土御門邸の秋。 紫式部日記の現代語訳が知りたいのですが…

紫式部の女房批評③~清少納言~

土御門邸の秋

このシリーズは今回で終わりです。 和泉式部、赤染衛門ときて、最後は清少納言です。 紫式部・和泉式部・赤染衛門の3人は藤原彰子に仕えた同僚の女房たちです。 一方、清少納言は藤原定子に仕えた女房で、どちらかと言えば対立する関係になります。 どちらかと言えば、と書いたのは、 紫式部が活躍した時期には清少納言はもう宮中を退いていた、とされているからです。 ) さ、そんな清少納言はどう言われるのでしょうか。 【現代語訳】 清少納言は得意顔がひどい人です。 あれほどに才女ぶって、漢字を書き散らしてますが、よく見るとまだまだ不十分なところも多いのです。 こうして人に抜きん出ようと思い、そういうことを好む人は、必ず見劣りがして行く末はみじめになるばかりですから。 優美を気取った人は、とても寒々としてつまらない時でも、無理に情趣を見出だそうとし、 趣あることを見過ごすまいとするうちに、自然とあってはならない、中身のない有り様になるのでしょう。 その中身がなくなってしまった人のなれの果てがどうして良いはずがありましょうか。 はいはい、ひどい言われようです 笑 この文面をどう受け取るかは人によって大きく違ってくることでしょう。 紫式部と清少納言は人として両極にあるような印象です。 紫式部は宮仕えをあまり喜ばしいものと感じていなかったようです。 清少納言は嬉々として宮仕えに従事した人のようです。 宮仕えの場を芸能界に例えたのはマドンナ先生だったでしょうか。 清少納言は芸能界に憧れて憧れて念願かなって足を踏み込んだ人。 紫式部は周囲の思惑から入りたくもない芸能界に入ってしまった人。 相容れない二人であり、紫式部は清少納言にもの申さずにはいられなかった、という考え方があります。 が、また一方で、独立した作家ではないことも忘れてはいけないように思います。 要するに、紫式部は藤原道長・彰子にやとわれた作家です。 今の日記と違い、机の引き出しに鍵を掛けてしまい込み、コソコソ書いているのではありません。 道長や彰子の目に必ず触れる、というか、道長や彰子に捧げる文書なわけです。 従って、道長一族(御堂関白家)の賛美こそがこの日記の主目的であるわけです。 その点を考慮に加えた時、この文面を表面通りに受け取っていいのか、と思わずにいられません。 もう零落しているとはいえ、ライバル関係にあった道隆の一族(中の関白家)を賛美する名文を綴った清少納言。 これを否定することは紫式部の趣味嗜好とは別の、やとわれ作家としての職務だったのではないでしょうか。 面白い本があるので紹介します。 PHP新書の。 この本で藤原道長は「いじめの天才/冷血漢で陰湿」と評されています。 藤原定子が宮中を離れ大進・平生昌邸に引き移った時の話は『枕草子』にも書かれています。 出産のために引き移ったのですが、この時すでに父・関白道隆は世を去っており、道長の時代となっています。 大進、というのは中宮識の三等官で従六位。 そこまで高い位ではありません。 道長の目を恐れて定子のために屋敷を提供する公卿がいなかったと言われています。 比較的有名な話ですが、定子が生昌邸に移る日を狙って道長はイベントを主催します。 結果、中宮様のお出かけにも関わらず付き従う者が少なかったそうです。 また、上記の本によると、 中宮定子が第一皇子・敦康親王を出産した日、道長は自分の娘・彰子を女御の位につけ、藤壺を与えたとか。 藤壺というのは清涼殿(帝の御座所)から最も近い殿舎の一つで、つまりは最高の場所です。 定子ちゃん、かわいそうですよね。 そしてまたまた上記の本では、 「紫式部は、(『源氏物語』の中で)清少納言が果たせなかった敵討ちをひそかに行っていたのかもしれない。 」 と述べています。 敵討ちをしていたかどうかはともかく、紫式部の清少納言評をそのまま受け取れないだろう、というのが僕の意見です。 ということは、必然的に昨日・一昨日書いた和泉式部評、赤染衛門評もそのままは受け取れないかも知れません。 特に和泉式部をちょっと悪く書いているのは計算かも知れません。 身内ばかり持ち上げて清少納言をメッタ斬りにしては信憑性がないですよね。 とはいえ、赤染衛門を批判するわけにもいかないから、和泉式部を少し否定することで客観性を演出している、と。 まあそんな風にも考えられるのではないでしょうか。 さて、最初にも書いたとおり、シリーズはここで終わりです。 『紫式部日記』ではこのあと、紫式部自身について書き綴っていますが、事情があってそれは割愛します。 【原文】 清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。 さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見ればまだいと足らぬこと多かり。 かく人に異ならんと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみ侍れば。 艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、 をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。 そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らん。 [ ]/[ ].

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土御門殿

土御門邸の秋

『』に描かれた土御門殿釣殿に立つ 土御門殿(つちみかどどの)は、に1条4坊16町(後に同15町にも拡張)(南西)に建てられたの邸宅。 邸宅の名はに至る土御門大路に面していることに由来し、 土御門院、 京極殿(院)、 上東門殿(院)等とも呼ばれた。 現在の京都御苑(北側部分)にあたる。 の主要な邸宅で、道長の姉であるや、娘のの御所となり、特に彰子は出家後、この邸宅にちなんで上東門院をとした。 また東にはが建立された。 概要 [ ] によって建設されたと言われるが、本来の所有者を雅信弟のとする説もある。 雅信の娘と(当時)が結婚した際に道長の居所となり、雅信の死後に道長に継承されてその邸宅となった。 当初は1町の規模であったが、『』の記事などから元年()までに拡張が行われたとみられている。 道長の姉であるは、2年()に院号宣下を受けてとなった後、主に土御門殿をその御所とした。 また道長の長女・が里邸として、ここで敦成親王(後の)と敦良親王(後の)を出産、その様子は『』に詳しく、後に『』に絵画化されている。 彰子の妹もここでを出産、後一条、後朱雀、後冷泉ら三代の天皇のともなり、道長家の栄華を象徴する邸宅であった。 長和5年()にで焼失するが、のたちによって届けられた屋敷再建の品物によって、以前より立派な屋敷が再建された。 以後、と並ぶ当主の拠点として機能した。 3年()、彰子がとなる際には、邸宅の名にちなんでを 上東門院とした。 道長の後には、嫡男、その嫡男が伝領した。 頼通時代の4年()に焼亡、またの里内裏であった4年()9月、の里内裏であった2年()12月にも焼亡し、その度に再建された。 以後は荒廃し、の『』(第25段)には、とともに廃墟のようになった施設の典型としてあげられている。 道長の日記『』によれば、4年()朝からが朝廷に届き、これを時のが道長に下賜し、道長は土御門殿で飼っていたという。 脚注 [ ]• 関口力「土御門第 1 」『平安時代史事典』。 『』正暦2年11月3日条逸文を根拠とする。 『』巻10には、後に南側の町を敷地を加えたことが記されている。 参考文献 [ ]• 黒板伸夫「京極土御門殿」『』吉川弘文館、1984年• 関口力「土御門第 1 」『』角川書店、1994年、 :.

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紫式部の女房批評③~清少納言~

土御門邸の秋

CV: 「カミやん……俺って実は天邪鬼なんだぜい」 人物 のクラスメート。 身長は180cm以上の長身で、いつもをかけている。 これにを加え、 と呼ばれている。 普段着はを着ており、 「~にゃー」「~だぜい」を語尾につける。 義理の妹・にベタ惚れしており、その溺愛振りから付けられたあだ名が 軍曹。 舞夏でなくとも ロリならなんでもOKである。 だが、それは表の顔であり、実際はの元に付き、にも付いている 多角スパイ。 アレイスターの前では普段とは違い、まじめな口調で話している。 裏では普段の軽々しい言動からは想像もつかないほど厳しく狡猾、そして冷徹になるが、相変わらず舞夏LOVE。 元々は魔術師。 魔術の系統はであり、としては最高位の陰陽博士である。 特に風水の魔術を得意とする。 折り紙を用いてとし、魔方陣を成して結界の生成、攻撃等をこなす。 魔法名は 『背中刺す刃 Fallere825 』。 その後水と油の関係である・双方が戦争を起こすきっかけを作らぬよう、に居住し動向を見張っている。 仮に学園都市に魔術サイドの人間が侵攻してきた場合、科学サイド側がそれを宣戦布告とみなし戦争を起こしかねないし、逆にそこで科学サイドが反撃してしまうと逆の轍を踏みかねないためである。 学園都市に住む人間で魔術サイド・科学サイド双方に制裁を加える事が許されているのは、彼と、学園都市の人間でありながら、魔術サイドの人間であるを救った上条当麻くらいだろう。 だが、学園都市に住んでいる内に「 肉体再生 オートリバース 」という能力を開花させた影響により、魔術を使用するたびに吐血するなど、重度の負担がかかるようになってしまった 魔術と超能力を掛け持ちすることは理論上不可能なため。 喧嘩は瞬時に上条を病院送りにするほど強い。 そしてとある人物にボコボコにされたのち、ビルの外、命綱なしのフリークライミング 高さ:50M を成功させている。 使用する格闘術は反則技の寄せ集めのようなもので実際にの片目を抉り取っている。 余談だが、である『』の第5巻のおまけので寿司店で寿司を食べているの奥に彼らしき人物が描かれている。 その後ドリームランカー編で絹旗が追体験した舞夏の夢の中に登場。 ゲテモノメイド服を薦めていた。 関連イラスト.

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