人間 失格。 人間失格 太宰治と3人の女たち : 作品情報

人間失格(太宰治)は実話なのか?フィクションなのか?解剖するよ!

人間 失格

人間失格の背景 この作品はしばしば「太宰の遺書」とか「自伝小説」として語られます。 実際、完結した作品としては 人間失格が太宰の遺作になっています。 (「グッド・バイ」もありますが、未完の小説です。 ) また内容は、 太宰治本人の人生や出自を意識して書かれたことがうかがえます。 例えば、主人公が東北の裕福な家庭の出身であること、左翼思想に触れ酒やクスリに溺れていくこと、そして複数の女性たちと関係を持ち自殺を試みること…これらは太宰治の人生そのものです。 「人間失格」につながった小説としては「 HUMAN LOST」が挙げられます。 これは太宰が鎮痛剤の中毒になり、病院に強制入院させられたときの体験が生々しく描かれたもの。 太宰は、強制入院させられ、「普通の人」ではなくなってしまったということに大きなショックを抱いたのだと思います。 このように、 本人の強烈な体験を小説というフィクションに落とし込んだのが「人間失格」でした。 人間失格の登場人物 まずは登場人物を簡単に紹介しておきたいと思います。 女性が多く登場して、しかも名前も似ているので結構混乱しがちです。 大庭葉蔵 主人公、美男子でお調子者を演じているが、人のことが本質的に理解できない。 酒や薬に溺れ、破滅へ向かっていく。 竹一 中学の級友。 貧弱な体格で勉強もできないが、葉蔵の「お道化」を見抜く。 堀木 東京で出会った遊び仲間。 葉蔵に酒や煙草を教え込んだ悪友。 ツネ子 カフェで出会った女性。 葉蔵と心中を試みる。 シヅ子 雑誌の記者で葉蔵と同棲生活を送る。 シゲ子 シヅ子の娘で葉蔵に父のように懐く。 マダム バーの女主人で葉蔵を気に入っている。 「私」に手記と写真を渡す。 ヨシ子 タバコ屋の看板娘で、純粋無垢な性格。 ヒラメ 葉蔵の父の知り合いで、葉蔵の身元保証人となる。 「私」 葉蔵の手記と写真を受け取り、第三者の目線から物語を語る。 人間失格のあらすじ この作品は、「私」目線で書かれた「はしがき」と「あとがき」、そして葉蔵が書いた「3つの手記」で構成されています。 ここでも、それぞれに分けてあらすじを見ていきましょう。 「はしがき」 「私」が葉蔵の写真を見た感想を述べる。 1枚目の写真は10歳前後、顔は笑っているが薄気味悪い雰囲気をまとった「猿の笑顔」だと評した。 2枚目は学生時代のもので、整った顔立ちで笑顔を浮かべているが、「生きている人間の感じがしない」という印象を受ける。 3枚目は白髪になり年がわからない。 表情はなく、印象には残らない顔をしている。 そして「見るものをぞっとさせる」と「私」は感じた。 「第1の手記」 「恥の多い生涯を送っていきました」で始まる第1の手記には、葉蔵の少年時代のことがつづられている。 葉蔵は人間の営み、幸福というものが実感をもって理解できない。 他人を恐れつつも、葉蔵はいつも周囲を笑わせる「お道化」になることを選ぶ。 しかし、周囲を上手くだます術を身につけても、互いに欺き合っても明るく生きることができる人間が理解できなかった。 自分の親の心すら分からない葉蔵は、女中や下男に暴行を受けても、他人を信用できずに笑って誤魔化すばかりであった。 「第2 の手記」 中学時代から東京進学後、破滅に近づいていく様子を描く。 年月を重ね、完璧な演技を身につけた葉蔵だったが、ある時同級生の竹一から見破られてしまう。 動揺した葉蔵は竹一に接近し、どうにかその失敗を誤魔化すことに成功した。 父の勧めで東京の高校に進学した葉蔵は、画塾で堀木という男に出会いツルむようになった。 堀木から酒やタバコ、女といった遊びを教えられ、左翼活動の雰囲気に心安らぐのを感じてのめり込んでいく。 学校にも行かず遊びまわる中で、カフェで出会ったツネ子と心中を試みたが自分ひとり生き残ってしまう。 「第3 の手記」 複雑な女性関係を重ねながら、薬物に手を出し始め廃人に近づく様子が描かれる。 ツネ子との心中に失敗した葉蔵はヒラメの家に引き取られる。 そこでの生活は窮屈なものだったため逃げ出し、知り合った女性のもとに転がり込む。 しかし、幸福であることを恐れるあまり、また逃げ出した葉蔵。 その後知り合ったタバコ屋の娘を内縁の妻にするが、彼女が暴行を受けてしまう。 不幸続きに耐え切れず、酒に溺れ薬にも手を出してしまい、モルヒネ中毒に。 精神病院に強制入院させられたことで、自分は「 人間失格」だと感じる。 兄たちの手引きで故郷に帰り、静養をする中、幸福も不幸もなく一切が過ぎていく感覚を味わい、手記は閉じられる。 「あとがき」 「私」がバーのマダムと会い、葉蔵の手記を受けとった時の様子が回想される。 手記を読みふけり、そのまま出版社へと持ち込むことを決めた「私」。 マダムは葉蔵のことについて話をするが、意外にも彼女は「 神様みたいないい子」と葉蔵を評して物語は閉じられる。 人間失格の解説 第一の手記の解説 まず 「第1の手記」では 少年時代の回想が語られます。 人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。 自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。 自分は、いったい幸福なのでしょうか 周りの人間がわからず、葉蔵は幼いころから 不安と恐怖を感じていました。 そうはいっても、他人の中で生きていくしかない。 そして、 ある生き方をすることを決心したのです。 そこで考え出したのは、道化でした。 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。 自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。 そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。 他人のことが理解できなくても、笑顔と調子の良さで笑わせてやればいい。 そうすれば他の人とうまくやっていけると考え、彼は「 道化」になりました。 こうして、葉蔵の性格は歪になっていくのです。 第二の手記の解説 「第2の手記」では、まず 磨きをかけた演技が看破され、動揺する様子が描かれます。 自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。 すべて、計画的な失敗でした。 果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。 「 ワザ。 ワザ」 自分は震撼しました。 ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。 それまではお調子者を演じることで、不安を押し殺していた葉蔵ですが、クラスメイトに その試みが見抜かれてしまい、さらなる恐怖を感じます。 なんとか誤魔化そうと、葉蔵は竹一に親密に接するようになりました。 自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。 何とか失敗を払しょくした葉蔵は、父親の勧めもあって東京の高校に進学します。 しかし学校にはあまり行かず、画塾に通い、そこで堀木という男に出会いました。 堀木に対しては軽蔑を感じながらも、同時に近しいものを感じ、一緒に遊ぶようになります。 自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。 そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。 また、堀木に紹介された左翼運動グループの雰囲気も気に入ります。 運動自体には関心ありませんでしたが、 世間から隔離された空気感が肌に合っていたのです。 しかし、 酒やタバコに溺れ、私生活は荒れ果てていきます。 左翼のグループからも仕事が多く回ってくるようになり、かといってハッキリと断る勇気もなく、逃げてしまうのですが、 その罪悪感から死を考えるようになりました。 その頃、ツネ子という女給と知り合い、自分をさらけ出せる解放感を感じます。 ですが、それも一瞬でまた元の「お道化」に戻ってしまうのでした。 その詐欺罪の犯人の妻と過した一夜は、自分にとって、幸福な(こんな大それた言葉を、なんの躊躇も無く、肯定して使用する事は、自分のこの全手記に於いて、再び無いつもりです)解放せられた夜でした。 しかし、ただ一夜でした。 朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。 弱虫は、幸福をさえおそれるものです。 綿で怪我をするんです。 幸福に傷つけられる事もあるんです。 傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、例のお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。 幸福でありたいと願いながらも、 結局は 幸福に裏切られるのではないか。 そんな葉蔵の心境が痛いほど伝わってきますね。 結局、ツネ子とは再び会うのですが、金もなく学業も不振で、これ以上はとても生きていくことができないと葉蔵の気持ちは沈んでいきます。 ツネ子も人生に疲れ、 ついに2人で入水自殺を試みました。 第三の手記の解説 「第3の手記」では、さらに破滅に向かっていく姿が描かれます。 ツネ子は亡くなりますが、葉蔵は生き残り、父の知り合いの「ヒラメ」の家に引き取られました。 葉蔵はシヅ子という女性、そしてその娘のシゲ子と知り合い一緒に暮らすようになるのですが、 その幸福に押しつぶされそうになり、また逃げてしまいます。 幸福なんだ、この人たちは。 自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。 つつましい幸福。 いい親子。 幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る。 ここでも、幸せを自分が壊してしまうのではないかと、 幸せ自体を恐れる描写があります。 自分を疫病神のようにしか思えない後ろ向きな感情ですが、共感がもてます。 その後は、タバコ屋のヨシ子の純粋さに惹かれ、彼女と同棲を始めます。 酒も止め幸福な生活を送っていた葉蔵ですが、ある事件をきっかけに一変してしまいます。 それは、家に出入りしていた商人に無理やりヨシ子が汚されてしまうというものでした。 ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。 自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔色ばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢の信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思われていたのです。 それが一夜で、黄色い汚水に変ってしまいました 自分とは違い、 「人を疑おうともしない」綺麗で純粋無垢なヨシ子に惹かれていたのですが、それが汚されたのです。 美しい気質を有していながらも、そのために汚されたというやるせなさに、葉蔵は酒に逃げていきました。 また、薬屋の奥さんと知り合い、酒の代わりに薬に溺れるようになっていきます。 自分でもどうしようもなくなった葉蔵は 再び自殺を考えます。 しかし、決行前に堀木やヒラメに心配され、精神病院へと連れていかれました。 堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。 いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。 人間、失格。 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。 世間から隔絶され、廃人というレッテルを張られた 自分はもはや人間ではない。 いくら自分で 「狂っていない」と叫んでも、みんな信じてはくれないでしょう。 だから、これから先は廃人として生きていかなければなりません。 また、誰のせいでもなく、自業自得で酒に溺れ、薬に溺れ、多くの女性を巻き込んできたから仕方がないという諦めも感じます。 そして、父が亡くなり兄たちが故郷に静養所を用意してくれました。 そこで過ごす中で、 幸福も不幸も超越した感覚を味わい、物語は終わります。。 いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一さいは過ぎて行きます。 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。 どうして人間失格になったのか ここまで葉蔵が破滅していく過程を詳しく見てきましたが、どうして彼はこんなにもひどい状態に陥ってしまったのでしょうか。 一言でいえば、「 葉蔵は優しすぎた」のです。 酒やクスリに溺れ、自殺を何度も試みる姿を見れば、「なんてひどい奴だ」と思うでしょう。 しかし、最後にマダムが語る印象はそれとは全く異なります。 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」 どうして「葉蔵は優しい」などと言えるのか、見ていきたいと思います。 まず、少年時代の彼は「 他人がわからない」という恐怖を抱いていました。 ここでは誇張して書いてあるので、特別な感じがしますが、これはそんなに特別なことではありません。 私たちも人の心がわからず不安になることはたびたびありますし、人と接するのは疲れますが、頑張って対応していますよね。 葉蔵の場合は、相手の様子に敏感に反応してしまう、 臆病さが強かったのでしょう。 だから、好き勝手に振る舞うことができず、「道化」を演じたり、女の人の世話を焼いたりしてしまうのです。 これは優しい気配りですが、本人としては 何か自分がいけないような気すらも感じており、苦しんでいました。 東京に出てからの葉蔵は、酒やタバコといった遊びに浸っていきます。 ハマっていったのは ストレスから解放させられた気持ちになるからです。 また、 「世間といっても結局は個人なんだ」ということに気づき、少しは自分の意志で動くことができるようになり、図々しく振る舞えるようにもなります。 そして、タバコ屋のヨシ子と結婚するのですが、その幸せも続かないのは先ほど見たとおりです。 ヨシ子が汚されてから、葉蔵はひどく傷ついています。 そして、酒だけではなく薬に手を出してしまうのです。 ここにも彼の優しさ、弱さが表れています。 妻の不貞を責めることもできず、しかし許す言葉をかけることもできず、自分が悪いように思ってしまうのです。 普通なら周りに当たり散らすような精神状態だと思いますが、葉蔵はそういうことはしていません。 自分ひとりで抱え込んでしまうから、それを誤魔化すために薬を重ねることになるのです。 このように、 臆病なやさしさから葉蔵は廃人になってしまったと考えられます。 「臆病さ」も「優しさ」も人間らしい感情ですが、それに押しつぶされたのが「人間失格」ということでしょう。 書評・総合評価• 葉蔵という主人公を通して、誰もが感じていることを、(少し強調してはいるものの)切り出して見事に表現している作品だと思います。 物語の構成も、「葉蔵の手記」と「『私』視点の感想」になっており、 客観的な視点が入ることで作品にリアリティが出ています。 ただ、 読みにくい作品だと思います。 話自体は分かりやすく書かれてはいますが、全体的な雰囲気が暗く、それに耐えられないという方も多いでしょう。 また、「 葉蔵が結局何を考えていたのか」という部分を読み解くのは大変ですね。 本文中の記述でもどこまでが本当で、どの程度強調して書かれているのかがわかりにくくなっており、最後のマダムの発言なども考えさせられます。 この「わかりにくさ」も「人間失格」の持つ魅力だと思いますが、明るい作品が好きな方には合わない小説だと思います。 おわりに 今回は太宰治の「人間失格」のあらすじと解説を詳しく紹介してきました。 小説なので葉蔵の姿は強調されていますが、彼の人間に対する思いは誰でも共感ができますよね。 最初はとっつきにくく感じますが、ハマるとぐいぐい読める作品なので、ぜひ手に取ってみてくださいね。 余談ですが、「人間失格」は上に挙げたもののほかに、 特別なカバーのものがあります。 ジャンプ漫画家とのコラボと、「文豪ストレイドッグス」とのコラボですね。 自分はジャンプの方を持っています!表紙を見ているだけでも楽しいので、ぜひ探してみてくださいね。 自分の感情に潰されてしまうという点から言うと、こちらの作品もおすすめです。

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映画【人間失格】感想『マジでやばい!』みんな一人で行く?(ネタバレなし)

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角川文庫で再読です。 これを読むと葉蔵は自分のようだと錯覚してしまいます。 三葉の写真とそこから語られる一人の人生。 それは道化と闇の同居のように感じました。 無垢で純粋が故に汚れて堕ちていくのが悲しい。 人を 角川文庫で再読です。 これを読むと葉蔵は自分のようだと錯覚してしまいます。 三葉の写真とそこから語られる一人の人生。 それは道化と闇の同居のように感じました。 無垢で純粋が故に汚れて堕ちていくのが悲しい。 人を信じることができないことの苦しさが自分を演じることだったように思います。 その結果が感情を失うことに通じたのではないかと。 また、『桜桃』では幸福と崩壊のどちらを望んでいたのか考えさせられます。 人間として生きる意味がわからなくなった極限を見ずにはいられませんでした。 それでも大好きな作品です。

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映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』公式サイト

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5分でわかる『人間失格』!出てくる男女がヤバい?!【あらすじと名言】 言わずと知れた、太宰治の代表的作品。 自らを「人間として失格だ」と評する男・葉蔵の人生が本人の視点で描かれます。 物語のメインとなるのは幼少期、中学・高校時代、それ以降が綴られた3つの葉蔵の手記です。 それから、葉蔵のことを直接知ることはない「私」が、偶然に葉蔵の写真と手記を手にするエピソードがはしがきとあとがきとして構成されています。 孤独だと感じながらも、人を愛そう、理解しようと揺れ動く葉蔵の心。 葉蔵の壮絶な人生と人間の心の深奥に迫る緻密な描写が、まさに「ヤバい」作品です。 2010年には生田斗真主演で映画化されました。 また、2019年には『人間失格』をタイトルに冠した映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』が公開。 監督を務めた蜷川実花によって、太宰治が『人間失格』を書くまでのスキャンダラスな人生を、耽美にそして鮮やかに描かれています。 小栗旬、宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみと豪華な出演陣でも話題になりました。 この記事ではそんな「ヤバい」物語のあらすじとともに、各章の重要な部分を解説!『人間失格』の魅力をお伝えします。 書き出しは葉蔵ではなく、彼を知らない第三者である「私」の視点から始まります。 語られるのは、幼年時代、学生時代、そして年齢が不明な葉蔵の写真について。 1枚目は10歳頃の葉蔵。 かわいらしさのなかに薄気味悪いものを感じさせられる不思議な表情をしています。 2枚目は恐ろしく美しい学生時代の写真。 しかし、生きている感じがせず、1枚目と同様に気味が悪い。 そして最後の1枚は白髪で何歳なのかさっぱりわかりません。 さらに、表情もなく不吉なにおいのする写真です。 こうして、彼の3つの時代の容貌の印象が第三者から語られた後、本人による「第1の手記」に入ります。 では、人間失格というタイトルはどういう意味なのでしょうか? 彼は他人の気持ちがわからず悩み苦しみ、結果、酒や薬や女に溺れます。 最終的には自分の予想に反して、脳病院に収容されることに。 そして「自分は狂人の烙印を押されてしまった、もはやこの病院を出ても廃人とされるだろう」と絶望し、自分のことを「人間、失格」と評価するのです。 つまりタイトル『人間失格』とは、主人公が自分自身を省みて「こんな私は、他人からみたら人間失格だ」と、自分の人生を他人から見た評価なのではないでしょうか。 葉蔵は小さい頃から、他人が何をどう感じているのかが理解できませんでした。 他人の幸福は自分が感じる幸福というものとはまるで違うと感じていました。 みんな何を考えて生きているのだろう?自分とはまったく違うのだろうか。 そういったことを考えては不安と恐怖に襲われていました。 そこで、そうした不安をごまかすために「道化」を演じ、自分を偽ることにしました。 肉親たちに口答えもせず、常に笑って他人の目を気にしました。 ひょうきんにふるまい続けた結果、皆にお茶目な子だと認めさせることに成功します。 一方で、葉蔵は下男や女中に性的な暴力を受けますが、それを人に言うことはありませんでした。 人を理解することができない彼は「人に訴える」ということを諦めていました。 どうせ世渡りのうまい人に言いまくられるのだと思っていたのです。 「なぜみんな、実は欺きあっているのに表面上は傷ついてないよう、明るく朗らかに振舞っているのだろうか?他人が理解できず、自分が感じていることは異端なのではないか。 」 彼はますます自分の孤独を深めながら、やがて中学校へ上がります。 解説:共感できる人もいるはず。 孤独の物語 「第一の手記」では、他人のことが理解できない彼の恐怖が描かれています。 誰しも多感な時期には「他人の考えてることがわからない」「人と自分が感じてることが違うのでは?」と恐怖したことがあるのではないでしょうか。 そういった感情は決して彼だけが感じるものではないはずです。 彼は大人や周りの人間に近づくため、そして自分が恐怖していることを悟られないために、道化となります。 他人の目を気にすること、誰かの期待したとおりの自分を演じることは、共感できる人も多いのではないでしょうか。 「恥の多い人生を送ってきました」という一文から始まる彼の人生語りですが、幼少期のそれらは、もしかするとみんな多かれ少なかれ感じてきた感情なのではないかとも感じられますね。 『人間失格』は読まずに聞けるオーディオブックでも楽しめます。 今なら30日間無料! 「ながら聞き」ができるので、「最近、本を読む時間が取れない」方や「もっと手軽に楽しみたい」方におすすめです。 小説『人間失格』第2の手記あらすじ 中学校に上がっても、小学校と同じようにひょうきん者を演じていた葉蔵は、ある日、竹一というクラスメイトにわざと道化を演じていることを見抜かれてしまいます。 葉蔵は初めて見抜かれたことに不安と恐怖を覚え、竹一と親友になろうと試みます。 そして、なんとか竹一と仲良くなると「女に惚れられる」「偉い画家になる」という予言をされました。 その後、葉蔵は高等学校に進学してさらに画塾に通うことに。 そこで堀木という年上の遊び人と出会い、酒と煙草、それから左翼思想に染まっていきます。 世間一般にとって非合法であるものや社会にとっての日陰者。 そういったものに触れていると、なぜか彼の人間への恐怖はいくらかまぎれていくようでした。 しかし、そのうちに実家からの資金援助が減り、さらには学校へ行ってないことがばれてしまいます。 以前のようには遊べなくなった葉蔵は、カフェの女給・ツネ子とともに鎌倉の海で入水自殺を試みます。 しかし、結局彼女だけが亡くなり、彼は一命を取り留めることとなったのです。 自殺ほう助罪に問われるも起訴猶予となり、父の知人・ヒラメに引き取られていくのでした。 高等学校へ進み、堀木に誘われ怠惰な生活を送り始めた葉蔵をどう思ったでしょうか。 女性や酒、煙草に溺れますが、原因は人間が怖いから、その1点でした。 それらを通してであれば他の人間が自分と同じであったり、少しでも考えてることが理解できるような気がしたのではないでしょうか。 しかし、小遣いが減り、そのような怠惰な生活がばれてしまってからは、再び拠り所をなくします。 そのため自分と同じような想いをしているツネ子に心を寄せ、共に入水自殺を図ったのです。 彼にとっては、それがこの世界を脱出する術であったのですが、あえなく失敗。 そして自分自身への絶望と世間に対する恐怖が、ますます膨らんでいきます。 小説『人間失格』第3の手記あらすじ 高等学校を退学になり、ヒラメの家に居候をしていた葉蔵。 生活をどうしていくのか詰問された彼は、逃げ出してしまいます。 ここでも女性に頼り、シヅ子の家に転がり込みます。 彼女と彼女の娘とともに3人と共に暮らすことに。 雑誌記者である彼女のつてで漫画家として働きますが、再び酒や煙草に溺れます。 母娘の幸せを邪魔してはいけないと感じた彼は、アパートを出てスタンドバーを営むマダムのところへ転がり込みます。 そこで出会った人々は優しく、これまで出会った者たちのように彼を脅かすこともありません。 彼は、世間は自分が思っていたようなものではないと感じるようになりました。 1年が過ぎ、バーの向かいにある煙草屋の娘・ヨシ子と親しくなり、結婚を決めます。 内縁の妻として彼女と一緒に暮らし始めた彼でしたが、ある日彼女に大きな悲しみが訪れます。 人を疑うことを知らなかった彼女は、家に訪ねてきた商人の男に犯されてしまうのです。 それ以来、彼女の信頼の天才と呼ばれていたほどの純真無垢な心は失われ、彼の行動に逐一怯えてしまうのでした。 そのショックから、彼はまたも酒に溺れていきます。 ある日、彼女が購入した大量の睡眠薬を見つけた彼は、その場で薬を飲み干し自殺を試みます。 しかし、三昼夜眠った後、死に切れず目を覚ましました。 その後、今度は麻薬に溺れた彼は、堀木とヒラメによって病院へ連れて行かれます。 サナトリウム(療養所)に連れて行かれるとばかり思っていた彼は、行先が脳病院(精神に異常をきたした人が入る施設)であることに愕然とします。 他人からそうして見られてしまうということは、自分は人間として失格なのだ、と悟るのでした。 解説:「信頼の天才」ヨシ子との出会い。 主人公との鮮やかな対比 幼い頃から他人の顔を伺い、欺き合う大人を信頼できなかった葉蔵と、それとは対照的に何者をも疑わないヨシ子。 人を信じられず、疑って生きてきた葉蔵にとって、ヨシ子の他人への信頼、人を疑う心の無さは眩しいほどのものでした。 2人は正反対の気質をもちながらも、惹かれあい内縁の夫婦となります。 それまでは自分と同じような人間を見つけては安心していた彼でしたが、ここでまったく反対の彼女と出会い、心を通じ合わせたことで少しずつ変わっていきます。 「無垢な信頼心をもつ妻」という一筋の光を信じてこれからの人生を生きてゆこうと思った矢先、その妻が、無垢な信頼心を持つがゆえに犯されます。 そして、絶望した彼は自殺を図ります。 ショックはそれほど大きなものでした。 またもや生き延びてしまった彼は、脳病院に入れられる事実を理解したときに「やはり自分は人間としておかしかったのだ。 自分のようなものは人間として失格と他人から烙印を押されるのだ」と感じたのでしょう。 解説:小説『人間失格』の最後が意味するものとは?静かに閉じていく物語のラスト あとがきにおいて、バーのマダムが葉蔵について語ります。 葉蔵は道化を演じ、酒や左翼運動、麻薬にのめりこんだ自分の人生を「恥の多い人生」と語り、自分自身に「人間失格」の烙印を押します。 しかし、マダムが彼を語るとき、けっしてそのようなことは言いません。 自分の思う評価が、そのまま他人からの評価であると信じて疑わなかった彼ですが、マダムの彼への評価とはどうも違うようです。 彼が抱えていた悩みや苦しみは、私たち誰しもが秘めているそれとそう変わらないものだったのではないでしょうか。 道化を演じたり女や博打にはまったりすることも、実は特別ではないのです。 自分で人間失格と言っても、他人からはそうでないように見えることもある。 自分と他人の視点の違い、信じることの大切さと脆さ。 彼は本当に人間として失格だったのか?それを考えさせられる物語です。 気軽に読みたい方には、漫画版『人間失格』もおすすめ!まずは伊藤潤二の作品から それでは最後に、人間失格の名言をご紹介していきます。 恥の多い生涯を送ってきました。 (『人間失格』より引用) 葉蔵が自分自身を振りかえってこう言います。 酒、麻薬、女に溺れ、2度の自殺未遂までしてしまった自分自身を「恥」と感じ、他人からの評価もきっとそうであると信じて疑わなかったのでしょう。 自分が生きていること自体を恥だと感じていたようです。 (道化は)自分の、人間に対する最後の求愛でした。 (『人間失格』より引用) 彼はひょうきんな振る舞いをすることで、他人から愛されようとしました。 そうしなければ、どうしたら誰かに好かれるか思いつかなかったのでしょう。 本当は道化にならなくても、好いてくれる人もいたのではないでしょうか。 世間とは個人じゃないか(『人間失格』より引用) 世間などという大多数の、何か見えない大きな塊みたいなものはなく、個人でしかないということを彼は悟ります。 こう思うことで、少し気持ちが楽になったと書かれています。 神に問う。 信頼は罪なりや。 (『人間失格』より引用) ヨシ子が襲われたあと、彼は深く苦悩します。 信頼は素晴らしいものと思い始めた矢先、その信頼のために襲われたヨシ子。 彼女の苦しみを見ていると、信頼とは罪なのではないかと考えてしまったようです。 いかがだったでしょうか?太宰の代表作ともいえる『人間失格』は誰もが他人に対して持つ恐怖心を、葉蔵の悩みとして表現しています。 映画、漫画などもあわせて味わってみてくださいね。

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