧)に生き甲斐を見出しました。 このサイトが目指しているのは、雑多でマニアックな鉄道知識を披露することでも、最新の車両動向のニュース速報でもありません。 私が一番に伝えたいのは、明治以来日本の近代化と共に歩んできた鉄道は、社会・歴史・経済全体の縮図でもあり、それ故に社会に埋め込まれた一つの文化であるということです。 そして巨大な輸送システムの中でめいめいの使命を持って生まれてきた役者たち、つまり車両たちの十人十色の物語も、鉄道を語るうえで欠かせないものです。 時代の流れで鉄道の役割も変化した現在でも、それが現役のものであれ遺物としてであれ、鉄道の持つ象徴性を我々は至る所で見て感じることができます。 こうした「再発見」を通して、このサイトを訪れてくれた方が一人でも多く、鉄道の包容する面白さや奥深さを知っていただけることを願っています。 アーカイブ• カテゴリー•

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お申し込み先 「うきしま工房」 電話番号: 対応時間:10:00~19:00(水曜は定休日。 祝日の場合は翌日) 引き換え 車内販売カウンター(東萩駅発車以降)• ご乗車の3日前までに、各お申し込み先にお電話にて予約をお願いします。 商品はご乗車当日、車内の販売カウンターにて現金と引き換えになります。 (クレジットカードはご利用いただけません)• 提供品は運行日により設定がない日があります。 商品のキャンセルは3日前まで可能です。 各お申し込み先にお電話にてご連絡ください。 乗車日2日前以降のキャンセルは商品価格の金額をキャンセル料としていただきます。 事前に「〇〇のはなし」の乗車に必要な乗車券・座席指定券をお買い求めの上、お申し込みください。 販売価格には、乗車券・座席指定券は含まれておりません。 駅のみどりの窓口では、お弁当などの予約はできません。 記載のお申し込み先にお申し込みください。 お弁当などのお申し込みは、ご利用の1カ月前から3日前までとなります。 写真はイメージです。 細部については実物と異なる場合がございます。 季節・仕入状況などにより内容に変更がある場合がございます。 車内販売 運行区間 新下関〜下関〜長門市〜東萩 東萩〜仙崎〜長門市〜下関〜新下関 停車駅・時刻 新下関駅〜下関駅〜長門市駅〜東萩駅• 新下関 9:59発• 下関 10:20発• 川棚温泉 10:53発• 小串 10:58発• 滝部 11:26発• 特牛 11:32発• 阿川 11:37発• 人丸 11:57発• 長門市 12:18発• 萩 12:47発• 東萩 12:52着 東萩駅〜仙崎駅〜長門市駅〜下関駅〜新下関駅• 東萩 14:13発• 萩 14:20発• 仙崎 14:57着 15:27発• 長門市 15:33発• 人丸 15:58発• 阿川 16:21発• 特牛 16:27発• 滝部 16:33発• 小串 16:59発• 川棚温泉 17:03発• 下関 17:39着• 新下関 17:50着 運転日.

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